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メンゲレの「悪の卑小さ」——オリヴィエ・ゲーズの『ヨーゼフ・メンゲレの逃亡』を読む

「小説の主人公となったメンゲレの輪郭ははたしてぼやけていますか?私はそうは思わない。私がここで描いた主人公の肖像とその卑劣さは重要なものです。私はメンゲレがひとりの人間であることを示したかった。ナチスのことをまるで異星人のように、怪物として描き、〔メンゲレのことを〕「死の天使」と呼んだりするのを見るとぞっとする。そのような表現はあまりにも安易で、真実に直面することにはならない。メンゲレは悪の卑小さの典型なのです。それは悪の平凡さよりもはるかに射程が長い。

オリヴィエ・ゲーズ『ヨーゼフ・メンゲレの逃亡(海外文学セレクション)』東京創元社, 2018. Kindle 版. 訳者あとがきより.(太字強調は筆者による)

本書『ヨーゼフ・メンゲレの逃亡』は、アウシュヴィッツ強制収容所のナチスの医師ヨーゼフ・メンゲレの戦後の逃亡を、本人の視点から小説形式で描いたノンフィクション小説の傑作である。ユダヤ人、特に双子たちを実験対象に、信じがたい人体実験を重ねた悪魔のような医師メンゲレは、ドイツ敗戦後、南米に逃亡し、1979年まで捕まることも裁かれることもなく生き延び、人知れず死んでいった。その後半生を多くの資料を元にして描ききっている。ゴンクール賞などと並んで、フランスでの最も権威ある文学賞の一つであるルノードー賞を受賞している。

ヨーゼフ・メンゲレ(Josef Mengele、1911 - 1979)は、ドイツの医師、人類学者、親衛隊大尉。第二次世界大戦における戦争犯罪者として知られる。1937年から人類生物学者、遺伝学者のオトマー・フライヘル・フォン・フェアシューアーの助手として働いた後、メンゲレは1940年に武装親衛隊に志願した。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で彼は選別を行い、非倫理的な人体実験を行った。戦後は南米で逃亡生活を送っていた。1949年7月に元SSメンバーのラットラインの支援を受けてアルゼンチンに航海した。彼は当初ブエノスアイレスとその周辺に住んでいたが、1959年にパラグアイに、1960年にブラジルに逃げた。メンゲレは、西ドイツ政府による身柄引き渡し要求とイスラエルの諜報機関モサドによる秘密工作にもかかわらず、捕獲を逃れた。 1964年初頭、フランクフルト大学およびミュンヘン大学は、ヒポクラテスの誓いを破ったこと、アウシュヴィッツで殺人の罪を犯したことを理由に、彼の医学と人類学における博士号を取りあげた。1979年2月7日、サンパウロ州ベルティオガの海岸で海水浴中に心臓発作を起こし、溺死した。(Wikipedia)

このオリヴィエ・ゲーズ氏の作品の中でクライマックスとなるのが、メンゲレの息子ロルフが、父の最後の逃亡先であるサンパウロの貧民街にいるメンゲレを訪ねてくる場面である。ロルフは立派な弁護士になっていたが、自分の家名に対してずっと十字架を背負っていた。彼はずっと悩み続けてきた。

自分の父親はヨーゼフ・メンゲレだ。自分はヨーゼフ・メンゲレの息子なのだ。自分は知らなければならない、選別が、実験が、なぜ、どのように行なわれたのか、アウシュヴィッツとは何か。あの男にはいかなる遺憾の念も悔恨もないのか?新聞が書き立てるような残酷な獣なのか?どこまで悪意があったのか、堕落していたのか?自に彼の魂を救うことはできるだろうか? そして、ロルフよ、おまえは彼の過ちゆえに悪しき人間なのか?

(同書)

父と対面し「アウシュヴィッツで何をしたのか?」とストレートに問う息子に対して、メンゲレは臆面もなく答える。

「ドイツ科学の一兵卒としての私の義務は、生物学から見た有機的共同体を守り、血を浄化し、異物を排除することにあった。……私が命令に従ったのは、ドイツを愛していたからだし、それがドイツを率いる総統の政策だったからだ。われわれの総統の命令に従って、法律的にも精神的にも任務を遂行するのが私の義務だった。私には選びようがなかった。アウシュヴィッツを、ガス室を、焼却炉を作ったのは私ではない。私はたくさんある歯車のうちの一つでしかなかった。一部にやりすぎがあったとしても、その責任は私にはない。」

(同書)

この小説では、メンゲレという男の「卑小さ」がリアルに描かれている。それを著者ゲーズ氏はインタビュー(冒頭の引用)の中で「悪の卑小さ(mediocrity of evil)」と表現した。この表現は、もちろんハンナ・アーレントがアドルフ・アイヒマンに対して用いた「悪の凡庸さ(banality of evil)」を意識している。一見、メンゲレは、小さなアイヒマンであるかのように見える。しかし「凡庸さ」と「卑小さ」には決定的な違いがあることに気づかされる。なぜなら、「凡庸さ」の本質とは「何も考えていないこと(無思考)」であることに対して、「卑小さ」の本質とは卑怯・卑劣と近いものであり、つまりは「自分に嘘をつくこと」であるから。

本作品では、メンゲレの「卑小さ」が徹底的に描かれている。父を乗り越えようとして終生父に甘え、一つ年下の弟を憎み、弟に復讐するかのようにその未亡人を後妻に迎え、南米各地の逃亡先においても暴君のように振る舞ったメンゲレ。そして、息子にだけは自分を理解してほしいと願いながらも、「アウシュヴィッツで何をしたのか」と聞く息子に対し、自分を偽り、自分に罪はないと自己弁護を繰り返したメンゲレ。しかし、晩年彼を苦しめたのはアウシュヴィッツで自分が切り刻んだユダヤ人たちの亡霊だったのである。



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