MOLT/脱皮 「私」から「空」へ、そして銀河文明へ

『MOLT/脱皮』


という本を書きました。1巻から3巻まであります。kindle unlimitedなら無料で読めます。

もしよろしければ是非。

この本は、2015年に書いた原稿を電子書籍としてUPしたものです。

当時、サンプル原稿として色んな出版社に持ち込みに行ったり、いろんな人に読んでもらったりしていましたが、結果はすべて次には繋がらなかった作品です。

内容は、覚醒、目覚め、スピリチュアル、非二元、マインドフルネスに関するもので、

自分の人生体験と、目覚めの体験が当たり前になった世界についての言及になっています。

ある意味でのアセンションの世界を描いています。

この本を読み進めていく中で、「私」という「自我」のしくみを知ることで、そのエネルギーを分解し「空」へと至り、

「空」から人生を歩み、新しい文明、つまり銀河文明の始まりに繋がるためのナビゲートになればという思いがあります。

また、「私」という自我から抜けるためのワークも第三巻で触れています。

何せ初めての本ですし、全部ひとりで表紙から文章から書いたので、誤字脱字、素人臭さは、皆さまの宇宙よりも広大な心で赦していただけたら幸いです。

今回はこの本を執筆した経緯を何となく振り返ってみました。

ちょっと長いですが、暇なときにでも読んでくださると幸いです。

『MOLT/脱皮 「私」から「空」へそして銀河文明へ』

 が出来るまで

僕がスピリチュアルに関心を持ったのは、物心ついた時からだと思う。

というのは、僕の母が信仰宗教が大好きで、僕が生まれた時にはすでに仏教系の宗教に家は染まっていたからだ。

母は様々な宗教を渡り歩く傾向があったので、僕は今にして思えば色々なことを学ばせてもらった。

仏教系、キリスト教系、神道系が中心だったけど般若心経を中心に色々なお経を朝晩唱えたり、滝行を行ったり、信者さんの会合に毎度参加したりと忙しかった。

小学校では不安になると般若心経を唱え出すので,

担任は不気味に思ったに違いない。

思春期を迎えると、こういった宗教活動に懐疑的になっていった。

というのも母の病は一向に悪くなるばかりだったし、僕の成績も低空飛行、彼女もいない、

それなのに、朝晩の読経や信者の会合になんか行ってられない、という気持ちになったのだ。

自分の人生が上手く回っていない時に、宗教の教義にうつつを抜かしている暇はない。

90年代後半のこと

時は1995年、阪神大震災と地下鉄サリン事件が勃発していた時期だった。

高校生の当時、僕は終末思想的な教義をもつ宗教団体に入信していた。

この宗教の幹部の人が、阪神大震災の状況を終末予言が成就しているかの様な視点で語っているのをみた。

その表情から、預言が成就に近づいているという願望実現欲求が満たされている空気を僕は感じた。

それをきっかけに、僕はその宗教から縁を切ることになる。

地下鉄サリン事件も手伝って、僕は宗教全般に強い絶望感と怒りを抱く様になった。

裏を返せばそれは、僕は入信していた宗教に大きな期待をしていたという証なのだけれど。

こうして見えない存在や世界というものに対し、信じていたものから決別したつもりだった。

本屋の精神世界のコーナーは僕の救いの場所

当時、本屋のニューエイジ思想の本がよく売れ出していた時期で、僕の中では宗教からアップグレードしたニューエイジ思想、つまり今でいうスピリチュアルに傾倒していった。

本屋の精神世界のコーナーには、夢と希望が満ちているように感じたものだった。半面、そのような感覚や感情は、社会的に落ちぶれた負け犬のような感覚も持っていたので、複雑な心境だった。

