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【小説】Lento con gran espressione(4)

 翌日はお店の定休日だった。わたしはパジャマのままお父さんの写真を何気なくぼけっと見つめていた。スマホが鳴った。お母さんからだ。話すのは久しぶりだった。お父さんが亡くなったことがきっかけでわたしたちはあまり口をきかなくなっていた。少しためらいがちに話は始まった。

『月子、元気にしてる?』
「うん」
『あのね、急にごめんね。今日は少し急ぎの用なのよ』
「うん」

 わたしは「うん」しか言えない自分に腹が立った。こんなんじゃだめだ。でも構わずお母さんは続けた。

『実は亡くなった瑠璃子おばさんが、月子に家を譲りたかったらしいの』

 突然のセリフに頭が追いついていかないわたしにお母さんは説明した。

「へ?」
『だから、遺産なんだって。瑠璃子おばさんの」
「遺産?」
『そう、遺産』
「どういう意味?」
『わかんないのよ、詳しいことは。でも月子に家を残したらしいのよ』
「わ、わかった。でも、なんでわたしなの?」
『お母さんも、わかんないの』
「家? って、たしか町田のお屋敷のことでしょう?」
『お屋敷ってほどじゃないのよ。小さな一軒家』
「どっちにしても、なんでわたしなの?」
『だからお母さんにもわかんない。月子、身に覚えない?』
「ない、全然」
『えー? そうよねー? いったいなんだろうね? おばさんったら』
「あのさ、お母さん、遺産って確か相続税とか色々お金かかるって聞いたことあるんだけど」
『それ、そう、それね。本当に驚いちゃったんだけど、おばさんの遺書の中から月子の預金通帳が出てきたんだって』
「どういうこと?」
『毎月振り込んであったって。合計いくらかになるから、相続税はいらないらしいのよ」
「どういう意味?」
『お母さんも、本当によくわかんないのよ』

 わたしはその辺の事情が全くわからない。第一、小さい頃一度か二度会ったことしかない、おばさん。おじいちゃんの妹だから大おばとなる。が、瑠璃子おばさんのことなのだけれど、一月前その瑠璃子おばさんが病気で亡くなった。がんだった。長い間患っていたらしい。わたしは顔もろくに覚えていなかった。遺影を見てうっすら記憶を遡ることしかできなかった。

 そしてお葬式の時、どうやらなにか遺産があるらしいということはだけお母さんが、おじいちゃんに聞いたのだった。でもその場では、おじいちゃんも確かなことがわからなかった。そしてあとから弁護士と相談したら、今回のことがわかり、びっくりしてお母さんに連絡してきたらしい。

 瑠璃子おばさんは独身で子供もいなかった。直接相続する人はいない。そして、残った町田の家を私に⋯⋯。

 私も勿論お母さんもおじいちゃんも驚いた。青天の霹靂とはこのことだ。

『とにかく、一度おじいちゃんに会いにいくわよ? 月子にも会いたいって』
「お葬式の時、会ったのに?」
『ばたばたしてたでしょ? 今度はゆっくり話したいのよ』

 雨が降っていた。夕方のお店はお客さんは殆どいなくてテーブル席に一人だけ。ご老人のそのお客さんは熱心に本を読んでいた。カウンターには誰もいなかった。そこには洋子さん、小林さんと菅野くんが揃っていた。

「それで? どうするの?」

 洋子さんは興味津々だ。レジの横に深紅のお花を生けながら訊いてきた。アネモネコロナリアダブルというらしい。花弁が細い線上で細かくて、繊細で可愛らしいお花だ。わたしは答えた。

「一軒家って、手入れとか結構大変らしいんですよ」
「その年齢で家を持つってすごいわね」
「断ろうと思うんです」ため息をつく。
「ってことは遺産放棄?」
「おじいちゃんは、もらっておけの一点張りで」
「確かにもったいないわね。いらない場合、どうなるの?」
「おじいちゃんが遺産相続人になって土地を売却するって」
「お家は?」
「その場合、更地にするしかないらしいです。わたしもしょうがないかなって。だって、おばさんには悪いけど、そんなに話したこともない人だし、そんなことちょっと考えられなくて。気が引けるというか」

 菅野くんが「ところで、なんで月子ちゃんなんでしょうかね? それも相続税まで用意してたんでしょ? そんなに会ったこともないのに」とお皿を拭きながら訊いた。

「謎よね」
「謎ですね」
「謎だな」

 洋子さんが腕を組みながら思い立ったように言った。
「そのお家、どんな感じなの?」
「え、行ったことないんで、知らないんです」
「それはまずいな」菅野くんが最後の一枚を戸棚に閉まった。
「え?まずいって?」
「亡くなったその人、瑠璃子おばさん? っていう人が枕元に化けて出るかもよ」「こ、怖いこと言わないでくださいよー」
「⋯⋯ねえ、せめて見に行ってから決めたら?」
「えー、なんでですか?」
「わたしね、きっとなにか意味っていうか理由があると思うのよ」
「俺もそう思うね」
 小林さんが頷いた。
「きっとありますね」
 菅野くんが同調した。

 わたしは、うーんと唸ってしまった。すると小林さんが洋子さんと目配せしたようだった。なぜかはわからない。 ふいに小林さんが「ああ、そうだ」と言った。

「月子ちゃん、悪いけどパン買ってきてくれる? ちょっと明日のが無いんだ」「あ、はい」

 わたしは重い気分のまま、レジからお金を取り出して店を出た。

 

 町はさっきより小雨で、霧がうっすら出ていた。坂の下からはい出している。人もまばらで色とりどりの傘がちらほらと動いていた。裏手には料亭が多いので和装の人も歩いている。足元が心配だ。わたしはいつもの木村屋さんに急いだ。少し寒い。急ごう。カーディガンを内側に引っ張った。途中、駄菓子屋とおせんべい屋さんがあって、ご主人たちが、わたしをみかけ声をかけてきた。傘を傾ける。

「よ、月子ちゃん、おつかい?」
「パン買いに木村屋さんに」
「おつかれ!」
「月子ちゃん、焼き上がったばっかのせんべい、持っていって」
「いつもすいません」
「今、何人いる?」
「えーと、洋子さん、小林さん、菅野くんとで四人です」
「じゃあ四枚ね、はい」

 白い紙に入ったそれは、確かにまだ温かかった。お醤油のいい匂いが漂ってきた。

「ありがとうございます」

 ここの人たちは都会の人たちだけれど、このおせんべいのように温かい人が多い。会釈して道なりを急いだ。

 お使いから帰ってくると、とんでもない話になっていた。
「小林さんが車を出すから」
 町田までみんなで家を見に行こうというのだ。
「どうしてそうなっちゃうんですか?」
 呆気にとられているわたしを他所に話はあれよこれよと決まっていった。
 決行はお店の休業日の水曜、午前十時小林さん宅に集合、十時半出発、ナビは小型のものを菅野くんが持ってくる。ランチボックスは洋子さんが準備!

つづく

次回(5)お楽しみに!


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