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陸上実践報告書〜東京マラソン2024までの軌跡と奇跡〜


3/3 自分の大きな夢だった東京マラソンを走ってきた。本気で自分の夢に向かって取り組んだからこそ見えてきたことを文章という形で残しておきたいと思う。


どうして東京マラソンに出たかったのか

僕が東京マラソンに憧れた理由。それは僕が尊敬している大迫傑選手の影響が非常に大きい。

東京マラソン2020、大迫選手が当時の日本記録で五輪を決めた。本人の魂の走りは勿論のこと、ラストの石畳で日本記録を確信し、大歓声の中帰ってくる姿、そしてゴールシーンはカッコ良すぎた。僕が見てきたゴールで一番美しかったのは、大迫さんの東京オリンピックでのゴールであり、かっこよかったのは東京マラソン2020でのゴールだ。

でも、自分だって頑張って走ってる。指を咥えて憧れるのだけは勿体なくないか?


「憧れるのをやめましゃう」
大谷選手の伝説の名言、まさしくこれだろう。
そして、僕の陸上人生を振り返ってみると、大舞台で大歓声を受けると言うものがほぼ無に等しかった。いつも地方予選敗退。高校の同期はリレーで大応援を受けたり、日本一になって今も活躍してる友達もいる。そんな光景を外から見てきた僕は心の裏腹でこんな思いがあったのだろう。
「自分も陸上で最大限輝きたい。結果を出して、最高にカッコ良くありたい。」

単純すぎる。でも、これが本質だった。ふと思えば、陸上を始めた理由も学校を背負って襷を繋げば皆に応援されるからだった。そこで快走なんてしてしまえば、カッコ良すぎる。

東京マラソン2020での大迫選手のゴールシーン

このシーンが好きすぎた。大声援の中、快走して、ベストを確信してゴールする。目指すところは違えど、同じ東京でこのシーンを僕なりに再現する。それが、僕が一番輝ける瞬間だと思った。更に、同じ舞台で自分の限界を突破して大迫選手が見た景色、感じた気持ちを少しでも味わってみたかった。

「めちゃくちゃカッコいいし、輝いてるな」

そんなアホらしく少年のような動機で約3年間、マラソンに取り組んだ。でも、ここで本気になれたのは僕の良いところでもある。周りに動機は言ってなかったが、自分を全力で応援してくれる人間が居たのも大きかった。

ただ、マラソンは難しかった。東京マラソンに出場するには抽選で運ゲーはかなりキツイ。なんとしても準エリート以上の資格タイムが欲しかった。そこに向けてトレーニングを重ねるもマラソンで成功しない日々が続いた。しかし、2023の姫路城マラソンで遂に東京マラソン2024への挑戦権を得ることができた。

姫路城マラソンも奇跡のようなレースだったが、その根本にはアホみたいな動機がある。それでも本気になれば目標を達成してしまうこともあるので人間はいかに心に火をつけられるかだと思う。

何とか資格タイムはクリアしたところで、次は東京マラソンで爆走するための1年が始まった。

東京マラソンまでの準備

トラックシーズンまでのアプローチ

何事も目標が大事である。爆走という抽象的な表現ではなく、数字として具体的に目指す方向が欲しかった。そこで、1年後の東京マラソンに向けて以下の目標を立てた。

マストは自己ベストの更新で、可能なら2時間22分台を出すこと。
+アルファは日本人女子選手1位と勝負して、テレビにめちゃくちゃ映る。

どちらにしろ、自分の基礎能力を上げないと厳しいのは間違いないため、期分けを意識してトレーニングを行うようにした。

レースペースで押し切るトレーニングをすることも一つの手だろう。しかし、自分の場合、それを年間通して出来るイメージは1mmも湧かなかった。それならマラソンシーズンまで自分の基礎能力(スピードとスタミナ、レース運び)を磨くこと。好走した姫路城マラソンと同じ感覚では走る中で、自然とペースが上がっていることを求めた方が良いと思った。

姫路城後のオフ期間に、いつも参考にさせていただいている、有馬さんのポストをひたすら検索してヒントを探す旅に出たり、フォロワーさんの経験談をまとめて自分のトレーニングを想像した。(その段階が実は一番好きだったりする笑)

有酸素は低い強度から、スピードはスプリントから丁寧に向き合った。だから、年間通して同じ練習という形ではない。必要な時に、必要な練習が求めるレベルでこなせれば良いなというスタンス。