つまり宗教と精神世界に興味がある人々は、信じやすく騙されやすい、不幸な人間が集まるのだという、差別意識が自分の中にあったのだろう。

そういったネガティブな意識の反面、明らかに優れた作品群が並んでもいたので、複雑な心境であった。

「聖なる予言」、「バシャール」をはじめとするいろいろなチャネリング本、「神との対話」シリーズ、ソウルメイトという概念が流行った時期だ。

特に神との対話や、チャネリング本の「ラムサ」は、僕の人生に決定的な影響を与える癒しと衝撃が走った。

母との関係性

母の状態は少し専門的な用語になるけれど、愛着障害と人格障害による鬱病で、長年家庭に引きこもり毎日、父や親戚、過去の人々への文句を言っていた。

朝から「死にたい」「死にたい」という言葉を連呼していた。

僕への依存と執着は激しいもので、幼い頃から僕が結婚したら死ぬ、という様なことを言い聞かされていた。

結局それは実現する予言となるのだけれど。

当時の僕は、まるで蜘蛛の様な母から距離を取ることばかりと、母への強い憎しみを抱いて生きていた。

進路を決めた時期

大学受験に失敗し、2年も浪人していた時期で先も見えず、誰も頼れず不安と恐怖でいっぱいだった時期に、そういったスピリチュアルの本は僕の生きがいとなった。

しかしスピリチュアルでの才能(ヒーリング、チャネリング、リーディングなどの能力)が皆無だったけれど、

現実の仕事も出来るだけスピリチュアルや癒しに関連して、かつ社会的、経済的にもしっかりしていそうな分野を探すと、臨床心理士という資格と仕事が目に飛び込んだ。

僕はこの道に希望を感じ、突っ走ることになる。

大学受験2浪目の夏に、思い切った進路変更をしたのだ。

結果、なんとか合格を勝ち取り、その後紆余曲折しながらも大学院に進学し、資格を取得した。

仕事や社会における臨床心理学とスピリチュアル

臨床心理の世界は、トランスパーソナル心理学という興味深い分野があるものの、ほとんどスピリチュアルについては眼中にない感じだ。

それはとても残念なことだけれど、これについてはスピリチュアル分野にも問題がある。スピリチュアルは結局言ったもの勝ちで、再現性や客観性が乏しく、

社会的トータルでみると人を具体的に救った数は、臨床心理の方に分配が上がるだろう。

ここで人を救った「数」、と表現したが、

「質」においてはスピリチュアルの方が圧倒的に分配が上がると僕は考えている。

なぜなら優れた臨床家や、多くの結果を出す臨床家は、本人が自覚があるかどうか別として、のみならずスピリチュアル的だからだ。

では、スピリチュアル的とは何かと言えば、

「クライアントとの縁に感謝している」、「謙虚である」、「赦しの実践(奇跡のコースの赦しに近いもの。マインドフルネス的な要素を持つ)」、「大きな意味での自己愛」、「自己一致」などの要素を兼ね備え、

この資質は仏教、キリスト教、神道にも共通することだからだ、

そして時代はさらに進みマインドフルネスが当たり前のものとして注目された。

一般的な理解はまだまだだけれど、明らかに臨床心理とスピリチュアルが本質的に等しい部分があるという科学的視点がもたらされている。

時は流れ

そんな中、僕は学生のころに付き合い出した彼女と結婚することになった。

幼少期の頃かっら僕の結婚には大反対の母に、直接結婚の話をするときには、強い不安と緊張を感じていた。

逃げだそうかなとも思ったが、僕の中の大きなけじめだったのだ。

結果、母は発作的に発狂した。そして僕を勘当する。

その後母とは直接合っていない。

母は、父のカードから黙ってお金を400万円ほど引き出し、そのお金で宗教や占い師、ヒーラーに、僕がいつ母のもとに帰ってくるのか、また、そのような働きかけをする意図としてお金を使っていたらしい。

