見出し画像

絶妙なタイミング

2024とかR6にもいくらか慣れてきたような、しかし、気を抜くと???となる1月末🤣 月中頃に出張した隙に、ふと、辰年だから龍の天井画をみようと午後建仁寺に向かった。冬の昼下がりは、えー、っと意外なほど閑散としていて、おかげでゆっくり庭も眺めたし、件の天井画(撮影可)も独り占めだった。秋の紅葉はそれはすばらしいだろうが、コレはコレでgood timingではあった。それまで、建仁寺を訪れたこともなくかつ行こうと思ったことすらなかった。それが、ふと、天龍寺(公開時期ではなかった)以外に何処に龍の天井画があるのか?葛飾北斎は小布施だからここじゃない、と。
ラジオ番組で語っている通り、日頃から「大脳前頭葉を使わない」判断をこころがけているので、けっこう絶妙なタイミングを経験する。何かが起こるたびに、流れに沿っていられたんだなぁと◎札を出したくなる。
人間は考える葦といわれて、日に60,000回ともいわれる思考をくり返しているが、その実、自分で理性的に判断なんてしていない。その多くは五感からの刺激に無意識的に反応して、その数秒後にそれを認識して、まるで自分で判断したかのように思い込んでいるだけだ。だから、コレは嫌い、不快、といつもたいてい同じ判断をする。もう、自動操縦されちゃっている。
この場合は、そもそも、何か意欲的に考えていたわけではなく、ポスターを見たとか感情に訴えかけてくるモノに触れたわけでもない。何の脈絡もなくふと、そう思った、素直に(^O^)…こちらも自動操縦といえなくないが、主語は誰なのか? 瞬時に、もう反応しちゃってるというのではないし、確かにきっかけは存在したのかも知れないが、少なくとも恣意的に何かを考えたわけでなく「空」からポンと出てきた感じがする。情動が動ならこちらは静かな感じ。

起きて五感の刺激にさらされていて(その内9割は視覚から)、みんなも同じ世界を見ていると錯覚しているから、時々、同じ光景を見てもひとの話を聞いてもまったくちがう反応や捉え方をしていた事実を知ってびっくりする。デカルトの時代から、ほんとうは「客観」などはなく、すべて「主観」によるひとりずつ別の世界観でしかないことは明らかだが、この2つ以外の大脳を通さない判断があることを西洋人は考えもしないらしい。だから、右脳vs左脳なんて単純な相対でしか捉えられない。実は、「それ以外が本体」なんだよ、と教えてくださったのが岡潔先生なのだ。
わたしたちの、二元の相対でしか計れない意識では、目には見えない宇宙の素粒子すべてとつながっていて、今、誰が何処がどうなっているかを知った絶妙なタイミングのその1/1,000,000も把握できていないから、わたしたちには到底100%正しく判断などできるはずもない。たまに、えぇ、間に合わなかったよぉ(T . T)と涙目になったが、後日、そちらが適切で、それこそがgood timingだったことに気づいて仰天するしたことがあなたにもあるだろう? 一体誰がどうやってその時と内容を計ってくれていたのだろうかと。
そういうちがいを今年も手を変え品を変え語ってみたい!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?