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師と仰ぐ人たち

恥ずかしいくらい色んなものの影響を受けやすい性質らしいので、見る人が見れば私が誰のマネをしているのかなんてのは丸わかりなんだ。

絵についてはなぜだか物心ついた時から描いていたけど、ここ数年で自分のことを漫画にしようとしているのは永田カビさんの影響だ。

東京にいた時にTSUTAYAをぶらぶらしてたらたまたま背表紙が目に留まる。

本当にただの偶然だった。

「さびしすぎて」とはなんだろう…と読み始めて、人生で最高の共感をすることになった…それと今読み返しても感じるんだけど、よくここまで赤裸々に描写できたなって…私も描いてみてはいるけど、あの人ほどの覚悟はきっとできてない。

あの人の方が何百倍も苦しんで描いている。

やりすぎなほど。

文章のブログに関しては整形外科でやっと少し両腕が動くようになった頃、病室の片隅で、音声入力で投稿し始めたのが最初だった。

飛び降りる前もたまに投稿してたけど不定期だったし、当時はまさしく裏アカであったので、誰にも言えない秘密をしたためていた。

それらの呪詛めいた文章たちは、結局『栗日記:自殺直前編』という形で全霊を持って本にした。

おまけで家族しか読んでない遺書まで公開。

この奇行について栗本人は「マジで楽しかった」と供述している。

いまだにブログが続いているのはにゃるらさんという人の影響が大きい。

Twitterでのつぶやきも喋り方も、いつの間にやらあの人の模倣になっていた。

ただあの人のような該博な知識に基づいた内容の文章は書けない。

マネしようとしたけどできなかった…天才だよあの人…すごいのは知ってたけどここまでやるとは…インターネットやってるとしばしばそういうことがありますね。

誰にだって師と仰ぐ人はいるとして、明らかにその人のマネだってわかるとなんだか恥ずかしい感覚ないか。

一人からパクればそれはパクリだが、複数人からパクればそれはオリジナルだという。

私は結局どうなりたいんだ。

新刊もバリバリによろしく!

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