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3.21 現状維持は終わりのはじまり-花束みたいな恋をした-感想

2017年のときの「ララ・ランド」も昨日見たこの映画も、「ああ、なんてタイミング!わたしのために出てきたの??」なんて思うけど、(少なくとも3,4年より前は強くそう思ったのだろうけど)きっとそれは国民の何%かの人がそう思ってるだろうし

ネットの映画の評論でみた、「パーがグーに勝つのが考えられないっていうのは割と考えたことがあるひとが多いだろう」というのもその通りだし。

日ごろ恋バナを見聞きしすぎで、目が肥えてしまったのか。ラブシーンは勿論気恥ずかしいけど、どうしても世の中には溢れてるんだからってさっと流した。案外終始冷静な自分もいた。とはいえ、今村夏子さんの『ピクニック』が刺さるほどには感情はいきていると思いたい。

劇中の固有名詞を、自分の好きなアーティストに置換えて色んなことを思い返していた。

「2016-2020の大学時代」、「働き始めてしばらく」、「先の見えない恋愛」、「なかなか周りに好きな人が居なさそうな趣味」、「別れることを恐れなくていい、趣味の合う同い年の男の子の友人」、「くすぶる天気」

観るタイミング、ピースは揃いまくっていた。

思ってたよりも俗っぽくて、でも、このタイミングで観たことが今後の生活にまた一つ影の深みを与えてくれる気がする。

人に共感するというよりは、特殊そうで普遍的なシチュエーションに共感していた。映画をみたあともひたすら語り、頭の中の時間軸も空間もいったりきたりで、長い旅をしたような。そんな贅沢な休日。


※ネタバレ注意!

どうすれば、2人は上手くいったのだろう?

映画を見終わった後、男性目線、女性目線でとりとめもなく話していた。話しているとそういう見方もあるんだ、と新しい発見もあった。たらればと、難癖つけるのと、共感ポイントを出しあうことをした。心のどこかで思う、同じ轍は踏まないようにしたい。

とりとめなさすぎて、順番は忘れたけど話した内容を思い返してみる。(話さなかったけど、思ったことは引用符で示します)


友「最初からあんなに趣味が合うことってそうそうないよね。」私「ね、というか熱量が高すぎるね」友「あれは2年くらいで終わるかゴールイン」私「もっとペースがゆっくりだったらよかったんじゃない?」
友「あー、ちなみに横断歩道のシーンとかどう思った?わりといちゃついてたけど、ああいうの苦手だよね?」私「うん(苦笑)、でもあの有村架純はかわいい」

友「あの映画をみた男はみんな有村架純と付き合った気持ちになれるっていうけど、そうは思わなかった笑」私「そうなの?笑」友「うーん、ああいうのはなぁ、、仕事でかまうのが面倒っていうのは分かる気がするなぁ。絹ちゃんのほうももうちょっと分かってたらなぁ」
"やっぱり、観た男性は出てきた女性(絹ちゃん)を責めるように、異性を責めがちなのか?わたしも麦くんは、ちょっとなあって思ったし。"
私「でも私もあの菅田将暉の子(麦くん)みたいなのは嫌だなぁ。洗脳されやすいというか、なんだかなあ。」友「えーだいぶ優しい部類じゃん。じゃああのオダギリジョーみたいな社長タイプとかは?」私「それはもっとやだ笑」
"2人の現状維持が目標っていうのが無理があるよ。仕事とかプライベートとは元々一緒にせずに。自分の信念でずっとやってるタイプの方がいいなぁ。アーティスト系とか、報われないのではなくて、地についてる程度で"

友「でも共感、、あるあるすぎてか、泣かなかったなぁ。隣の女の人結構泣いてて、気を遣いながらホットドッグ食べてたわー」私「いや、まー気を遣わなくてもその人は没頭してたんじゃない?笑そんな泣いてたんやね。たしかに思ったよりかはなー」
友「共感できなかったことの一つに、(大学)4年で就活せずにフリーターになったとこがあると思う」私「それね!!」"ほんとそれ!"

私「とは言ってもちょこっとは泣いたよー、ほら最後ファミレスでやっぱり結婚しようって言い出しているあたりから…なんかそう来るのもあり得るのかもなあって」"そうなってももう妥協でしかなさそうだけど"友「まあー、そこより前の1回目のじゃあ結婚しようってくだりのところが分かるなあって思った。形をしっかりしたいというか」私「なるほどねえ」

友「どうやって終わるのかが気になってたけど最後あんまりはっきりと出て来なかったね。 言わないってあたりが、ああそれだけ長かったんだろうなあって思った」私「そう?そんなはっきりしてなかったっけ?」友「じゃない?ていうかわりとその後も一緒に住むんだっていう笑」私「長すぎたからスパッと切れずに、だんだんと離れていくふうにしたのだろうなぁって思うよ。じゃないかなあ?(だんだん上がって下がっていく丘のような放射線カーブをジェスチャーで示しながら)最初に戻るかのようにフェイドアウトしてく感じ」友「まあだんだん離れていってたもんね」

私「会話というか、つなぐものがなくなったのが大きいよね。映画みたシーンの温度差とか、(絹ちゃん)寂しいだろうな」友「趣味とか価値観が合わせれなくなってたよね」私「うんうん」"あと義務感に思われる態度がダメだった“

私「あの先輩の死も大きかったよ。主人公は青春の死といえるくらいだったかもしれないけど、女の人からしたら(先輩が)暴力していたことを知っているし、現実を見てる感があった」友「あそこで寄り添うこともなかったのがもう終わりだよね」私「せめてあのとき…って感じるなぁ」


などなど。


雑感-ゆめのやうな日々をゆめにしたくない-

たった世界に2人だけ。恋をしていて、特別であるかのよう。世界は自分たちの舞台のように思えてくる。-そんな頃もあったかもなあ。
始まったばかりの一日。幸せな余韻を壊したくないっていうのもすごくよく分かる。
遠い存在であるようなブログの人の死が日常にも意外と繋がっていて、大事な人がいなくなってしまうのかと怖くなるのも分かる。あった気がする。

ちょっとした遠出の浜辺の一日も、シンクロする服装も東京科学館も。既視感。そういう幸せは今も、そしてこれからの道にもまだまだ続いていると信じたい。途切れたら、それをどう思い返していけば良いのか。かといって、遠すぎる過去は砂糖が水に溶けるように曖昧になって、消えたとしても案外割り切って思い出すこともないかもしれない。

back numberの「思い出せなくなるその日まで」では、"記憶を消し去ってしまったら、それは私ではなくなる"といっていた。そうだよな、とは思う。
引き返せないの、どの前にも。
恋をしたら、恋をする前の感覚が分からなくなって、一度手を繋いだら、繋ぐ前のもやもややら照れやら妄想やらちょっとした攻防戦の感覚も分からなくなる。


だったら?  それでも?



結論-しなやかに育てる-


ありふれた考えかもしれないけど、楽しい時間を瓶に詰めて保存できたらいいのに。
花束がドライフラワーとして残るように。
いつでも再現可能で、新鮮な気持ちになれるように。


そうするには、毎日頻繁にあったりコミュニケーションを取るんじゃなくて、自分の生活を生きて時々会うような、ありがたみをもてる関係性であるといいのかもしれない。
尊敬だとか、お互いの成長を楽しめる気の持ち方だとか。
もっと大事にしたいよ……。



おしまい。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。ぜひ映画を観た方は感想を教えてください。
あしたもあなたにとって良い一日でありますように。


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