「知」という存在
海(ネット)を泳いで(眺めて)いたら、いろんな出会い(投稿)があって興味深いなと。いつもはボードゲームについてばかりだけど、それ以外も書いてみようという試み。
あるがままに
私が面白いと感じたものに「意識」があります。意識とは自我であり、エゴであり、記憶であり、傍観者であり…という言葉が好ましく、いつも興味深く観察してます。
「きっかけは意識についてたまたま解説している動画との出会い。そこでの意識はあくまでも決定(行動)に対し、出来る(抵抗or抗う)のは「止める」ことという。」
なんと面白いことか!。
「私が想い感じ、想像し、思考していることは既に意識よりも先に発せられ、そのあと付けのように意味が考察され、そのように思い込んでいるという。」
これには笑いました。なるほどなという気持ちと、過去ロボトミー手術後に行われた被験者に対する実験などいくつか参考になるものもあってとても感慨深かったです。さらにはメアリーの部屋(思考実験)など人間は思っている以上に曖昧で囚われているなとも思いましたね。
その道は道にあらず
これも今の私を惹きつけるナニカ(2023/11/10時点)。語らばそれは絶対のものではないらしい。なのに私はここに文章として語り言葉として残す、なんと矛盾していることだろうか。そしてそれすらも面白おかしくいる自分がいる。この問いは「TAO(道)」のこと。
私が今していることはシールはがし。たくさんのシールをはがしてる。それは気づくといつの間にか貼りついていて、無意識に同化してる。
次の自分は何を思う?
※ここからは時間をおいた自分(未来)が書く。
約8時間後の私です。予定があったため時間が空きましたが既に何も浮かばず、ここに書き始める前の状態になってます。それもまた、流れのなか。
無知の知
素敵な魅力がある。なにかを感じさせる、はたまた引き寄せる。つい思考(熟考)をしてしまう罠。無意識のうちに沼に片足を踏み入れている。哲学にしても思想にしても。
想いを馳せ、感じ浸る心地よさ。上も下もない、過去も未来もない、今目の前にある全てをありのままにみることの素直さ。
未知
未だ知らぬと書いて未知。英語ならunknown。反対に私たちは何を知っているのか。いつから私たちは「知」を得たのか。そもそも「知」とは?
詩
私の好ましい表現に「既にここが天国であり地獄である」というものがある。面白い思想で笑ってしまう。ワカン・タンカや老子のようなものがあると私は感じている。
…難しい、どうも思考(ノイズ)が入ってこようとする。
知とは
共通言語。もしくは人に許された永遠(不死)。もしくは人に課せられた縛り(隷属)。実のところそれらはどうだっていい。知とは外側であり、同時に内側に来ようとする。だけど内側は内側。外側は外側でしかない。
さらには外側は内側であり、内側もまた外側でもある。そこに違いはなく、故に同一でもある。
終わり
なんかそれっぽいこと書けました。笑
私の感じているとこは表現してます。読み返してもしっくりくるし、感じられる。想いを馳せ、近しいところにある。ただ、これらが絶対かと言われれば真であり虚です。語らいであり言葉であり、ただの文字です。その表現しようもない「それ」は伝えようもない、むしろ伝えられない、伝えるものですらないものです。
これ以上はどうしようもないので、終わります。
お読み下さり、ありがとうございました。<m(_ _)m>