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愛しながらの争い——ヤスパースの「交わり」の哲学

愛しながらの争い──愛としてこの交わりは、どの対象にも差別なくあてはまる盲目の愛ではなく、透視する眼を具えた争いながらの愛である。この愛は可能的な実存から他の可能的実存を問題にし、苦難を負わせ、要求し、把握する。  
争いとしてこの交わりは、自と他の実存のための争いが一つであるところの、実存のための個別者の争いである。(中略) 
交わりの争いのうちには無比の連帯性がある。この連帯性は冒険を引き受け、それを共通のものとし、結果に対しては共に関与するから、自己を問いの対象とするあの徹底性をはじめて可能とする。これは争いを、常にそのつどの両者の秘密である実存的交わりに限定し、これによって世間に対してはきわめて身近かな友人、すなわち利害を分かちあう争いにおいて実存のために共にきわめて決定的に格闘する友人が成立することになる。  
開示性のためのこの争いに対して規則、すなわち優越性と勝利をけっして欲してはならない(中略)。それは二つの実存相互の争いではなく、自己自身と他者とに対する共通の争いであるが、しかしこれはただひたすら真理のための争いである。この争いは全く同等の水準の上でのみなされる。両実存は技術的な闘争手段〔知識や知能や記憶力や疲労度〕の差異にもかかわらず、いっさいの力を相互に出し合うことによって水準の同等性を作成する。しかし同等性の形成には、各人がそれを自分自身にも他者にも実存的にはできるだけ困難ならしめることが必要である。

ヤスパース. 哲学 (中公クラシックス) (pp.128-130). 中央公論新社. Kindle 版.(太字強調は筆者による)

カール・ヤスパース(Karl Theodor Jaspers、1883 - 1969)は、ドイツの哲学者、精神科医であり、実存主義哲学の代表的論者の一人である。現代思想(特に大陸哲学)、現代神学、精神医学に強い影響を与えた。『精神病理学総論』(1913年)、『哲学』(1932年)などの著書が有名。ヤスパースは、その生涯の時期ともあい合わさって、3つの顔を持っている。精神病理学者として、哲学者(神学者)として、政治評論家としての活動である。

かつて第二次大戦後に実存主義が流行した際、ヤスパースは実存哲学の代表者の一人として熱心に読まれた。しかし今や、若い世代にとってはほとんど忘却された存在となり、現在かろうじて言及されるのは、彼が1920年代にハイデガーと親交を結び、「戦闘仲間」という連帯感を抱いていたことや、ハンナ・アーレントにとって終生にわたっての師であったことくらいである。しかし、ヤスパースの哲学のうちには、現代のさまざまな局面での「自己喪失」の危機を超えて、われわれ自身が本来的な自己存在を取り戻すための〈呼びかけ〉が潜んでいる、と序文で哲学者の中山剛史氏は述べている。

引用したのはヤスパースの代表作『哲学』より「実存開明」の中の文章である。ヤスパースの鍵概念を挙げるならば「実存」(あるいは実存開明)、「限界状況」、「交わり」である。そして「愛しながらの争い」とは「交わり」の哲学の中で言及される。

まずヤスパースにとっての「実存(Existenz)」の意味から確認したい。「実存」はそもそもキルケゴールに由来するものであるが、ハイデガーの『存在と時間』では、〈存在了解をもった存在者〉としての独特な人間存在が「現存在(Dasein)」と称せられ、〈己れの存在において己れ自身にかかわる〉という現存在の固有のあり方が「実存」と呼ばれている。これに対し、ヤスパースの『哲学』では、「現存在」は自己の事実的な〈現実存在〉という意味で用いられており、「実存」は唯一無二の〈個〉としての〈この私〉の本来固有のあり方、すなわち「本来的な自己存在」のことを意味している。こうした「本来的な自己存在」としての、この「私」はいったい何者なのか。これを開明していくこと、それを通して「私自身」を取り戻すことが「実存開明」である。

この本来的な自己存在としての「実存」に覚醒させられるのはどのような局面においてか。そこで鍵となるのが「限界状況」と「交わり」である。われわれは、この世界の中で現存在しているかぎり、常に何らかの特定の状況の〈狭さ〉のうちで生きざるをえない。さまざまな限界に直面し、いつかは必ず死に直面する。こうした「壁」のような状況のことをヤスパースは「限界状況」と呼ぶ。普段われわれは「限界状況」に目を閉ざして逃避したり、忘却したりしている。その場合、われわれは単なる現存在として世界埋没的なあり方にとどまっている。これに対して、われわれが眼を開いて「限界状況」を直視し、それによって真に衝撃を受けるとき、われわれの生のあり方は根本的な〈転換〉を迫られ、「実存」としての自己の本来のあり方が覚醒させられるのである。限界状況としての「死」は、実存としての真の生を照らし出す「実存の鏡」である。

しかしながら、ヤスパースの哲学を特徴づける最大の概念は「交わり」であろう。というのも、同じ実存哲学のキルケゴールやハイデガーの場合、危機の自覚を通じて、単独者としての本来的自己存在に覚醒するとき、各自が他の誰とも同じではないという意味での真の「孤独」に立ち戻ることが要請される。これに対してヤスパースは、唯一無二に〈個〉としての「実存」相互の間での「交わり」、つまり「実存的交わり」に意義を積極的に強調する。この意味では、他者との対話や交わりを重視したブーバーやマルセル、レヴィナスなどの他の実存思想家と接点をもつものである。

ヤスパースのいう「実存的交わり」とは、かけがえのない唯一的な他者との、そのつど一回的な「交わり」のことである。われわれはこうした「実存的交わり」へと踏み入ることによって、「私は何者であるか」、「私は何を真に欲しているのか」がその深みにおいてあらわになり、照らし出される。この他者とともに真の自己自身になるような「実存的交わり」は、かけがえのない他者への愛と連帯性に根ざしつつ、自他の実存的真理を求める「愛しながらの争い(戦い)」という性格をもつものである。この争いは、相手を打ち負かすための戦いなのではなく、「自と他の実存のための争いが一つであるところの、実存のための個別者の争い」である。いわば、お互いの実存の開示性を求めての争いなのであり、そこでは優越性や勝利を欲することはない。これはただひたすら「真理のための争い」である。そして、この争いの性格は相手との実存的交わりを通じた無比の連帯性を求めるところにあり、実存を求めて共に決定的に格闘するという意味での「友人」が成立する。

このヤスパースの「交わり」の哲学は、前期の著作『哲学』においては、唯一的な他者との「実存的交わり」に主眼が置かれていたが、後期思想においては、あらゆる他者との関わりを求め、「普遍的な共同の生」を希求する、最も広い「理性の交わり」へと強調点が移行していく。こうした「理性の交わり」は、相異なる多様な真理や信仰が相互に出会いうる最も広い〈共通の空間〉を開こうとする試みにほかならず、これは後年のヤスパースの政治論、宗教論、世界哲学へと通じるテーマである。いずれにしても、ヤスパースの哲学は〈真理が交わりの中ではじめて明らかになる〉ことを重視する「交わり」の哲学であると特徴づけることができる。このモチーフは、ヤスパースの門下生であるアーレントの思想に受け継がれている。




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