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「 #メタバース進化論 」感想文

ねむちゃんおめでとう。


まずはねむちゃん、初の著書出版、おめでとうございます。
すごく内容の濃い、そして圧巻のボリュームでした。
たしかにここにはねむちゃんが体験してきた「リアル」がありました。
それでは順に感想を書いていきたいと思います。

「はじめに」から見える、
どうしようもない今の隔たり。


冒頭、マーク・ザッカーバーグのスピーチをVRChatから眺めるねむちゃん達「メタバース原住民」の様子から入ります。このシーン、なんかちょっとアレっぽいですよねw

「◯◯がやられたか…」
「しかし奴は四天王の中でも最弱…」

ネットミーム

みたいなやつw
そしてかんたんな自己紹介ののちにこの本の概要が語られ、この章の最重要ポイント「メタバースは荒野のフロンティア」「ホモ・メタバース」の項に進みます。ねむちゃん自身の紹介があっさりしてるのもいいです。内容の薄い本だとここらへんで自分の人生をダラダラと語り出してダレますからね。

まずメタバースがただの流行でないことに釘を刺すように、「すぐには儲からない」と告げます。「今のメタバースは貨幣経済以前の、しかし魔法が使える旧石器時代の世界のようなもの」という表現が好きです。
原住民(笑)からしてみればメタバースは「何もないので自分で何もかも作らなければいけない世界」なわけですが、物理現実側の投資家たちにはなにか違うモノが見えているようにしか思えない。その隔たりをこの本は少しでも狭めてくれるかもしれません。

「しかし、この荒野を開拓するのは、新大陸・惑星の開拓に等しい一大事業です。欠けているピースが山積みです。」
「私たち人類が、宇宙そのものを、自分たちが暮らしやすいように再設計するということです。それは、言わば神を目指す試みです。」

「メタバース進化論」:p14-15

神ならぬ現人類が、7日で世界を作れないのと同様、完全なメタバースもすぐにはできないのです。だからこの本は、流行りに乗って消えていくのではなく末永く参照される資料になるんじゃないかと感じました。

「メタバースとは何か/ソーシャルVRの世界」から読み取る、「ある」と「ない」ということ。


第一章では現在までのメタバースに関する解説が書かれます。
やはりわたしたちのイメージするメタバースはSF、とくにサイバーパンクの影響が大きく、「ニューロマンサー」「攻殻機動隊」「マトリックス」についてはコラムを割いて言及しています。
そして「メタバース必要七要件」が挙げられ、現在存在するサービスと照らし合わせて検証されていくと、「あれがないこれがない」のオンパレードなのですw

「メタバースはSNSのことではない」
「メタバースはオンラインゲームのことではない」
「メタバースはAR・VRのことではない」
「メタバースはNFT・ブロックチェーンのことではない」

「メタバース進化論」:p35-41

まあテレビでメタバース取り上げるときに起きてる誤解が多かったからこう書かなきゃいけないんでしょうねw
ねむちゃんご自身も最近テレビ番組に呼ばれることが多くなって必死に誤解を解こうと奮闘されてますが、これが決定版の「FAQ回答集」ですw

ただここで示唆されるのは「メタバースは決して単一の企業の提供するサービスではありえない」ということです。この物理現実の地球に複数の大陸と無数の島があって、その間を同じ身体の人間が移動するようになっているように、異なるサービスを同一の感覚で扱えることが必要なのです。

いきなりすべてが「ある」状態を作れるのは神だけです。
繰り返しになりますがメタバースをつくるのは「神ならぬ現人類」なのです。

第二章では現在「必要最小限のメタバース」といえるソーシャルVRサービスについて深く切り込んでいきます。それぞれの設計理念から生じる個性が感じられる一方、現状の問題点も指摘されていきます。

VRChat

人口が多い!たのしい!いつでも誰かがいる!たのしい!自由度高い!
でも大規模に集まることはできない…Unityめんどくさい…
経済性の概念がない…バーチャルマーケットでお買い物するにしても決済は外部サイトでVR内で完結しない…アイテムの概念がない…