警察沙汰になって逃げ場が無くなった母は、観念するようになったのか、しばらく大人しくしていた。

しかし、僕への度重なる電話と留守番電話への長時間への希死念慮の録音に

僕は疲弊するので、距離をおいて、父と親戚と連携しながら母との関りを相談し続けていた。

時は流れ、僕には妻との間に子供が二人出来ていた。

先は全く見えないが、ゆっくりと僕の家族と母を直接合わせる計画を、父や叔父と相談していた。

そんな中、叔父が体調不良で療養を余儀なくしなければならない時期が続く。計画はひとまず見送ることになった。

父は海外出張で、月に一度母の様子を伺う関係性になっていた。

母に関わる人は精神的に参ってしまい、疲弊してしまうので、親戚含め皆距離を置いていた。

母の自死

僕と父は、母との関り方について協議を続けていた。父は母が通っている精神科にも定期的に通い、

また父自身が福祉事務所に定期的に相談を続けていた。

それらの情報をもとに、僕も臨床心理士としての知識と経験から、今後の方向性と関わり方について話し合っていた。

僕の頭の中では、臨床心理学の知識と経験、そして資格があり、

家庭では一人っ子の長男であり、

自分の家族も守るため、僕がリーダーシップを取らなければ、

という思いもあった。

これまで何度も母から逃げてきて、独自にいろんな人や教えに助けを求めてきたが、決定的な助言や状況の改善は皆無であった。

結局、いろいろ探した挙句何もなく「どうも逃げ場はないらしい」、ということを悟ったのだ。

なので、僕は向き合うことにした。

僕は父が海外から実家に帰って家での様子を伺うと、今後の方針についての相談を電話で父と話をする形式で関係性を保っていた。

しかし、

ある日、海外から父から電話があり、母が自死を選んだという電話が来た。

僕は、何時かこうなるのでは、ということはもう10数年も毎日思い続けていたので、どこかで覚悟はできてたのかもしれない。

しかし、電話でその情報を聞いた瞬間は、見えないダンプカーにはねられたような大きな衝撃を受けたのを、今でも思い出す。

母の自死の発見は、親戚が連絡が取れないことから様子を見に行ってみることで発覚したという。

父が母を残して海外に行った直後、出来事は起こったようであった。

夏の間2週間も発見が遅れていたので、家は死臭が充満して、実家はとてももう住めるような状況ではなかった。

父は、警察から事件性を疑われ、事情聴取されていた。父が不憫で成らなかった反面、

知らない強盗が母を自殺に見せかけたのではなかろうかという「期待」もあった。

どういう心理なのか、自殺というよりも他殺であったほうが、怒りを見知らぬ犯人にぶつけられる欲求があって、わずかな救いにそれが感じていたのかもしれない。

他殺でなければその殺意のエネルギーがすべて僕に向かってくるかのようであった。

遺体の確認は腐敗が激しいので、警察は勧めなかったし、僕も父のことが心配なので勧めなかった。

しかし、父は頑として母の最期の姿を見たいといった。

僕は父を一人にはしておけないので、一緒に確認をすることになった。

そこから僕は腐ったものや、ゴミを見ると、母の顔がフラッシュバックするようになった。

そしてその時から、強い抑うつ、悪夢、幻感覚に悩まされる。PTSDだ。

他者を助けるということ

今振り返ると、僕は目の前に父がいることと、家族がいることで救われた気がした。

というのは、

父をそのままにしておいては、母と同じくおそらくとんでもないことが起こるだろうと直感したので、今まで学んだ

精神疾患にも有効なマッサージ、

気功法、

臨床心理学的知識、

3.11の震災時に東北の被災地に支援に行った際に学んだ、クライシスサイコロジーの技術と知識、

瞑想の技術、

そして、以前記事で紹介したクオンタム・エンライトメント(QE)の技術と知識をフルに父に行った。

当時、瞑想の合宿施設があり、家では死臭がひどくて過ごせないので、

それらの技術を、瞑想合宿の栄養が管理された宿泊施設で父に毎日行っていたので、トラウマがPTSDに移行することは何とか食い止められたのだろうと思っている。

日本の昔話で、雪山で遭難した狸が路頭に迷っているが、同じく迷い生き絶え絶えになっている狐を見つけ、その狐を助けようと必死に民家を探すと、

二匹とも助かったという寓話がある(登場動物は狸か狐かは定かじゃないけれど)。

狐は狸に礼を言うが、狸は狐に逆に感謝し、「狐の存在がなかったら、必死で助けようといろいろ探したりはしなかった。結果、僕は遭難して死んでいただろう。助けられたのはむしろ僕だ。」と言った。

