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人は皆、幸せになるために生まれてきた 宗教二世映画で話題の「ゆるし」感想を宗教二世当事者が語る

ネタバレあり
評価:2.8

さて、私のアイデンティティである宗教二世の生い立ちであるが、
どういうことか1年半くらい前から突然世間から注目されるようになった。

「どういうことか」とかいうのも白々しいか。

日本の要人の殺人事件を起こした者が、宗教二世の生い立ちを持った者だったらしいということで「宗教二世」が一斉に世間の耳目(じもく)を集めることになったのだった

私はその犯人とは同じ宗教の出身ではないものの、
この映画で扱われる宗教の元ネタの一つであろう新興宗教の出身だ。

この映画を観て当事者としていろいろ思うところあったので
とりとめもなく感想を書こうと思う
お時間ございましたらどうぞ

冒頭のシーンが最高


宗教の勧誘がいきなり個人宅に突撃することで知られるエホバの証人などがやることで有名な「戸別伝道」に、若い母親が幼い子供を帯同するシーンから始まる。

私にとっては日常の、
しかし世の中的にとっては異常な、
よく見知った玄関先でのこの光景が、まさかこうして映画館のスクリーンに大写しになるとは……
この状況があまりに愉快で、座席でニタァと笑ってしまった。

他にも学校でみんなと同じ行事に参加できない、とか
誕生日を(ピンとこない理由で)祝えないとか
週中に聖書の勉強会があって参加が必須とか
エホバの証人二世あるあるが散りばめられていて、
我々宗教二世のような不気味な生き方をしている者のことをこうして理解しようと、寄り添おうとしてくれている人がこの世界にいるのだ、ということが心底あたたかく、ありがたく感じた。

中盤、
誕生日を祝う、というあまりにささいな、
しかしはっきりと「聖書の教えに反した」すずが、
母親からムチ打ちを受け、真冬に外に放り出されるシーンがある。

その様子があまりにかわいそうで、
しかしこの理不尽を受け入れるしかない惨めな姿はジョーカーとかダースベイダーとかの「ダークサイドに堕ちる者」の前日譚のようであった。

しかし思い起こすと自分にも同じ経験があると気づき、
自分の生い立ちって「かわいそう」なのか、
私はジョーカーになる素質があるのか、という新鮮な驚きがあった。

もしもこの映画を、
自分がもっとも苦しんでいた子供時代に、私も、親も見ることができていたら、
何かが変わっていたかもしれない、と感じた。

主演の演技が上手い


主人公のすずの演技がかなり上手くて驚いた。
エンドロールでさらに驚いたのが、
主人公のずずを演じているのは、なんと監督の平田うらら氏であるという。
そんなことあるのか。
しかもかわいいし。

特に宗教関係のワードの発音に迷いがなくかなりリアルで、
この女優、関係者か?と思った。

見終えてから改めてAERAなどの関連記事を拝見したが、
一時期いた新興宗教とはウチ(エホバの証人)のことだろうか?
こんな若く美しい新規の研究生が見出された会衆は湧いたに違いない。

研究が進むにつれて彼氏と別れることを迫ってきた、というエピソードはいかにもウチの宗教である。
なんかものすごい剣幕で恋愛に嫌悪感を持たせようとしてくるんよな。
そのせいで私なんて40なのに未だに処女なのだ(笑)(笑えない)

ハードなギャルのいじめシーン


中盤、ギャルによるかなりハードないじめのシーンがある。
どうでもいい話だが私はギャル好きかつM的なところがあるので
ここまで救いのない100%の意地悪さが珍しく、
これはこれで興奮するなと思った。

変態の話はどうでもいいが、
いじめられているすずが殴られながらギャルに「神さまに救ってもらえば」とからかわれるシーンには、なぜだかすごく傷ついてしまった。

とはいえ聖書のエピソードでも
義人ヨブが試練の際に「神を呪って死になさい」と、妻から信心を揶揄されたことが記載されている。
信仰を持つ者の苦悩あるあるとして、三千年くらい前から観測されていた状況ではあるのだ。

しかしやはり現代において、
宗教が原因で苦しむ者を、
信仰を持たない者が悪しざまに言うとは、これほどまでに説得力があるものなのかという新鮮な驚きがあった。

まぁ議論の論題自体は珍しくはない。
神がいるなら、なぜ正しい人も病気にかかるのか?なぜ神は世界の貧困を黙って見ておられるのか?なぜホロコーストが起きるのを許したのか?なぜ原爆が落ちるのを許したのか?……といった話に拡大していく。
各宗教が教義の中でいちおうはそれに応える道理を出しているはずだ。
そしてその論理に納得できる者のみが、
その宗教の在籍を続けることができるというわけだ。