NeosVR

なんでもつくれる!すごい!しかもそれが「VR内で完結できる!」すごい!
アバター表現力高い!重力自由自在!ミュージックビデオもここで作った!
でも要求スペックが高いのでかんたんにおすすめできない…仮想通貨決済が一部で使えるとはいえ制限がある…

Cluster

イベントするならここがいい!アクセス性ナンバーワン!スマホからもアクセスできるよ!やっぱりClusterだ、1000人集まってもだいじょーぶ!
ただし個人の商用利用は不可です…(2022年4月時点)

バーチャルキャスト

VR利用特化のUIが秀逸!配信前提のコミュニケーションがしやすい!みゅみゅさんえらい!投げ銭も受けられて経済性につよい!THE SEED ONLINEがすごく便利!ここで収益を得ることもできるよ!
ただ、現状あくまでスタジオです。一箇所あたり16名までしか入れません…
ソーシャルはこれからです…

おまけ:Horizon

アバターは全員ディズニーアニメ調です。しかもMetaの都合で変わったりします。でもナビゲーションがきめ細やかです。初心者ワールドにはガイドが常駐しています。

つまりまあ、あれがないこれがないってわけですが、相互に補い合えば現在でも非常に充実したメタバースライフが送れるということはねむちゃん自身が証明してるわけです。配信、ライブ、動画撮影、飲み会などなどをそれぞれに合ったサービスでやっているのを見ているとほんとうに羨ましい!
ソーシャルVRユーザーについての調査については、ふむふむと読み進めました。やはりまだヘビーユーザーに大きく偏ってる印象で、今後一般層の流入によってこの人達はどこかに行ってしまいそうだなぁ、という懸念がちょっとあります。
あるいは、ここに上がっていない全く別のサービスが覇権を取り、彼らはひっそりと奥地に潜み続ける…という未来もありそうですねw

「メタバースを支える技術」から匂い立つ、
「独自文化」と「キモズム」。


第三章は技術面のお話になるのでさらっと流したいところですが、ねむちゃんの「原住民ならでは」な表現を少し引いた目で見た印象を少しだけ書き残していきます。

フルトラ(フルトラッキング)の項での「Kawaiiムーブ」、「指トラ」の項での「スキンシップ」の話は、ある程度わかってはいるのですがVRでの経験値が少ないわたしからするとやはり馴染みが薄く、ましてや何も知らない人からしたら多少の「キモさ」というものがあるだろうなと感じました。
ただそれが良い悪いという話にはしたくないです。これはあくまでねむちゃんの体験記でもあるので、価値判断すべきことでもないでしょうし。

メタバースはいずれ、すべての人が利用する場所になります。これはほぼ間違いありません。そうなる過程で異なる文化の衝突が生じて消えていくもの、あるいは変質するものがあります。そしてこの本は「メタバース先史時代」の貴重な記録になるような気がするのです。

物事の普及の段階において、アーリーアダプターからアーリーマジョリティ/レイトマジョリティの間に横たわる溝(キャズム)を「ミライの作り方」著者のGOROmanさんは「キモズム」と言い換え、「キモくなくなったものは普及する」としています。
肌感覚としてこれはすごく腑に落ちました。「ミライの作り方」の中でも「現在のVRをやってる姿はキモい」とバッサリ言い切ってるわけです。
まあ、こういう状態ですからね…(画像提供:蘭茶みすみちゃん)

「サイゼで喜ぶ彼女:VR版」を演じた「サイゼリアリティ」という動画より。これをツイートし、この記事に画像提供を許諾してくれたみすみちゃんも、キモいという反応は織り込み済みでそういったリプに対して自身の信条である「だからこそ肉体は廃止せねばならない」と主張していた。
個人的にみすみちゃんは「メタバース移住論最過激派」だと思っている。

それらはすべて、時間と技術とそれに伴う社会の認識のアップデートによって解消されていくでしょう。いつかこの本を読みながら、「そんな時代もあったね」と話せる時代がくるでしょう。中島みゆきでもBGMにしましょうかw

あと、アバター技術の項でVRMの革新性について触れ、それ以前の話としてMMDのことがコラムで書かれています。つい先日MMDerとメタバース原住民の間で話題となった件に通じる話だと思いますが、MMDは直接的にはメタバース文化に貢献したとは言いがたいもののそれを支えるアバター技術・文化の面において先駆的な役割を担ったと言えるかと思います。VRMが種だとしたらその土壌がMMDだった、といったところでしょうか。

