見出し画像

ポストコロナの「哲学的革命」——スラヴォイ・ジジェクの『パンデミック』を読む

だからこそ、この危機を政治性の低い状況、つまり、国家権力はその責務を果たし、我々は遠すぎない未来に何らかの正常性が回復されることを願いながら、その指示に粛々と従うべき状況だと見るのは誤りだ。ここで我々は、国家の法律についてイマヌエル・カントが書いた「従え、しかし考えよ。思考の自由を維持せよ」にこそ従うべきだ。今、これまで以上に、カントの言う「理性の公的利用」が我々に必要なのだ。(中略)
ここで、私の言う「共産主義」の出番である。曖昧な夢としてではなく、単にすでに起こりつつあること(あるいは、少なくとも多くの人が必然として捉えているもの)の名称としての共産主義、あるいはすでに検討されつつあり一部は執行されている措置の名称としての共産主義、明るい未来の展望ではなく、むしろ「災害資本主義」に対する解毒剤としての「災害共産主義」の視点である。

スラヴォイ・ジジェク『パンデミック:世界を揺るがした新型コロナウィルス』Pヴァイン, 2020年. p.84-85.(太字強調は筆者による)

スラヴォイ・ジジェク(1949年 - )は、スロベニアの哲学者。リュブリャナ大学で哲学を学んだ後、パリ第8大学のジャック=アラン・ミレール(ジャック・ラカンの娘婿にして正統後継者)のもとで精神分析を学び、博士号取得。現在はリュブリャナ大学社会学研究所教授。難解で知られるラカン派精神分析学を映画や社会問題に適用してみせ、一躍現代思想界の寵児となった。

ジジェクは急進的な知識人であり、歯に衣着せない物言いで有名である。彼の哲学や思考は、政治的には急進左派の立場から形成されており、自身も「共産主義者」を公言している。しかし、彼が現在の危機に対して、新しい「共産主義」が必要だというとき、スターリンや毛沢東の古典的な共産主義とは全く異なるものを意味していることにも注意が必要である。

例えば、冒頭の引用にあるような「単にすでに起こりつつあることの名称としての共産主義、あるいはすでに検討されつつあり一部は執行されている措置の名称としての共産主義」をジジェクは意味しているが、例として、「世界的なヘルスケア・ネットワークの構築」や「市場メカニズムに振り回されない世界経済の構築」を彼は挙げている。また、災害資本主義に対する解毒剤としての「災害共産主義」というのも面白い発想である。

本書は2020年の4月に刊行された原著を、2020年7月に和訳として発刊したものである。コロナ禍における非常に早い段階での、哲学者ジジェクの思想と提言と言える。しかしながら、彼の思想の鋭さはコロナ禍が始まって約4年を経過した現在においても、少しも色褪せてはいないと感じる。彼は、2010年に発表した著書『終焉の時代に生きる(Living in the End Times)』のタイトルが示しているように、世界の破局が迫っているという広く流布した感覚の哲学的意義について考察し、世界規模での政治的・経済的・環境的危機を叫んできた哲学者である。ジジェクがコロナ禍に対して「新しい共産主義が必要だ」と主張する背景には、すでに存在していた世界的な危機状況がコロナ禍によって顕在化したという認識がある。それは現在の資本主義制度や自由市場メカニズムでは危機を乗り越えられない、もっと根本的な変化が必要であるという認識である。

さらには、経済的・制度的仕組みの変化だけではなく、あらゆる側面における根本的な変化が求められたのが、今回のパンデミック危機であるとジジェクはみている。彼は以下のように述べる。

生活について、あるいは様々な生命体の中の生物としての我々の存在について、態度を完全に変える必要が出てくるだろう。つまり、「哲学」を人生の基本方針の名称として理解するのなら、我々は本当の哲学的革命を経験しなければならないということである。

(同書 p.65. 太字強調は筆者による)

今こそ哲学が必要な時代である。それは、私たちが既存のシステム、既存のやり方、既存の価値観を超えて連帯しなければならないときに、必要となるOSのようなものだからである。約100年前の世界的な変革期には、カール・マルクスの『資本論』とそのイデオロギーが、同じ役割を果たした。今の時代に必要な新しい「哲学」を、私たちは探求せねばならない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?