リトマス試験紙になる


この映画を見て、語りたくなったり、補足したくなったり、訂正したくなる内容があれば、
そうやって浮かび上がってきた話題こそ、
自分にとっての未解決の問題だったり、
自分にとって重要なポイントなのだろうと感じた。

これまでの宗教二世に関する報道からも感じたことだが、
「宗教二世問題」は、
特定の生い立ちを持つ者を「宗教二世」というワードでくくることができるが、
一方で、ではそれらの者たちの抱えている「問題」にいざ注目しようとすると、
個々の家庭、個々人の経験という人数分それぞれに独立したエピソードが浮上してきてしまう。

つまり、このように証言が一致しないので、宗教教育と虐待との因果関係が立証しにくい。
すなわち宗教の問題点が語られにくいのだ。

要するにこの映画を見ていて
私のエピソードも語りたくなったが、
それを語ったところで他の人が助かるということもないだろう、と感じた。

宗教二世問題の根本とは何か


同じ話題だが、
この映画では端的に言って「イカれた母親」が「宗教二世問題」のきっかけであり、病巣であり、家族愛を重要視する倫理観を採用して生きるのであれば事実上倒せないラスボスとして描かれていたと思う。

とはいえ、
宗教団体の側が主張する通り、
「問題があったのは個々の家庭であって、
宗教自体には長らくなんの問題もなかった」
という理屈は苦しい、と関わった者なら誰しもが感じると思う。

あの事件の犯人の生い立ちが語られる中で、
なぜ多くの新興宗教二世が自分の受けてきた苦しみを思い出したのか?
過去30年かそれ以上の間、
社会から注目されることがない中で、
宗教を持つ親の元で育った多くの子供たちが、
子供時代に苦しみを抱えて生きたのはなぜなのか?
つまりなぜ「宗教二世問題」は発生したのか?

それは、
毒親問題やエディプスコンプレックスといった心理学、精神医学領域の話なのか。
オウム真理教などを含む新興宗教の興亡のあった近代日本史という歴史の話なのか。
人権侵害も常識だった家父長制をとる旧来の家族のあり方が揺らいでいたというやはり近代社会学的な話なのか。
日本が敗戦後どのように周辺諸国と関わるようになったのか?周辺諸国の宗教や思想をどうみなしていたのか?という近代史がベースの社会学として読み解くべきか。
キリスト教、仏教、土着の神道、朱子学や儒教の成り立ちや、それら宗教が戦前から地域社会にどれほど浸透していたか、逆にどれほどヘイトを集めていたかといった文化・民族学的な側面の話なのか。
神とは何か、精神世界へのアクセスの仕方といった哲学・スピリチュアル領域の話、その正誤の話なのか。
信者の親の発達障害とかの教育学的な話なのか。

新興宗教二世が子供時代に似つかわしくないほどヤバいメンタリティを背負って生きた理由のエッセンスは多岐に渡り、
未だもって結論らしい結論は語られていない。
たぶん考えたところで、しばらく決定版といった結論は出ないだろうと思う

監督からのあたたかなメッセージ


ラストシーンですずの父親が
「人は幸せになるために生まれてきた」
と言う。
これが、この映画の言いたいこと、テーマであると受け取った。

その結論は鋭くて、
結局「宗教二世問題」も
原因がどこにあったのか?
を探そうとするより、
「すべての人が幸せに生きるためにどうしたらいいか」を考える方が本質的だし健康的なのではないだろうか。
まぁ、当事者がそうした気持ちになるためには、
結局「原因がどこにあったか」を自分なりに結論づけ納得しなければならないわけだが……

AERAなど監督のインタビューを読む限り、
監督は新興宗教二世のご友人の自死を経験され、
その経験からこの映画を撮影されたのだという。
なんとあたたかい眼差しだろう。

採用されたテーマも撮影に至ったきっかけも、
監督の優しい、人間らしい良心に基づいていたことが、あたたかいなと感じた。

また、女性の監督さんだからか、
出てくる女性たちが美しく、瑞々しく撮られているのも印象的だった。

おすすめか


新興宗教二世の生い立ちを持つ者にとっては思うところあると思うので、
時間が許すなら見てみるのもいいかもしれない。

とはいえ、まぁ、同じ時間・同じ金を払うならやはり今はオッペンハイマー、もしくは哀れなるもの、邦画ならゴールデンカムイを素直に観る方がいいだろう。

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