互酬性なき贈与の関係——アナルコ・コミュニズム
哲学者の森元斎氏が書いたアナキズムの入門書より引用。森氏は大阪大学大学院で博士(人間科学)を取得。専門は哲学・思想史で、著書に『具体性の哲学——ホワイトヘッドの知恵・生命・社会への思考』(以文社)などがある。
アナキズムと言うと「無政府主義」など過激なイメージがあるが、本書はそのイメージをガラリと変えてくれる。私たちの自然な生き方にはアナキズムやコミュニズムが含まれているという。
まずアナキズムとは何か。鶴見俊輔の定義によると「アナキズムは、権力による強制なしに人間がたがいに助けあって生きてゆくことを理想とする思想」(鶴見俊輔『身ぶりとしての抵抗 鶴見俊輔コレクション2』河出文庫, 2012, 17頁)となる。つまり、国家に頼らずに自分たちの相互扶助を基盤にして社会をつくっていく考え方である。森氏は、私たち生活者はある意味、みんなアナキストであるという。「さすがに四六時中、国家のことなんかは考えないだろう。ご飯はどうするか、何飲むか、トイレで踏ん張るか、その他もろもろ、ただただ生活している時に、国家の恩恵など受けていない」からである。
一方、アナキズムと近いコミュニズム(共産主義)とは何か。マルクスが掲げたようなコミュニズムは、国家による共産主義体制だった。私有財産を廃止し、生産手段を国有化するのがコミュニズムの基本的な考え方だ。私有財産を拒絶し、平等な社会を作るという理念で、アナキズムとコミュニズムは同じなのだが、コミュニストがそれを「国家」に頼って行おうとすることにアナキストは反対する。アナキストはあくまで反国家主義なのである。
しかし、国家によるコミュニズムとは異なる「一人一人のコミュニズム」があるとすればそれは何だろうか。例えば人類学者マルセル・モースの『贈与論』に、原始共産主義と呼べるものが書かれている。ある地域のいくつかの共同体同士は、食料や物語、宝物などを贈与しあっている。死者の埋葬も別の共同体に頼むということが起きるのだが、このとき「七人こちらでは葬ったのに、君たちは四人しか葬っていない、不公平だ」とは決して言わない。その意味で、「自らの能力の範囲内で他人の必要に応えようとすることはすでに共産主義であり、この意味で共産主義はどんな人間社会にも存在している」とモースは語っている。
つまり、「各人が能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という原理に基づいて、お互いの財産や能力を使い合うという関係を、森氏はアナキズムであり、コミュニズムであるという意味で「アナルコ・コミュニズム」であると述べる。そして、その意味での「贈与」の関係は、「互酬性」とは異なるとされる。互酬性は、その都度贈与の関係が生じるのは同じであるが、その都度の関係は、能力によってではなく、市場取引で処理される。例えば、何か貴重なものをくれたときに、対価としてお金をあげるというようなことだ。この市場取引の関係は、それっきりであり、関係性が続くことはない。そうではなくて、「互酬性なき贈与の関係」こそが、アナルコ・コミュニズムであるという。子どもにチョコをあげて、そのかわりに100円ちょうだいと私たちは要求しない。そういうものだ。
本書では、アナキストを代表するプルードン、バクーニン、クロポトキン、ルクリュ、マフノといった思想家たちの考えが、魅力的に紹介されている。アナキストたち(プルードンやバクーニン)と、コミュニスト・マルクスの思想的・組織的な対決の様子も詳しく描かれている。19世紀後半から20世紀初頭に起きた革命の歴史を振り返る上でも非常に学びの多い一冊である。
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