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集団化と私たちの加害者性―『福田村事件』から考える

 今の僕の思いやテーマとは何か。この映画の背景は、今からちょうど一〇〇年前の関東大震災時に起きた朝鮮人虐殺だ。未曾有の災害と流言飛語にパニックになりながら、多くの市民が朝鮮人狩りに狂奔した。殺された人の数は公式には六〇〇〇人前後。でも間違いなくもっと多い。映画を撮りながら、自分がもしもその場にいたらと何度も想像した。殺される側ではない。殺す側にいる自分だ。  
 ……などと書き始めると、少し危ない人だと思われるだろうか。でも事実だ。ずっと虐殺が頭から離れない。だからやっぱり考える。なぜ自分は虐殺について、集団が集団を殺戮する現象について、憑かれたように考え続けているのか。 ここ数年、僕にとってのキーワードは「集団化」だ。人は集団になったときにそれまでとは違う動きをする。これもやっぱり、虐殺について考え続けた帰結のひとつだ。

辻野弥生. 福田村事件:関東大震災・知られざる悲劇. 五月書房新社, 2023. Kindle 版. pp.220-221.

上記は2023年公開の映画「福田村事件」の監督・森達也氏が、資料の一つである辻野弥生氏の本「福田村事件:関東大震災・知られざる悲劇」に特別寄稿した文章の一部である。

福田村事件とは、1923年(大正12年)9月6日、関東大震災後の混乱および流言蜚語が生み出した社会不安の中で、香川県からの薬の行商団15名が千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)三ツ堀において、朝鮮人ではないかと疑われ自警団に暴行された末、9名が殺害された事件である。当時、朝鮮人が井戸に毒を入れたとか、暴動を起こし日本人を襲っているという流言蜚語が飛び交っていた。犠牲となった9名の中には幼児や妊婦が含まれており、妊婦のお腹の中の胎児を含めると10名が犠牲になった。事件後100年となる今年、ドキュメンタリー映画監督として有名な森達也氏が、初めての劇映画として映画化。各種メディアにも取り上げられ、注目を集めた。

関東大震災後の流言蜚語によって朝鮮の人々が多く虐殺されたことは知られているが、当時、朝鮮人と間違われ殺された日本人も多くいたという事実はほとんど知られていない。この事件は2000年代に入って徐々に詳細が明らかとなり、加害者・被害者側の証言や当時の新聞記事などがまとめられた。2003年には事件後80年を経て、事件現場に慰霊碑が建立された。

私も森達也氏の映画を観て、また辻野弥生氏の書籍を読みながら、困惑しながら考え込まざるをえなかった。なぜ、人間はこんなにも残酷になれるのだろうかと。背景となった要因はいろいろと説明することはできる。朝鮮人に対する当時の差別意識、流言蜚語が起きやすかった諸状況、大震災後の社会不安と恐怖心、集団心理の暴走、メディアの「誤報」(当時新聞は「不逞鮮人」という言葉を使いデマを煽った)……。

しかし、なんだか腑に落ちないのだ。彼らはなぜこんなことをしてしまったのか。その核心のような部分を、私たちはまだ理解できていないのではないだろうか。今とは差別意識などが異なる100年前のことだ……と片付けてしまうのは正しいことなのだろうか。

森達也氏の疑問は次の一点に集約される。集団化したときの、私たちの中にある「それ」は一体何なのかと。それはオウム真理教事件の取材を進めてきた当時から森氏が感じ続けてきたことであった。森氏のまなざしは被害者よりむしろ、加害者側に向けられる。加害者側にまわる「私たち」に向けられている。普段は善良で優しいはずの人間が、集団化したときには恐ろしい攻撃性や残酷さを発揮する「私たち」とは一体どんな存在なのか。

森氏は、善良な人が善良でなくなるときの、その境界は非常に脆いものだという。むしろ「人は優しいままで人を大量に殺せる」存在なのではないかとまで述べる。

何度でも書く。凶悪で残虐な人たちが善良な人たちを殺すのではない。普通の人が普通の人を殺すのだ。世界はそんな歴史に溢れている。ならば知らなくてはならない。その理由とメカニズムについて。スイッチの機序について。学んで記憶しなくてはならない。そんな事態を何度も起こさないために。

同書. p.227.

そして、海外における同様の事例として、ポーランドのイェドヴァブネ村におけるユダヤ人虐殺の例を挙げる。第二次大戦中の1941年7月10日、この地に暮らすユダヤ人数百人が暴行され、納屋に集められ生きたまま焼き殺されるというポグロム(ユダヤ人迫害)が起きた。長い間ドイツ軍の仕業だと考えられていたが、2000年に入って歴史学者のヤン・グロスが、ポーランド人住民が加害者であると主張、その後国民記憶院(IPN)の調査によって事実と確認された事件である。

このイェドヴァブネ村事件と福田村事件の本質は非常に共通のものを持っている。それはホロコーストのような非常にシステマティックな「機械的な」虐殺とも異なる。むしろ、それは全くシステマティックではなかった。そこに居た加害者側の人々の一人ひとりには自由意志があり、行動に至る動機や状況には多様性や個別性があったのではないか。つまり加害者には一人ひとりの「顔」があった。ある者は暴動で犠牲になったであろう家族を思い、復讐のために刃を下ろした……。ある者は国や故郷を守るために竹槍を刺した……。集団化という現象の元での、一人ひとりの加害者性(加害者の「顔」)を丁寧に描いたところに、映画『福田村事件』の大きな価値がある。



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