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また会いましょう

先日、たまたま見たYouTubeで、不幸になる、名前に使わない方がいい意外な漢字とあり、予想通り「幸」も含まれていた。わたしは、8ヶ月の早産で未熟児として生まれて、最初の数日は死にかけ、ひと月近く保育器に入っていたため網膜症になった経緯があってこの漢字になったのだろう、元気に育って欲しい願いが込められていたのは想像に難くない。漢字は元は象形文字なので、幸は道端に転がった死体のシャレコウベがだらんとなっている様から、九死に一生というような酷いこと、とある。その後のほぼ60年、しゃかりきに生きてきたというほどでもないし、壮絶な、と形容することもない。生まれて数日のうちに不幸の種を使い果たしたからかも知れないが、逆に超ラッキーな連続でもない、どっちかというと平凡に近い人生な気がするが、ま、それなりにいろいろ経験はした。ここ数年は、名刺もペンネームになり、あるいは、また、別の名前に導かれた運勢にシフトしたのかも知れないが、実は、この名前、はじめは山川と書いていた。どうしてそうなったかは今回は省くが、ネコの顔がついたふざけた印鑑も山川のまま。
さて、前置きが長かったが、その山川がひらがなのやまかわに変わったキッカケになった友達が亡くなった。通夜葬儀収骨初七日まで家族に混じって送るくらい、ここ数年は縁の深かった彼女は、とうとう、還暦を満年齢で祝うことなく旅立ってしまった。お疲れ様でしたの一語に尽きるが、これから何処かに行くたびに何かを食べる度に思い出すのだろう気がする。人生は、ただ長ければいいわけではないが、これから、諦めややり過ごし方を習得してだんだん鷹揚になり、傍若無人にわがままに、3人で会話している様に見えつつ、口々に自分のいいたいことをそれぞれが話しできるだけ、というばぁさんたちの特徴を備えていく段階にさしかかったというのに…魂は永遠に生き(息き)通しなのだから、また、いつか何処かで会おうねと声をかけて送り出した。
そう、それで、何故、ひらがなになったのかだが、彼女は曼荼羅を点描するアーチストで、名前のコトダマを気にかけていて、全部ひらがなの方がいいらしいよ、という。あ、そう?じゃ、そうする、とふたつ返事で改名した。ま、改名といったって、最近は、よほどメジャーでない限りペンネームで銀行口座は開設できないし、公的に何かを書く機会もほとんどないので、その日、今から変えます、ハイ、そうですか、ということでしかなかったのだが…
そうそう、本名を最終的に候補の中から選んだのが実姉で、山川をひらがなに変えたのが彼女で、わたしたちは、そういう周りのご縁によりお互いに影響を与え合って生きているんだな、としみじみ感じたりもする。彼女の戒名には、本名から栄、花の曼荼羅を好んで描いたから花を1文字ずつとって、栄花とついている。葬儀に参列したひとが全員納得した命名だった。こころ安らかに、また、会いましょう、合掌…

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