人生初の冬の北海道で、暖かさは優しさと気づく
2023年、1月4日の朝9時。私は新千歳空港にいた。
最初の感想。寒い。
寒い、寒い、寒い寒い寒い。それだけ。
とにかく寒かった。
年末年始で割と長く休暇が取れた。
せっかくならば旅行に行こう。それもまだ行ったことがない場所に。
そう思い立ったのは、友人と箱根駅伝を見ている時だった。
復路。駒大リード?青学どうなる?
弾丸旅行が大好きな私。今日の今日で飛行機と宿を予約した。
「明日から北海道いくわ」
「マジかよw」
友人はお雑煮を作っている。焼き餅よりお雑煮派の我々だ。
北海道は2回目。それも前回は夏だった。
かなり昔に札幌と小樽に2泊3日で行っただけ。
今回も無難に(?)札幌と小樽に行くことにした。
何の気になしに、軽くカバンに荷物を詰めた私。
「ま、いつもの弾丸旅行と同じっしょ——」
◆
——いつもの弾丸旅行とは、まるで違った。
まず雪が降っている。いや、積もっている。
「え!?雪降ってんの!?」
あまりのアホさに、自分でも笑ってしまった。
そっか、冬の北海道って、雪降ってるよな。
そんなことも忘れて、「気軽に」きてしまった事を激しく後悔した。
寒い。寒すぎる。
まず、普段と同じ服装で来てしまった。
ヒートテックとセーター。その上にコート。
これで冬の札幌に来てしまった。
——そんな装備で大丈夫か?いや、問題だらけだ。
次に、靴も「普通の」靴で来てしまった。
ツルツル滑ることこの上ない。
2023年の新年早々にスッ転ぶなんて嫌だな・・・。
とまあ、服装としては最悪のコンディションで、私は北海道に上陸した。
◆
新千歳空港から札幌駅へ。JRで向かう。
私はこの時、冬の北海道を知ることになる。
新千歳空港の周りは、雪が積もっているとはいえども「申し訳」程度だった。「ほら、積もってるよ?」くらいのレベル。
しかし、車窓から見える景色はそのレベルをはるかに凌駕していた。
道路が雪で埋もれている。真っ白になっている。
町中が真っ白だ。
マジで雪しかない・・・。
ただこれは「人生初・冬の北海道」というフィルターにかけられた「誇張」であることを、後に知ることになる。
もちろん、私は私は誇張しているつもりは全くない。
ただ、現地の方が言うには、「こんなの積もっている内に入らないよ!」とのことなのだ。
「今年はまだ雪が少ない方だね」
「こんなのでビックリしてたら冬越せないよ」
現地の方は口を揃えてこう教えてくれた。
人生初・冬の北海道の私の目には、「マジで積もってる」ように見えたのだが、例年と比べると「ぜんぜん積もっていない」とのこと。恐ろしや・・・
そうこうしているうちに、電車は札幌駅へ。
私はホテルに向かうべく、電車を乗り継いだ——。
◆
ジンギスカンにスープカレー、海鮮にシメパフェ・・・
それはそれは夢のような美味しいグルメを頂き、しっかり観光もしたのだが、その辺の話は割愛しようと思う。
◆
旅の中で特に印象に残った出来事を、ここでお話ししたい。
さっぽろテレビ塔の近くを歩いていた時のこと。
札幌に来てから100回は言ったであろうセリフを呟く。
「さむい・・・」
白い息を吐きながら歩く。
息を手に吐きかける。はぁぁ。
暖かい。
一瞬の暖かさが私を包んだ。
そのとき。同時に別の感情も込み上げてきた。
優しいな。
優しい。
なぜそう思ったのかは、今では思い出せない。
でもそのとき確かに感じたのだ。「優しい」って。
私が私の手に吐きかけた、私の息。
それは暖かいと同時に、優しかった。
◆
大通公園を歩きながら、私は考えた。
そういえば、「涼しい」ときには「優しい」って感じないよな。
でも「暖かい」と感じた今、たしかに「優しい」って感じた。
この違いはなんだろう?
暑さ・寒さはどちらも「不快」なことだと思う。
「不快」とは「心地よくないこと・避けたいこと」だ。
ムンムンに暑い炎天下の中、キンキンのアイスを食べたら。
そのとき私は「優しい」と感じるのだろうか?
いや。そうは感じない。
きっと「気持ちいい」と感じる、と思う。
「暑さ(不快)」を打ち消す「涼しさ(快)」は、「快」という漢字の字義どおり「気持ちよさ」を与えてくれる。
一方で。
ガンガンに寒い札幌で、暖かい息を手に吐きかけた私。
そのとき私は「気持ちいい」とは感じなかった。
「快さ」ではなく「優しさ」を感じたのだ。
「寒さ(不快)」を打ち消す「暖かさ(快)」は、「快」よりもむしろ「優しさ」を与えてくれる。
そう気づいたのだ。
◆
さらに大通公園を歩く。
自宅から程遠い札幌の地で、私は考えた。
涼しさ —— 快さ
暖かさ——優しさ
この「感覚」の関係性は、人間関係にも当てはまるんじゃないか、と。
「クール」と評される人は、「優しい」というより「さわやか」イメージ。
「暖かい」と評される人は、「さわやか」というより「優しい」イメージ。
でもよく考えたら不思議なもので、
「涼しさ」も「暖かさ」も、「寒さ・暑さ」という「不快」を取り除く点では一緒だ。
なのに、どうして「暖かさ」だけが「優しさ」と結びつくんだろう?
——赤ちゃんがお腹の中にいるとき。
羊水の温度は体温より少し高い38度くらいだとか。
体温より少し「暖かい」環境。
お母さんの「優しさ」に包まれた環境。
それを本能で覚えていて、「暖かさ」を「優しさ」と感じるのかな——
◆
ふだん生活をしていると、「(温度的な)暖かさ」による「優しさ」を感じることはあまりない。
当たり前のようにヒーターがあり、マフラーがあり、手袋があるから。
私は「暖かさ」に慣れてしまっていたのだ。
これは人間関係でも同じかもしれない。
家族とご飯を食べたり、出かけたり。
友人と話したり、遊んだり。
恋人と泣いたり、笑ったり。
これらの「暖かさ」に慣れっこになってしまっていて、私はその「優しさ」を忘れてしまっていたのかもしれない。
昨年家族が体調を崩し、急遽実家に帰った。
当たり前のようにあった「暖かさ」が失われるかもしれない——
その出来事があったからこそ、なおさら痛感したのだ。
家族や友人や恋人の「暖かさ」は「当たり前」なんかじゃない。
むしろ「有難い」優しさだったんだ——。
このことに気づけたのは、
人生初・冬の北海道という、未知の「寒さ」に接したから。
人生初・家族が体調を崩し、「暖かさ」が奪われそうになったから。
温度的にも、比喩的にも、「暖かさ」が失われたからこそ、
初めて、それが「優しさ」だと気づいた。
暖かさは優しさであり、同時に「ありがたい」ものなんだ。
字義通り「存在することが難しい」もの。
そして「感謝すべき」もの。
そんな、「暖かさ」を大切にしたい——
——そんなことを考えていた。マイナス4度の北海道で。
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