見出し画像

サッカーに興味のない私が、ファジアーノ岡山を応援するようになるまで

ふと思い返してみた

DAZNでサッカーを見ながらふと考えた。
私いつからサッカー見るようになったんだっけ。
私は小さいころから、父親の影響でカープファン。広島市民球場で北別府さんや大野さんが投げていたころの記憶がある。夏休みにはBGM代わりに高校野球がラジオから流れる環境にいたため、自然とルールを覚えた。点差があってもホームランで形勢逆転したり、痺れる投手戦はとても面白い。カープ戦がテレビで放送されれば迷わず選択していた。DNAにカープファンになるプログラムでも入っていたんじゃなかろうかと思うくらいだ。
当時の私にはサッカーに対する興味などこれっぽっちもなかった。

ファジアーノ岡山が誕生、したけれど

しかし高校生の時にJリーグが開幕し、ドーハの悲劇でワールドカップの存在を知り、徐々に私の中にサッカーに対する興味が湧きだした。
といっても、野球ほど面白いとは思えなかった。
あんなにゴールが大きいのに、点がなかなか入らない。ゴールまでボールが来たと思ったら、奪われてしまう。野球のような一発逆転はない。守備位置の固定された野球と違い、誰がどこを走ったのかわからなくなる。相手を倒したのにファールのならないのは何故なのか。
分からないことが多く、とにかくじれったい。
スポーツニュースは見ていたから、Jリーグのチーム名や代表選手の名前は何となく知っていた。その程度だった。

そんな折、2006年ファジアーノ岡山が誕生、2007年にJFLに昇格を果たす。
当時そのニュースを聞いた時の感想は「ふーん」だった。今思うととても失礼な反応だ。だが、岡山にJリーグのチームができるかもしれない、それがどうも私にはピンとこなかった。
そもそも岡山にサッカーに興味のある人おるんじゃろうか、Jリーグに昇格なんて簡単にできることなんか、岡山県民にファジアーノが浸透するんじゃろうか。疑問だらけだった。
とか思っていたら、2009年にJリーグを昇格。このころから実家の親父殿から山陽新聞の記事がたまに送られるようになる。親父殿はサッカーに興味があるわけではなく、実家から離れて暮らす娘に地元のニュースを教えるためという理由で送っていただけだった。しかし、この新聞記事の送付は年を重ねるごとに送られる量が増えてくる。その記事の中に、喜山という名前の選手が目についた。この時は変わった苗字だなという印象だったが、10年たって喜山選手のユニフォームを買う日が来るとは夢にも思わなかった。

転機その1 2016年

興味が強くなるきっかけは2016年に第一弾がやってきた。ファジアーノが昇格プレーオフに出場した時だった。1回戦の松本山雅戦で、1-1の同点のまま後半アディショナルタイム、赤嶺選手の決勝ゴールに岡山が沸き立った。

あのJ1が手に届くところまで来た。決勝までの日々は落ち着かなかった。しかし決勝戦ではセレッソ大阪に敗北。J1昇格の夢は消えた。

J1昇格することはこんなに難しいのか。それでも一度は目の前まで見えたJ1。地元のチームが昇格するのを見たい。私のファジアーノ岡山への興味が一気に沸いた。ここから自分でもファジアーノの情報を調べるようになる。ファジアーノの選手の名前を覚えるようになるのは、この頃だった。

転機その2 2018年

2018年に私のファジアーノへの興味は愛着へと変わる。きっかけは西日本豪雨。実家は1階の天井近くまで浸水。私は実家から遠く離れた場所で、だたニュース映像を見るしかなかった。実家の両親は救助されたと連絡があったが、一帯が泥水になった地元の姿にショックは大きかった。今でも当時の映像を見ると、涙が出そうになる。

その日、ファジアーノは東京でヴェルディ戦。ニュースばかり見ても仕方ない、とDAZNで試合を見ることにした。アウェイ席には少しのファジアーノサポーター。人数は少ないが、懸命に大きな声で後押しをしていた。サポータ席の前に「来れないやつらのぶんまで」の横断幕。即効で作られたように思われる。

この試合、58分に椋原選手のクロスから仲間選手がヘディングを決め、1-0で勝利。彼らは「来れないやつらのぶんまで」戦い、勝利をもたらした。気が付いたら、涙が流れていた。私は生まれて初めてサッカーで泣いた。

そしてこの試合から間もなく、岡山駅でファジアーノの選手たちが募金活動を行った。選手たちの発案らしい。岡山のために、選手たちが自主的に行ったという。このニュースを聞いた時、私にとってファジアーノは単なるサッカーチームではなく、無くてはならない存在になった。岡山が大変な時に手を差し伸べてくれた彼らを、今度は私が応援したい。愛情がわいた瞬間だった。


そして今 2022年

カープしかない私の生活に新たに加わったファジアーノ。今では新聞記事をスクラップブックにまとめ、ファジ丸ぬいぐるみを飾り、ついにはユニフォームまで買うようになった。都合がつけばスタジアムに足を運ぶ。今年は開幕戦に大勝利と喜んでいたら、けが人が出たり、山形戦が再試合になったりとジェットコースターのような始まりにハラハラしてしまう。

負けたら悔しいけれど、勝った時の喜びは格別。選手たちの笑顔を見ているとこちらも元気が湧いてくる。だから応援をやめられない。諦めないDNAを持つファジアーノは岡山の誇り。ファジアーノがある限り、ずっと応援し続けたい。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?