twitterアーカイブ+:映画『シン・ゴジラ』感想

映画一回目

 シン・ゴジラを観てきた。どこまでネタバレが許されるのか分からないが、展開を知っているかどうかが感想に大きく影響する映画ではないと思う。私の感想の中心はストーリーにはない。野村萬斎! 私が映画鑑賞中に感じた事の大部分は彼の存在によって説明できる!

 私はその性癖柄「街に巨大生物が襲来して無秩序な破壊を振り撒く」というシーンを数多く見てきたが、私の見てきた巨大生物の大半は若く健康的なヒトの雌の姿をしており、これがゴジラになるだけでここまで絶望的なシーンになるものかと思う。所詮、人は人の形をして人の言葉を解するものしか愛せぬ。

 ペットの犬猫は、「人の形をして人の言葉を解するもの」の範疇にある。人は動物に「人」を投影(ある種の擬人化)した上で愛している。ゴジラに「人」を投影して愛する事もできるだろう、しかし初めから脅威として現れるゴジラと初めからカワイイ記号を付与された犬猫では同じようにいくまい。

 いつだったかテレビで断片的に見たガメラに、これと似た話があったのを私は憶えている。イリス。しかしこれ以上の言及はしない。

 人に対して「人ならざる者」として立ち現れてくる存在。人があって初めて「人ならざる者」と認識される存在。思えば日本の芸能はそれを表現するためにこそ心血を注ぎ、技術と思想を蓄積し続けてきたのだ。野村萬斎!

「登場人物が何を話しているのかよく分からなかった」と思うかどうかは、よく分からない語句はひとまずそういう名前の何かだと受け入れておいて後から文脈によって意味(文中での役割)を推定するというスキルの有無にもよるのだろう。知らない言葉に出くわすのに不慣れな人間というものはいる。

 機能と役割さえ理解してしまえば、名はさほど重要ではない。名は機能または役割を理解しない者にもそれを扱わせるためにこそ与えられる。もちろん、無知でもいいのでそのようにして数を掻き集める事にこそ意味がある、という場合もあるが。

初代

 初代ゴジラを観た。私の祖父が私とほぼ同じ年齢だった頃(祖父はボケてこの時代に戻っているのでよく話は聞く)の日本でこの特撮・演出・脚本が出色だった事は分かるのだが、ゴジラの迫力はさほど伝わってこなかった。むしろゴジラのテーマをBGMに戦車が出撃するシーンの方が燃える。

 ゴジラの暴虐ではなくゴジラに振り回される人間の姿の方が重点的に描かれているように私には見えたし、その意味でシン・ゴジラは初代ゴジラの正当な嫡子であると思う。シンが「ゴジラらしくない」という主張は、続編でイメージが変化したゴジラと比較してのものだろうか?


「ガメラ3 邪神覚醒」を観た。CGをケチっている箇所は隠しきれず、展開にもどことなくまとまりがないという印象だが、綾奈の演技が最高。後半ずっと黙って憎悪と諦めの眼差しで街を睨んでいた綾奈の「殺して!」は性的ですらある。怪獣映画は子役を合法的に粘液まみれにできるのが良いな。

映画二回目

 シン・ゴジラ二回目を観た。先日目にした感想のようにこれを国策映画だとみる事は確かに十分可能だが、そんなものはこの映画に限った事ではないだろうし、この映画は国策映画である前にあからさまにオタク映画だ(国粋主義者とは畢竟「虚構と現実の区別がついていないオタク」の一種に過ぎない)。

 怪獣映画の伝統とも言えるあの明朝体のテロップ、あれこそがオタクの精神性(大きな物語への希求)を最も端的に表しているのだ。即ち、あの字幕一つで数万人の営為をひとまとめにしてコンパクトに扱う事ができ、さらにその字幕を連発する事で壮大なスケールを演出できる。決して嫌いではない。


〈以上〉

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