という話だ。

人は自分一人が助かろうとするよりも、誰か他者を助けようとするときに、何倍もの力が出たり、道が運命的に開けるという話だと思う。

僕は、父にそのような関係性を見て、

これまで培ってきた臨床心理学の知識と経験、そしてスピリチュアル的な知識と経験は、

この時のために培ってきたのだろうと感じていた。

非二元、一瞥体験

母の自死から、何とか父の様子を安定軌道に乗せてからは、今度は自分自身の様態に向き合うことになった。

母の自死から、その親戚も相次いで不幸が襲った。

僕は母の支援に対し、勝手にだがチームリーダー的な立ち位置で指揮を執っていたつもりであったので、当然、今回の作戦は最悪中の最悪という結果になったと考えていた。

親戚にも迷惑というか、トラウマを負わせた。詳しくは書けないが、僕の対応ややり方に疑問を持ち、強い怒りを抱えている方もいた。

結果が結果なので当然と言えば当然だろうと思った。

昔も今も、指揮官はチームの責任を取る。

つまり僕も何らかの責任を取らなければ、という思いが強まって行った。

つまりは人生の幕を閉じることで責任をとるのだ。

一人になると、悪寒がし、何か数人の強烈な気配を毎晩感じるようになった。

それらの存在は幻覚なのだろうか、

何やら僕を迎えに来ているのだろうかと思った。

僕の家系は自殺家系といっていい。母を含め、親戚に何名も自殺を選んだ人がいる。また、高校性の時、僕の友達が自死を選んだということもあった。

何故か自殺に縁がある。

自殺という現象は、何故か僕に付きまとっていた。

遺伝的な要素としても、そのような引き金を引きやすい家系なのか、運命なのか、

僕はその答えを常に宗教、哲学、心理学、そしてスピリチュアル(霊性)に求めてきた人生であったが、

結局何一つ成就することなく、無意味に苦しみが家系的に続く奴隷のような人生のように感じていた。

そんな泥のような感情を毎日引きづりながら過ごしていたある雨が降る朝のこと。

ただ椅子に座っていると、

一滴の雨垂れを見た。

すると、何の理由もないのに、その一滴の雨垂れに、すべての「美」を見出した。

この地球、宇宙すべての美と価値が、その雨垂れすべてに内包されているという感覚だった。

そして、雨垂れだけでなく、全ての存在にその美しさが内包されていることに気がついた。

美、至福、静寂、

といったその感覚は、いつも常に、すでに存在しているということに気がついた。

また、

これまで読んだり学んだりしてきた事柄は、全てこの一瞥のことを語っているということ、

スピリチュアルでいう「愛」とは、この体験なのだということが分かった。

そしてこのすべてを包む静寂と至福、美は、母の腐敗した遺体を眺めている時でも、どんな時でも常にすでに存在していたことが分かった。

また、人間が、この至福と美、静寂を求めて宗教や富、権力という手段をもちいて未来に向けて行動し、文明を築いてきたが、

それは青い鳥のように、常にすでに自分自身が求めていたものそのものであるために、

探して手に入れる類のものではないということ。

つまり、

自分が求めていたものそのものであるということに気がつかないと、この現象に出会うことはないということが分かった。

今まで宗教やスピリチュアルの本に書かれていたことの核心はこのことなのだと分かった。

僕の役割

その日を起点に僕の人生は変わった。

キリスト教ではこの体験を「臨在」と呼ぶ。

僕は、この「臨在」をできるだけ多くの人に届けることだと、考えるようになった。

僕の家系は自殺家系である意味は、この臨在という体験と知識、そして技術について広く普及することなのだろうと考えるようになった。

例え、どのような結果であろうとも、

僕の遺伝子、つまり先祖がこれを願っているのだ。そして僕の母の本当意味での供養になるのだと感じている。

宇宙はただエネルギーとして存在し、人間だけがその識別能力で、

良い悪い、健康と病、正解と不正解、善と悪、富と貧困、幸福と不幸、成功と失敗、白と黒

というように分ける。