ヒルスプリントや150や300のレペなんて、正直、苦手でしんどい。しかし、それがやらない理由にはならない。必要だからやる。大迫さんの言葉を常に頭に入れて取り組んだ。足が遅いことを受け入れつつ、それでも少しずつ進歩していくのが楽しかった。

また、例年は春シーズンからトラックレースに出るが、今シーズンは有酸素系の刺激の一環や仕上がりを感じたタイミングでレースに出るようにした。周りのランナーが好記録を出す状況に左右されないように、淡々と練習をこなした。

レースへの向き合い方も大きく変化した。簡単にいうと、一喜一憂しなくなった。僕の経験上、1発目から良い記録なんて期待しない方がいい。練習でもレベルが上がって行う段階より、最初の段階の方がキツく感じるのだ。例えば、vo2maxのトレーニングでよく行う1000m×3本も一番最初に2’57あたりで行う時の方が、数サイクルして2'50でやるよりキツかったりする。仕事だって、レベルアップした仕事より基礎を覚える段階の方が難しく感じる。

大事なのは人間は刺激に適応できるってことだ。だから、ほとんどのレースの目標が速く走ることより、必要な刺激を得ることに変わっていた。

別に目標にした記録が出なくても、その日の目標のハードルを下げてクリアすれば、メシと酒は美味いじゃんという適当なスタンスを持てるようになった。でも、そんなスタンスの方が記録が出てしまうこともあったので、陸上は面白い。

僕の練習や人生は魔虚羅理論です。何を言ってるかわからない方は呪術廻戦を読んでください。

勿論、結果を狙ったレースでは神経質になるのは仕方ない。それでも、仕上がったタイミングを狙ってレースを選択してたこと、それまでに順当に刺激に適応するようにレースに出たり、練習を消化していたことが上手くハマり、狙ったレースでもベストを出すことができた。

夏の山口ナイターで出会った猫さんとyoshidomiさん
このレースでは苦手な夏でも、3000mのベストを更新でき、練習の組み立ての重要さを実感。

そんな真面目に考えたり、適当に過ごしたりした結果、今季のトラックシーズンは躍進だらけだった。1500mから5000mの全てで自己ベストを更新、10月の10kmロードでも大分県内で3番になることができた。自分のレーススタイルにも磨きがかかった一年だった。

一番目標にしてた5000mで14分台が出なかったのは残念だったが、狙ったレースで目標記録が出なくても現状満点の走りをした自分を認めるのも案外心地よかった。
仮に目標が達成出来なくても、進歩すると嬉しい。自分の中に残るものがある。
この感覚が東京マラソンへ繋がることとなる。


別府大分毎日マラソンの失敗から

トラックシーズンの終わりに東京マラソンに向けて刺激の一環で走った12月の福岡国際マラソンでもセカンドベストを出すことができた。福岡の美女だからの中、30kmから爆走してごぼう抜きした経験が最高に心地よく、自分のやりたいマラソンの形が決まった。

それから12月に走行距離を増やし、40km走や30kmの変化走も取り入れた。
しかし、1月に入り、トレーニングの算段が崩れ始める。体調を崩して、やりたいトレーニングができなくなってしまった。そして、迫り来る別府大分毎日マラソンを意識し過ぎて、大きな失敗を2つしてしまった。

「二兎追うものは一兎を得ず」ということわざがあるが、実は東京マラソン以外に大きな目標があった。それが地元別府大分毎日マラソンで、大分県内1位を獲得することだった。それが良くない方向に働き、自分らしさに影を潜め出す。

まず、レースまでの準備で失敗があった。練習の内容がvo2maxよりに偏ってしまったりと、長く走る練習を避けてしまった。頭ではわかっていたものの、記録より順位を狙うレースだったので、どうしてもハイペースに対応しないといけないと焦っていた。結果、短い距離は走れるが、フルマラソンに適した身体になってなかったと思われる。

12月に好走した福岡国際マラソンの成功体験で、スピード重視でもフルはいけると思ってしまったのが仇となった。(成功体験は判断を鈍らせるので、注意した方が良いという教訓を得た)

次にレースの進め方で失敗があった。先述したように、別大マラソンでは、記録より大分県内1位に与えられる池中杯を狙っていたため、自分には適してないペースでレースを進めてしまった。結果、20kmで脚が止まり、DNFしてしまった。僕には攻めるマラソンは合っていなかった。

この大会で攻めたことも後悔してないし、DNFもナイス判断だったと思ってる。でも、やはり池中杯のタイトルは欲しい。そこに向けては5年後ぐらいのチャレンジにしてみることにした。