そして今はVRMは人型アバターについての統一規格として機能していますがいずれケモノやメカ、物体といった方向へ派生していけるのではないかと予想しています。VRoid Studioのようなソフトウェアで、他属性特化型というような形で。人間より複雑ではありますが、要素分解できないというものでもないでしょうし。

少しのつもりがやたらと長くなってしまいました。さて、ここからがねむちゃんの真骨頂、第4章以降です!

「アイデンティティのコスプレ」の先にある、「残酷な魂の選別」あるいは「魂の変容」


第4章以降はねむちゃんとミラさんが行った「ソーシャルVR国勢調査」のデータを踏まえて、今後起こる「3つの革命」について語られていきます。
アバターの性別についての調査では、実際のユーザーの性別を問わず女性型アバターの使用率が8割弱という結果が出ました。

まあ少しでもコチラ側の文化に触れてる人なら「知ってた」レベルの結果ですが、挙げられている3つの理由の中でも、「感情表現をしたい」という回答に強く興味を惹かれました。

物理現実社会において、男性であるがゆえの抑圧は非常に多くあり、なおかつそれに対して声を上げること自体が社会的リスクとなる抑圧も存在するために表面化することもなくみんな我慢大会でもしてるかのように暮らしています。耐えられなくなった個体は自死という形で社会から退場しているため、男性の自殺率は女性よりもはるかに高いという統計が出ていてもそれをどうにかしようという動きがないわけです。

だからこそ、メタバースでアイデンティティを再選択できるとなったときに選ばれているのが「アニメの美少女のようなアバター」なのでしょう。
また、「かわいらしいもの」になることは「現実の身体がどうしようもなく発している威圧感」を消してくれます。
そこまで配慮することでようやく、素直な感情表現を身体いっぱいに表すことができるというちょっと切実な「おじさんの事情」が垣間見えました。

なので「美少女アバターを選ぶ」という選択は一部のジェンダークレーマーが言うような「女性表象の簒奪」ではなく、性別を超えた個に向かう動きなのではないか、と思うのです。今回ねむちゃんが日頃口にしながら「メタバース進化論」内では一度も使われなかった「人類美少女計画」とはそういうものだと思ってせいらちゃんは賛同しています。
(人類美少女計画というワードが使われなかったのはおそらく編集者からのストップではないかと邪推しますw誤解されやすそうですからねw)

(さて、ここまでは一気に書けましたがここから先の後半は前半の数日後に書き始めています。前半を書いていた時に考えていたことと多少ずれていくかもしれません。)

聖書のマタイ伝によると、神や天使には性別はないそうです。
ホモ・メタバースとなる未来人類もまた、旧来のジェンダーという概念を超えた存在になっていくのではないでしょうか。
後の章での「メタバースでの恋愛」「バーチャルセックス」も生殖が絡まない関係性です。物理身体からの印象を廃した関係は、かなり純粋に「魂のふれあい」となるような予感がしているのです。
これは今実際にソーシャルVRに住んでいるメタバース原住民ならば実感を伴ってそうですが、わたしはまだそこまで行けてないので予感のレベルでとどめておきます。

さて、この感想を書き始めたときのわたしは大見出しに「残酷な魂の選別」という言葉を用い、非常にネガティブなことを書くつもりでいました。
それは「純粋に魂のふれあいとなるメタバースでの人間関係において、どうしても人に迷惑をかけてしまうタイプのパーソナリティが排除されていくのではないか」という懸念です。

魂のあり方そのものが評価基準に直結するコミュニケーション環境において、攻撃的な言葉でしかコミュニケーションできない人や無自覚に人を傷つける話し方をしてしまう人などが誰からも敬遠されて孤立していく…
そういった光景を想像していたのです。
現在Twitterをしているとそういった人をたくさん見かけます。ああいう人はどうなっちゃうのかな…ということを時々考えるのです。

