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そんそんの教養文庫(今日の一冊)

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一日一冊、そんそん文庫から書籍をとりあげ、その中の印象的な言葉を紹介します。哲学、社会学、文学、物理学、美学・詩学、さまざまなジャンルの本をとりあげます。
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記事一覧

仏性を見るための「中道」——高崎直道『『涅槃経』を読む』を読む

『涅槃経』(ねはんぎょう、梵: ニルヴァーナ・スートラ)は、釈尊の入滅されるその日の最後の説法を通して、仏教の根本思想を伝える経典である。クシナーラーの沙羅双樹の中で釈尊が、「仏の永遠性」「一切衆生悉有仏性」などの真理を語る。仏は永遠であり、全ての人間には、仏のさとりを得られる「仏性」が備わっていることが明らかにされる。日本仏教に大きな影響を与えた。本書『『涅槃経』を読む』は、仏教学の第一人者である高崎直道氏が、NHKのラジオ第二放送「こころの時代~宗教・人生~」で放送された

「回心」の宗教心理学——ジェイムズ『宗教的経験の諸相』を読む

ウィリアム・ジェームズ(William James、1842 - 1910)は、アメリカ合衆国の哲学者、心理学者である。意識の流れの理論を提唱し、ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』や、アメリカ文学にも影響を与えた。パースやデューイと並ぶプラグマティストの代表として知られている。著作は哲学のみならず心理学や生理学など多岐に及んでいる。心理学の父である。日本の哲学者、西田幾多郎の「純粋経験論」に示唆を与えるなど、日本の近代哲学の発展にも少なからぬ影響を及ぼした。夏目漱石も、影響を

盗賊と長老——『仏弟子の告白(テーラガーター)』を読む

テーラガーター(パーリ語: Theragāthā)とは、パーリ語経典経蔵小部に収録された上座部仏教経の一つで、全21章での構成、すべてで1279の詩が収められている。テーラとは「長老」、ガーターとは「詩句」のことで、「長老たちの詩」という意味。本書は、訳者の中村元が「仏弟子の告白」と意訳したものである。これらの詩は、男性である修行僧たちが自分で詠じたもの、あるいは詠じたとして伝えられているものも多いが、また他の人々がこれらの修行僧について詠じたものもある。実際の作者は多勢いた

マルクスのエコロジーと「物質代謝の亀裂」——斎藤幸平氏『大洪水の前に』を読む

著者の斎藤幸平(さいとう こうへい、1987 - )氏は、日本の哲学者、経済思想家、マルクス主義研究者。東京大学大学院総合文化研究科・教養学部准教授。フンボルト大学哲学博士。本書『大洪水の前に:マルクスと惑星の物質代謝』は彼の博士論文(ドイツ語)の英語訳『Karl Marx's Ecosocialism(カール・マルクスのエコ社会主義)』を元にしたものであり、これにより権威あるドイッチャー記念賞を日本人初、歴代最年少で受賞している。本書は世界9カ国語で翻訳刊行されている。日本

本居宣長が紫式部に感じた「もののあはれを知る心」——小林秀雄『本居宣長』を読む

小林秀雄(こばやし ひでお、1902 - 1983)は、日本の文芸評論家、編集者、作家、美術・古美術収集鑑定家。日本の文芸評論の確立者であり、晩年は保守文化人の代表者であった。アルチュール・ランボー、シャルル・ボードレールなどフランス象徴派の詩人たち、ドストエフスキー、幸田露伴・泉鏡花・志賀直哉らの作品、ベルクソンやアランの哲学思想に影響を受ける。本居宣長の著作など近代以前の日本文学などにも造詣と鑑識眼を持っていた。 『本居宣長』は1977年(昭和52年)発刊、小林が75歳

泣き続ける乳児と存在の不快さ——埴谷雄高『死霊』とカント哲学

埴谷雄高(はにや ゆたか、1909 - 1997)は、日本の政治・思想評論家、小説家である。共産党に入党し、1932年に逮捕・勾留された。カント、ドストエフスキーに影響され、意識と存在の追究が文学の基調となる。戦後、「近代文学」創刊に参加。作品に『死霊』、『虚空』などがある。本書『埴谷雄高——夢みるカント』は、埴谷の長編小説『死霊(しれい)』について、カント哲学を軸にして、哲学者の熊野純彦氏が読み解いたものである。 1932年から翌年にかけて未決囚として刑務所に入っている際