フォロワーさんに頂いた有難い指摘。これまでの快走したマラソンの経験と照らし合わせて、自分のマラソンへの向き合い方に気づくことができた。どちらにしろ、本気で別府大分マラソンに向けて取り組んだからこそ、見えた失敗と収穫だった。

東京マラソンまでの修正プランと取り組み

東京マラソンまで約1ヶ月。まずは、ひたすらに失敗要因を分析した。そこで見えてきたのが上記のこと。

そしてトレーニングは有馬さんの理論に立ち戻った。距離を増やす、レースタイムを超えるロング走、LT1-LT2の比率を増やす、そこに絞ってトレーニングを行った。

別府大分毎日マラソンを早急にDNFした結果、ダメージは少なかった。そのため、東京マラソンまで疲労を抜く形ではなく、特異性の重心をマラソンに合わせる形で仕上げるようにした。

特異性の重心とは?
難しいことを言っているような気がするが、簡単にいうとその種目に向けた身体にすることである。
極端に言うと、短距離選手が100mを簡単に10秒で走れるのに、それよりも格段に遅い1500mで4分を切れないのは、100mを最速で走るだけの体になっていたからである。
長距離種目でも、特異性の重心は変化する。
それは個々の適性もあるが、トレーニングの内容でもある程度は変えることは出来る。

僕はその感覚をトラックシーズンの取り組みから感覚であるが理解していた。もう少し、この練習の頻度を落として、ここに振れば結果は変わったかもというのが何となくだが分かっていた。

だから、疲労を抜くために距離を落とすのはマラソンは向けてマイナスだと判断。1月までに鍛えたスピードを多少減少させる代わりに、42.195kmを押し切れる身体づくりを早急に行った。

次に東京マラソンへ向けて、実際に行った取り組みは以下の通りである。

・シンプルに走行距離を増やして、特異性の重心をマラソン仕様に変えていった。
 朝晩のjog(約15kmずつ)や2時間jogを積極的に行った。走ること自体は問題ものの、バイト等日常生活で、ほぼ毎日8時間ずっと立ちっぱなしだったから、それなりに大変だった。むしろ、立ち仕事が多かったのも短期間でマラソンの脚を作れた要因かもしれない(笑)

・ロング走は42km走と40km走を1回ずつ(ペースは3'45/km程度)
 寒かったり、風が強かったりしたけど、マラソンを走り切れるイメージ、少しずつエネルギーを出していくイメージで行った。ロング走はやはり時間をしっかり走ることがマラソンの力の使い方や後半の疲労を再現できると思う。加えて、極力単独走でやった方がレースでの強さにも繋がりやすいと思う。


・20km変化走(3km3'25-30秒-2km3’15-20秒)×4やjogの中に150mの流しを何本も入れた。
 1月までのトレーニングや別大マラソンでvo2maxからLTまでの刺激は十分だと判断し、それらを調和させるイメージで行った。そして、乳酸の回転力を鍛えて、反転術式の習得も図った。

フルマラソンにおける反転術式とは、走りながら回復する能力のことである。強いマラソンランナーはこの能力がずば抜けている。詳しくはmaruさん@marunet_のポストを読んでいただきたい。

・郡市対抗駅伝10km 32'54
 東京マラソン9日前に駅伝。大凡走。しかし、急に走る量を増やした影響や特異性の重心がフル仕様になっていたからとポジティブに捉えた。しかし、このレースで起きた差し込みを東京まで引きずることとなる。

・レース1週間前のダブルレスト(土日)
 駅伝のダメージと嫌な感覚があったため、テーパリングのテンプレをガン無視して、一気に休む事に。結果的に疲労が抜け、良い感覚のjogができるまでに回復。迷いなく休めたのは、1月の体調不良からすぐに戻せたという経験が大きかった。

セルゲーム編で精神と時の部屋から帰ってきたら孫親子はひたすら休んでいた。ドラゴンボールはいつでも大切な事を教えてくれる。鳥山明先生に心なら感謝!
(漫画:DRAGON BALLより)



・レース4日前は8kmのビルドアップ走
 好調ではないが、駅伝よりはマシになっている事を確認。あとは当日の体調次第で何とかなるレベルまでは戻すことができた。

・緻密な作戦も計画した。
 フルマラソンは甘くない。自分がパフォーマンスを出し切れる作戦を自己分析を踏まえて立てた。なんやかんや頭のトレーニングは本当に大事だったと今では思ってる。
①「FLOW」に入るプランを作成