いま改めて第4章以降を読み直して気づいたのは「魂もまた、変質していく」という要素を抜きにして考えていたんだということでした。
環境に応じて人は変化します。ポジティブなフィードバックが得られればポジティブに、ネガティブなフィードバックをされればネガティブになっていきます。だから今SNSで見かける迷惑な人も、「原因」ではなく「結果」として見たほうが適切なのではないでしょうか。

そしてメタバースへの移住は「アイデンティティを再構築して『生き直す』ことのできる最大のチャンス」です。「なりたかった自分」を自らデザインし、はじめは演じているような違和感を覚えるかもしれません。しかし、今までと違った角度から当てられた光が映し出す像としての「自分」を受け入れていく…そんな「魂の変容」が起こりうると考えられます。
そういったことをねむちゃんは伝えたかったのかもしれない、と「魂のあたらしいかたち」の項を読んで感じました。
実際、分人という概念はVtuber空色せいらとして生きているわたしにも実感をもってしっくり来るもので、この変化は誰にでも起こりうるだろうという確信に近い予感はあります。

「コミュニケーションのコスプレ」で
薄れていく、「誤解」


現在のインターネットは大変ギスギスしております。
だいたいSNSのせいですw

人間のコミュニケーションで言葉で伝えられる情報量は35%で、残り65%は非言語情報(身振り・表情・見た目の印象・声のトーン・距離感・スキンシップ)なのだそうですが、言葉を尽くしても伝わる情報量が35%だとすればそりゃあ「壊れるほど愛しても1/3も伝わらない」し、「純情な感情は空回り」するわけですw(でも「I LOVE YOU」くらいは言ったほうがいい気がしますけどw)

テキストベースのネット空間における印象と物理現実で会ったときの印象が大きく違うというのはこれまでにもたびたび感じてきました。伝わる情報量をコントロールできるのでかなり色々と偽装できるのがこれまでのウェブであった、ともいえますね。

これが動画/配信などによっていくつか要素が加わっていくことで解像度を上げていき、次の段階として待っているのがメタバースにおけるコミュニケーションになるのでしょう。

第3章の感想で「キモズム」について触れましたが、「相手に好印象を与える技術」という形で「Kawaiiムーブ」「スキンシップ」がキモいものでなくなっていく未来が見えたような感じを受けました。
3年前だったら、「病気でもないのにマスクをいつも付けてる人」は不審に見られました。しかし今はどうでしょう。「マスクをつけずに外を歩いている人」が敬遠されるようになりました。
このように、社会の認識は意外なほどコロッと変わります。
わたしもVRChatにデスクトップモードで入ってる時に経験があるのですが、人が話しかけてる時にリアクションしないのはかなり気味悪がられるようです。「うなずく」「首を振る」くらいはデスクトップモードでもできるのでしたほうがいいみたいでしたね。

そしてメタバースにおける「距離感」「空間」の概念はこれまでのネット空間が一度破壊した感覚を修復できるのではないかと思えたのです。
SNSにおけるコミュニケーションがおかしくなりがちなのは「距離が設定できない」ことに起因していると思います。ありとあらゆる情報が距離ゼロで目の前に置かれているように感じて取捨選択を妨げるのです。
物理現実で面と向かって言えないであろう言葉をSNSでは平気で使う。これは距離感の喪失が起こしているのではないでしょうか。

遠くの人とも通信できることによって人類は進歩しました。しかしこれまで送れるデータ量の制約があったことで起きていた誤解は数多くあったと思います。とくに感情に伴う部分は情報量が多かったため、ないがしろにされてきました。そこは対面コミュニケーションで補っていたわけですが、今はそう簡単に物理身体を用いて会うことがためらわれる時代です。
そして見た目の印象、声の印象、身振り手振りといった動きを魂に沿わせられるメタバースでのコミュニケーションは、「誤解」をかなり減らせるのではないかという期待を持っています。

ある意味「会って話すより方法がなかった時代のコミュニケーション」に逆戻りしているようにも見えますがむしろ、歴史は螺旋状に進歩していくたとえのように、一周回って一段階上がったコミュニケーションになったわけです。既存のツールが一切使えなくなったわけではないので待ち合わせの連絡などはテキストベースの非同期コミュニケーションで済ませて、メタバースで会ってからじっくり話ができる。これは確実な進歩です。おそらく自然にそういったツールの使い分けができていくのではないでしょうか。