しかし、それはコインの裏表で同時に起こっている分けられない現象だ。

自分の人生がどう考えても不遇でも、「自分」という境界を超えた視点だと、分からないが、

その自分の生きた影響は、生命の進化に大きく貢献している。

個という小さい枠でしか見られないので、苦しみが生じる。

パラドックスだが、この苦しみが成長も担っている。

しかし、

前述したように、スピリチュアルとサイエンスが癒合するこの時代、

繰り返される苦しみはもはや無用となり、恐怖から身を守るためのモチベーションで人生を創造するのではなく、

喜びから人生を創造する時代に入っている。

このことは、毎日のニュースやTVの情報で判断すると分からないかもしれない。

人間の習慣的な、善悪の判断基準では分からない。

僕の伝えたいこと

日本では年間2~3万人自殺者の数がある。しかもこれは自殺と確実に判定された数で、実際は10万人近くの人が自殺を選んでいる。

僕の母も、不審死というカウントで、自殺には入っていないことには驚いた。

自殺の遺族や友人、知人には多大な心理的ストレスが加わる。

昨今、自殺者は増加している。

自殺に限らず、臨床現場の仕事をしていると、とても大変な人生を歩んでいる方々が数多くいらっしゃる。

今、自分がどのようにつらい状況にあろうとも、人間の識別能力の限界がゆえに、苦しい状況しか目に飛び込まないようになっているが、

実際は、人知を超えた至福と美があなたを常に守って包んでいる。

これのことの感じ方は人それぞれで、人によっては守護天使や高次元存在の導き、精霊や神の守護と解釈したり見る人もいるかもしれない。

だが感じ方に優劣がないように、そのように見えたり感じたりしなくても何も劣っているわけではないのは強調したい。

僕がPTSDを患い、その前から人生の幕を何度も閉じようとしたこともあった、

その都度大きな夢や希望の存在を知った。

そういうわけで、苦しみは、そのことに気がつかせてくれる大きな作用がある。

確実に言えるのは、僕は20年ほど瞑想したり、スピリチュアルワークをしたから一瞥体験をしたわけではない。

常にだれにでも、今この瞬間にその至福と美はあなたを包んでいる。

行うことは何も無く、ただそのことに気がつけばいい。

そうすると、

少しづつ人生は

繰り返される至福を求める人生から、

自分自身が至福そのものであったと「気づく」次元に移行する。

意志と意図でそれは加速もする。

そして、この意識は個人にとどまらず、家族、友人、地域、社会、世界、宇宙へと、池に広がる波紋のように影響を与えている。

こういうことを書くと、僕は悟ったり成長しきったり、あるスピリチュアルの特定の次元に移ったかのように思われると、それは誤解だと思う。

その一瞥の体験のあとも、

人生は困難とチャレンジの連続だった。

仕事での人間関係、

娘の重いアトピー、

長男の発達障害の発覚で、支援学級か通常学級の狭間で悩み、今年知的障害学級を、悩みに悩んだ末選んだこと。

この過程で、妻が接触障害とアルコール依存に陥ったこと、

仕事が減り、慣れないことにチャレンジしなければならないこと。

その都度自分の未熟さとコントロールできないマインドの嵐に見舞われたことがあった。

苦しみは終わっていない。

そして、強がりかもしれないけれど、それでいいとも思える自分がいる。

反面、

一瞥体験の理解と再現率の上昇、

人生の意味と理解の深度、

スピリチュアルとサイエンスに関する理解が深まり、人生への感謝と意義深さをよりしれるようになった、

以前は幻覚妄想と抑圧して蓋をしていたスピリチュアル現象の新しい視点での理解、

UFOと出会ったこと、

UFOと宇宙人の深いコンタクトを行っている人と繋がりを持てたこと、

龍雲とであったことの理解など、

分からなくもワクワクすることも増加している。

退屈することもあるけれど、人生は生きるには値すると思っている。






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