パフォーマンスが最大限発揮できる「FLOW」状態を意図的に作り出す方法を考えた。自分の場合、それはタイムを意識するより、前から落ちてくるランナーを拾いまくることに集中することだった。実際にこれまでのレースも、そのようなレースの方が好記録が出ていた。自分の本質はカッコよくありたいし、チヤホヤされること。東京の大歓声の中、それができれば楽しいし、アドレナリンでペースも上がるはず。相変わらずアホらしいが、その可能性に賭けた。
(漫画:ブルーロックより)
カッコよくなるべくして、カッコよくなりにいく


全ては後半戦に賭けるため。東京マラソンは入りの5kmが下りでスピードに乗れても絶対に飛ばさないようにした。そして前のランナーが落ちてくるチャンスが来るまで、死んだフリで力を溜めておく意識を持った。
(漫画:HUNTER×HUNTERより)

②マラソンに間に合う意識を見つめ直した。

42.195kmという距離に恐怖を持つ方が、こんなもんでなんとかなるだろうと思うより大事。大迫選手の著書に書いていた言葉。僕はマラソンが正直怖い。その気持ちを大事にして、臨むことにした。他にも周りがすぐにペースを上げても、自分は1kmかけて追いつくぐらいの気持ちも持つようにした。

心身ともに準備はやり切ったとと思うほど行い、東京マラソン本番へ臨むこととなる。

東京マラソン当日

絶望の序盤戦

 睡眠もしっかり取れ、レース会場へ向かう。かなり早い段階で水分が没収されたのは誤算だったが、そこまで影響はなかった。かなりギリギリの到着になったこともあり、上半身をほぐし、ウォーミングアップは約1kmほど流しを入れながら行った。

ここからはレースの様子を述べていきたいが、正直言って詳細まではあまり覚えない。

とにかく覚えているのは、しんどかったと言うこと。序盤でマジで終わったと思った(笑)
しっかり不調を感じたし、謎に低血糖状態で身体が動かない。おまけに抱えた差し込みも笑顔でチラチラ顔を出してくる。序盤の5km下りは抑えていくプランだったが、それでも思ったよりペースは上がってなかった。そこで決断を迫られる。
「悔しいけど、ゴールだけはしよう」
金と時間もかけてるし、ゴールできないことが何よりも嫌だった。

そんな事を考えながら走ってる時に救世主が現れた。
三津家さんだ。日本最大のランニングインフルエンサーが後ろから、元気にやってきた。

大声援に応える三津家さん(中央)と、羨ましがる僕(右)

鳴り止まない「みつか(みつや)」コールに全力で応えて誰よりも楽しそうに走る三津家さんを見てると、自分の中である思いが復活する。
「爆走の中、ピンポイントで応援されてぇ、チヤホヤされてぇ」
とりあえずゴールすることから、今できる自分のベストを尽くして、現状を耐え、後半の大爆走を待つことにした。

一度崩れたレースプランが、アホみたいな動機で復活。ここから僕の本当の東京マラソンが始まった。

始まった復活劇

15kmまで耐えるレースが続いたが、そこから前を走る集団が見えてきた。とりあえず、その集団にハーフまでに追いつく目標を設定した。

予定通り、中間点で猫ひろしさんが走る集団に追いつく。ここでの通過タイムは1時間13分22秒。単純計算でこのままいくと2時間27分切れるかレベル。だが、この辺りから体の調子が戻ってきたのを感じたので、ここから勇気を持って単独走でビルドアップしていく。先日、日本記録を出した前田穂南選手をイメージした。
タイムは気にせず前を行くランナーを抜きに行く。ここからは5km毎でも時計はほとんど見ていない。

前を拾うだけ。追いついても、ペースを変えず一気に抜きに行く。ただ、急激なペースアップやペース変化はお腹に良くないので、そこだけは冷静に走れていた。上りや下りで急激に変えず、全体でペースを合わせにいく感覚は、日頃の起伏でのトレーニングで磨かれていた。
そしてごぼう抜きする自分を最大限カッコ良いと思い込む。そう思えると、不思議とキツいなんて感情は出てこなくなる。

現地の友達が撮ってくれた写真。カッコ良いと思いこんで、走ってると意外とカッコ良く映るので、やっぱり思い込みは大事である。


タイムの方も実際には5km17分あたりで進んでいたようで、序盤より約20-30秒(5km)のペースアップをしていた。正に予定してきた「FLOW」状態に入っていた。
「楽しくなってきたぁ」