そうして誤解を減らした形で距離感を少しずつ縮めていく中で、恋(お砂糖)やバーチャルセックスという関係も生まれていくのだろうということは読み取れましたが、ここについては「いつか誰かとそうなるまでのお楽しみ」にとっておいて、感想は差し控えさせていただきます。

「経済のコスプレ」が高める「時価」


第6章で語られるのは、「分人経済」「超空間経済」という新たな経済概念です。「分人経済」は現在すでにある「クリエイターエコノミー」の究極系として紹介され、アバター、ワールド、ファッションなどの分野で成功するクリエイターの登場を予想しています。これは自分自身クリエイターであり、Vtuberとして活動しているわたしの実感とも合致します。

まだ「ワールドクリエイター」がマネタイズできている例は少ないのですが、実はここが最大の伸びしろを持ったジャンルじゃないのかと見ています。個人の脳内世界を具現化したようなVRのワールドは、現段階においても「これをタダで体験できるのはなにかおかしくないか」というクオリティのものが多数あります。タナベさんとか蕎麦打ってる場合じゃないだろう、というレベルの想像力を有してるのですが。(タナベさんとこのお蕎麦はとっても美味しいのでこれからも打っててほしいのも本音です)
おそらく、NeosVRのような「メタバース内で創作できる環境」がもっと簡易化したときに爆発的な経済規模を作り出せると思います。

そして「アバターワークによる接客業」と「アイドル/Vtuberカルチャー」の組み合わせはすでに始まっていて、ホロライブのタレント「ときのそら」さんのアルバム限定版購入特典でClusterを会場にしたファンミーティングイベントが開催されていました。他にも「Vtuberおしゃべりフェス」のように握手会ビジネスの亜流として「会って話せる時間を売る」というビジネスは今後も伸びていくでしょう。

ここで注目しないといけないのは、「個人の時間は有限」であるということです。ゆえに人気のある人の特定の時間の価値が凄まじい勢いで上がる。
「時価」という言葉が違った意味で使われていくのがこれからの世界だとわたしは考えています。そして、規模の大小こそあれその「時価」を誰もが作り出せる経済圏というのが「分人経済」のキモになっていくだろう…とわたしは予想するのです。
(だから今Vtuberやってる人、早めにメタバースに来れるようにしといたほうがいいよw)

「おわりに」から見つめる先の、
「仮想美少女シンギュラリティ」


第7章の主題である「ファントムセンス」に関しては「わからない」としか言いようがありません!
これは「体験」であるメタバースを書籍で語ることの限界というほかなく、ねむちゃんもそうとう困ったのではないでしょうか。

そして、「おわりに」
この章は以前ねむちゃんが同人誌で出した「仮想美少女シンギュラリティ」の続きにあたる部分だと読んでいて思いました。
あの日からずっと、「お前は誰だ」と問い続けているねむちゃん。
自分とは何者であるか、それはいかに世界が変わろうとも個々人に突きつけられる最大の疑問です。
そこにいくつもの回答を用意し、軽やかに生きられるようにするのがヒトの次の進化段階、「ホモ・メタバース」なのではないでしょうか。

ヘッダの写真は、ねむちゃん、ドコカノうさぎちゃん、じゅりこちゃん、わたしとでタナベさんのお蕎麦を食べに行ったときの記念写真です。
あのとき会ったあの人は「ねむちゃん」だったのか?わたしはちょっと自信がないです。そしてあのときわたしは「せいらちゃん」でいられたかも、自信がないです。

まだわたしは、メタバースに旅立てずにいます。物理現実に積み重なった物質(ゴミ)が空間を圧迫しているからです。肉体以前に捨て去らなきゃいけないものが多すぎるのです。しかしなんとかできそうな目処がついてきました。少しずつ、準備を進めます。
この本を読んでいる今は、旅行記を読みながら未知の世界に思いを馳せている状態です。そして、仮想美少女の身体で、きっと会いに行く。

「はじめまして」と、
「お前は誰だ」を言うために。

ありがとうございました!

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