シリーズ【ふせんをはりたい、ことばたち。】 #3 「でも、それを待つときの楽しさだけはまちがいなく自分のものですもの。」(モンゴメリ「赤毛のアン」より)
(過去の記事はこちらです)
「あのね、マリラ、何かを楽しみにして待つということが、そのうれしいことの半分にあたるのよ」
世界中で読み継がれている、モンゴメリの「赤毛のアン」。カナダの美しいプリンスエドワード島を舞台にした物語です。
孤児院から中年の兄妹(マシュウとマリラ)のもとに、手違いで引き取られることになった、12歳の少女アン。
感受性豊かなアンは、周囲の様々な物事にその感性を大きく開いていきます。
夢見る少女のフワフワした物語だと思われがちな、赤毛のアン。
読んでみるとわかるのですが、結構現実的なのです。
時代こそ100年以上前ですが、登場人物は今でも隣近所にいそうな人が多く(描写が素晴らしいので)、悩み事も根本は今も昔も変わらないのだなぁ、と感じたりします。
アンが生まれて初めて行けることになったピクニック。
その日を一喜一憂、有頂天になるほど待ち望んでいるときに話した言葉です。
よく書き抜かれるのは、
「あのね、マリラ、何かを楽しみにして待つということが、そのうれしいことの半分にあたるのよ」
という部分のみなのですが、私はいつも、この続きの言葉も素敵なのにな、と思っています。
「そのことはほんとうにならないかもしれないけれど、でも、それを待つときの楽しさだけはまちがいなく自分のものですもの。」
マシュウとマリラに引き取られる前、アンは不遇の少女時代を送っていました。
絶望してもおかしくないような厳しい現実に向き合っていましたが、幸いなことに、素晴らしい想像力が備わっていたアン。
ガラスに映る自分を心の友達にしたり、空想の力でなんとか自分を保つことができました。
未来は思い通りになるとは限らない。
でも現在の自分の心は、間違いなく自分のものだと知っていたアン。
そんな事実に気付かされるような言葉だと思いました。
ここまで書いていて、
あっ!これって、この「ふせんをはりたい、ことばシリーズ」の#1でとりあげた濱口秀司さんの言葉と、ちょっと通ずるものがあるかも?!
と気づきました。
自分でコントロールできないことは、やっぱり多い。けれど、ピクニックをワクワクしながら待ち望んでいる現在の気持ちは、間違いなく自分のものですよね。
ということは…
裏を返せば、恐れているような未来を想像してしまう現在も、間違いなく自分のもの…ということになってしまいます!
それはなんだか、いやだなぁ。
それには、小さいことでもいいので、楽しみに待つことを増やしていくのがいちばん良いのかな、と思いました。
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