ニカに覚醒したルフィのように、体の動きとリズムがどんどん良くなってくる。30kmから35kmもペースが落ちずにカバーする。リアルにこの時は最強だったと思う。

だがこの辺りから強烈な向かい風でキツくなる。でも、どこがキツイか自分と相談する。大迫さんの本に書いてあった事だ。キツかったのは、重くなってくる脚であり、呼吸ではなかった。これならまだいける。頭の中は「治せ治せ!休むな!」状態。

偶然、追いついた外国人たちにあえて「行けるいける!」と声をかけて自分自身をも煽った。彼らもそのノリにもペースにもついて来てくれた。まさかのここにきて、外国でレースをしてるような雰囲気になったが、一瞬ペースが落ち、それが良かったのか身体が生き返った。反転術式発動である(笑)

そして40kmは2時間18分11秒。ここで久しぶりに時計を確認した。自分に向き合ってレースを進めた結果、諦めてたベスト更新に可能性が出てきた。そして僕の東京マラソンは憧れた最後の石畳へ舞台を移す。

憧れの石畳とゴール

憧れた石畳に帰ってきた。ここからは、とにかく長く感じた。だけど、止まない声援。ケニア🇰🇪コールも嬉しかった。まさに僕が3年間求めてきた景色がそこにはあった。

キツいけど、体を動かす。ゴールまであと200m。
自己ベストの更新はかなりギリギリなところ。最高にハラハラする展開が来た。自分にできるをやり切る!

ダッシュして、ゴールに飛び込んだ

目の前のことに全力で、大迫さんみたいにかっこよくゴールなんて出来なかったけど1秒でも削る気持ちの方がカッコ良いと今では思うので、全く問題ない。
そして、ゴールタイムを確認する。

2時間25分29秒

たった5秒だけど、序盤の展開から自己ベストは奇跡だった。ゴール後だけど、渾身のガッツポーズで叫んだ。最後に競り合った外国人達とも抱き合った。テレビには映らなかったと思うので、裏東京マラソンとかいう番組があれば、是非取り扱っていただきたいシーンである。

ダメかと思ったレースでベストまでありつけた事。
それは今までのトレーニング一つ一つや、自分の経験が繋がったこと。そして、何よりも後押ししてくれた人たちの存在が欠かせなかった。
僕は東京マラソンを楽しく走れたことでも十分だが、自己ベストという形でそんな人たちや今までの自分に応えることができたのは、心から誇れる最高の勝利だったと思う。


レース後に友達との一枚。この笑顔が、僕の気持ちを最大限表してる何よりの証拠。
撮影してくれた、新しい友達との出会いにも感謝!


ペース配分うっま。

アフター東京マラソン2024

レースの余韻に浸ってると、嬉しいことにあるお二人から「飲みませんか?」の連絡を頂く。


1人目は神奈川県のエリートランナー、おりゅうさん@heel_striker
絶対に面白い人だろうなと思っていたが、実際に会ってみたら想像以上だった。変○の僕が言うのもアレだが、しっかり変○で心地よかった笑
しかし、陸上への向き合い方に惹かれた。近い将来必ずサブ20する方だと思うので、ワークマン社は早めに彼にスポンサー契約しておいた方が良いと思う。
福岡か大阪で再び再開する約束をしたので、次は同じレースを走って呑めたら、さぞかし面白いだろう。ごちそうさまでした!


そして、2人目はトレーニングの師匠的存在である
有馬さん@EugeneArima

余韻に浸る中、急に連絡が来て驚いたが嬉しかった。有馬さんの理論なしでは今回の結果どころか、ここまで伸びることはなかったから、感謝の気持ちを伝えられてよかった。魅力的なポストの裏側にある背景やご本人の言葉で実際の考えを聞けたことはとても勉強になった。何よりも今回の東京を踏まえ記録が一気に伸びない事を気にしていたが、有馬さんに一気に伸びすぎない方が良いと言って頂けたことはとても嬉しく、自信になった。
めちゃくちゃ良い人だし、話してても面白い!また違うフォロワーさんとも交えてお酒飲みに来たい。ごちそうさまでした!