折口信夫の「まれびと」考——共同態の外部から来る規範

社会学者の大澤真幸氏による折口信夫「まれびと」考である。民俗学者・国文学者・歌人の折口信夫(おりぐち しのぶ, 1887 - 1953)については前記事も参照のこと(折口信夫の「いきどほり」と「さびしさ」)。 折口信夫には『死者の書』という奇妙な小説がある。水の音と共に闇の中で目覚めた死者、滋賀津彦(大津皇子)の魂と、彼が恋う女性・耳面刀自の魂との神秘的な交感を描く幻想小説である。この『死者の書』における滋賀津彦と、その魂を癒やす女性との関係をもとに、折口信夫の鍵概念である

沈黙の有意味性——吉本隆明の詩作と哲学

吉本隆明(よしもと たかあき, 1924 - 2012)は全体像を把握しにくい思想家である。例えば『古事記』、古代歌謡、近代文学、民俗学から、マルクス、フロイト、親鸞まで、それぞれの専門家が一生の仕事とするような対象についての知見を自在に駆使しながら、それらを統括するような仕事をしている。とはいえ、吉本の「哲学」が問いつづけている主題そのものは、決して分かりにくいものではないと、本書著者の菅野覚明氏は言う。それは「個(個体、自己)が十全に個であることはいかにして可能であるか」

異常とは常識の欠落ではなく「共通感覚」の喪失である——木村敏『異常の構造』を読む

木村敏(きむら びん、1931 - 2021)は、 日本の医学者・精神科医。専門は精神病理学。河合文化教育研究所所長。京都大学名誉教授。元名古屋市立大学医学部教授。元日本精神病理学会理事長。人間存在を探究し、「あいだ」を基軸とする独自の人間学を構築して、国内外に影響を与える。著書に『自己・あいだ・時間』(1981年)、『関係としての自己』(2005年)などがある。 本書『異常の構造』は1973年初刊、木村42歳時の著作であり、木村の「あいだ」論の時期に属する初期の作品といえ

折口信夫の「いきどほり」と「さびしさ」

折口信夫(おりくち しのぶ、1887 - 1953)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。折口の成し遂げた研究は、「折口学」と総称されている。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。 国文学と民俗学の両面からなる折口の学問は、その独自さゆえに彼の名を冠して「折口学」と呼び習わされているが、そうした折口の学問的探求の根底には「自分は何のために生まれたのか」「わが命のもとは何か」といった、主体的で切迫した問いが

すべてのことについて少しずつ知ること——パスカル『パンセ』を読む

ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal、1623 - 1662)は、フランスの哲学者、自然哲学者、物理学者、思想家、数学者、キリスト教神学者、デカルト主義者、発明家、実業家である。神童として数多くのエピソードを残した早熟の天才で、その才能は多分野に及んだが、39歳にして早逝した。その遺稿は死後『パンセ』として出版されることになった。「パスカルの定理」「パスカルの原理」など幾何学・物理学でも名を残すが、哲学者としても著書「パンセ」は、没後300年以上経つ現在まで読み継が

アウシュヴィッツの後で道徳はいかに可能か——アレントの考えた「共通感覚」

アウシュヴィッツのあとでまだどのようにして倫理が可能であるのか。このテーマに応えようとしたのが、ハンナ・アレントの『責任と判断』に収載されている「道徳哲学のいくつかの問題」という文章である。これは1965年にアレントが教授をつとめていたニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ校で開講された長い講義の記録である。冒頭に引用したのは、その連続講義の第四講において、カントの判断力と共通感覚についての説明をしている部分である。 第二次世界大戦とその戦後の世界で、道徳原則が二回崩壊

「ウェルビーイング」を主体に考えるフィンランドの教育

2019年刊行の『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』からの引用。著者の岩竹美加子氏は、1955(昭和30)年、東京都生まれ。早稲田大学客員准教授、ヘルシンキ大学教授を経て2019年6月現在、同大学非常勤教授(Dosentti)。ペンシルベニア大学大学院民俗学部博士課程修了。著書に『PTAという国家装置』、編訳書に『民俗学の政治性』等。 人口約550万人、小国ながらもPISA(一五歳児童の学習到達度国際比較)で、多分野において一位を獲得、近年は幸福度も世界一となったフィン

批評とは「表層」の体験である——蓮實重彦『表層批評宣言』を読む

蓮實重彥(はすみ しげひこ、1936 - )は、日本の文芸評論家・映画評論家・フランス文学者・小説家。専門はフローベール研究だが、ロラン・バルトやミシェル・フーコー、ジル・ドゥルーズなどフランス現代思想が1970年代から日本へ紹介されるさいに中心的役割を果たす一人となったほか、近現代文学・映画評論の分野でも数多くの批評を手がけている。1980年代以降は各国の映画製作者とも幅広く交流し、小津安二郎など日本映画の世界的再評価に大きく貢献した。東京大学教養学部教授(表象文化論)、第