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月光浴

朝から窓に張り付いていた蜻蛉を眺めた。まだ春なのにこんなに早く成虫になってしまったらしい。蜻蛉は口と腸がなく食べることがないので寿命が短い。早くて一週間、長くて一ヶ月ほどらしい。だが繁殖に特化した作りなので生命体としての寿命は長い。昔蜻蛉のような人生なのかと嘆いた詩を詠んだ事がある。否、嘆いたというより憧れか。長生きしたくないという考えは変わらない。そんな思いがたまに負のエネルギーに変わって自死を考えることもある。でも出来ない。だから今も生きてこの記事を書いている。昨日の夜、正確には今日の朝は月が美しく夜空にほーっと浮かんでいた。部屋の中は暑く寝付けない。窓を開けて寝た。月の光が顔に当たった。不思議なこと嘘のように不眠症が解消してよく眠れ、朝になったら気持ちが晴々していた。なんだ、月光読書なんて書いてるくせに思いつかなかった。月にはそんな浄化作用があったのだ。知っていた筈なのに、いつか忘れてしまっていた。何のために詩を書いて来たのか。生きるためでもあったんじゃないのか。それでもまだ身体は本調子にはならぬ。ベッドにいる。色々な命を使って生きている。色々な命を消費して生きている。感謝すればいいのか。わからない。それでもしようがない衝動は起きる。いくつもの夜を過ごし超え私は生きていくことを選択する。毎日の食事をする。そうして生きる。月は私に囁く。生きて行きなさいと。それは言葉ではない。光、希望の。太陽のような威圧感はない。限りなく優しい抱擁なのだ。私は今日も月光を浴びるだろう。今日も明日も明後日も、そこに月がある限り。そういえばこのエッセイ今回が100話目だ。よくこんなに続いたものだ。


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