大好きになったランニングから僕が見つけたこと。

「走って、悩んで、見つけたこと」という見出しをつけようと思ったが、完全にアウトなのでここは柔らかくした見出しにしておきたい。
初投稿ながら、非常に長い文になったが、最後に僕が感じた大事な事を二つを言いたいので読み進めてほしい。

一つ目は僕の言ってることを全て鵜呑みにしないでねってこと。
今回は実際のメニューも載せた。そして、投稿が多くの人に見て貰えてると思って、敢えてこのことを述べておく。

もちろん練習理論的なのは案外的を得てる自信はある。しかし、誰かの練習をまんまパクっても意外と結果につながらない。かつての僕がそうだった。今の僕は有馬さんの理論にして取り組んでいるが、メニューの詳細は自分に合わせて調整している。
「速いランナーがやってるから、言ってるから」だけでは見えてこない部分がある。
この点に関しては、元々速くないランナーから、そこそこ走れるランナーに駆け上がったので謎に自信がある。

まずは自分と向き合って、自分の特性や体力を見極める。そしてアレンジするときの材料にしていただけると嬉しく思う。ここでは、誰かのトレーニングより自分の想像力に委ねるのも一つの手だろう。
ただ、間違いなくこれだけは言える。
「つべこべ言わず、ジョグをしろ」(笑)

二つ目は、半歩でも進んだ自分を認めて、その僅かな成長を全力で楽しむこと。

大きな目標は大事だと思う。僕もその一心でここまで頑張れた。でも、その目標に縛られて走る事を楽しむ自分を見失うことや、周りの人への感謝を失うのが1番良くない。

今ではものすごく恥ずかしい話だが、僕も結果に囚われて自分を失い、それがきっかけで大好きだった彼女に振られたりもした。誰かを傷つけるまで自分ばっかり見てる時に結果なんてついてくる訳なかった。

これだけは頭に入れておくと良い。多くの人にとって他人の結果なんて大概はどうでも良いのだ。
それでも、応援してくれる人、支えてくれる人がいるなら、そんな人達を全力で大切にしないといけない。そのためには?自分が楽しんでいる姿を見せること。

それは嘘の楽しみであってはいけない。楽しむの基準を結果だけに置くと、楽しむことの難易度が一気に上がる。
本当に僅かでも良い。それが年間の努力の結果だとしても!だから、僕は少し前の自分と比較して少しでも成長があれば、大いに受け入れることにした。そんな積み重ねの先に、大きな結果が手に入れば良いなーぐらいのスタンスが丁度良い。僅かでも自己ベストを更新なんてしたら、朝まで宴をやってしまおう!呑んだくれて次の日、死のう笑
それだけ、過去の最高だった自分を超えることは難しくて、価値のあることだと思う。

そのようなことを言いつつ、自分の言ってることに実は確信がない。社会人にもなってないし、適当なことを言うなって言われるかも知れない。でも、まだ24歳だし、未来の自分がどれだけ走れてるかわからない。走ってないかもしれないけど、何かしらの形で、5年後、10年後、それ以上の未来で自分が今言ったことを証明している未来に賭けたいと思う。

僕のスタンスはいつでも恩師の言葉だ!

それでも、やっぱり突き進んでるのがランニングだと嬉しい。環境が変わっても、これまで以上にランニングを楽しむつもりである。時間はかかっても良いから、自分が見たことない景色を見てみたい。ランニングのことで、友達や知り合いと戦いたい。語り合いたい。酒も飲みたい。

ランニングはシューズと道があればできる。それだけで自分が満たされ、魅力的な友達や仲間がたくさん増えてきた。それだけは10年走ってきて言える。

非常に長い文になったが、ここでタイトルの伏線回収。なぜ、「陸上実践報告書」なのか。
最後なんでね、親と一部の友達にしか言ってなかったことをいいます。

陸上を全力で楽しむために、本気でマラソンに向き合うために、家族に無理言って大学院まで進学させて頂きました。
マジです。
多くの院生が進学きっかけにするのは研究がしたいからとか、就職のためだとかなんだろうけど、僕は自分の夢に近づくために、この2年という時間は絶対に必要だったから。
本気で走るために本気で時間を買わせていただきました。

友達から「そんな奴はお前だけだ。」と言われますが、社会人なる前に、全力で向き合う時間が欲しかったんです笑
それでもこの決断に間違いはなかった。もっというと、大正解にできた。本当に家族には感謝しきれない。ありがとう。
そして、タイトルの話へ。自分の所属した大学院では、修士論文として教育実践報告書というものを書きます。
当たり前だが、走ることの方が全力で頑張ったし、心の底から楽しみきった証拠として、今回の投稿を裏修士論文、陸上実践報告書として残しておきます。

【引用参考文献】
陸上を楽しくしてくれた、リアル、SNS、全ての皆さんとの出会い


サンクス!


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