山内日記 12/19

 こんにちはこんばんは私です。先日、父から電話がありました。

 「千葉のおじさんからな、息子(私から見たら従弟)が三重県の大学に進学することなってアパート探しよるけどアドバイスをって電話あったからな、うちは参考にならんで言うとったよ~」と。従弟殿は新築アパートじゃないと嫌だとかいろいろいっておじさんは困っていたようでした。

 私の父はうちのは参考にならんよと言いましたが、そこで振り返ってみますと、たしかに参考になりません。

 私は2011年に京都産業大学法学部法政策学科に進学しました。当然、郷里の山口県から出ての一人暮らしです。この時に父と大紛糾したのが家問題でした。

 普通にアパートを借りれば4万円~になるのが京都の都会価格です。ワンルームでもそんな価格になり、新築や1K、2Kとかになれば5万円~となります。その時、京都産業大学の一般学生寮(追分寮)は入寮費2万円、寮費は年額約20万円、半期分納だったのです。月額2万円するかしないかですね。

 ただ、私はこの寮が好きではありませんでした。パンフレットなど見ると、現在でもそうらしいのですが、2人部屋で常に団体行動。朝はグラウンドでラジオ体操と国歌の下で国旗掲揚、外出時は班長報告、さらに入寮時に入寮審査で作文提出。

 いくら保守的な自由民主党支持者の私も、初期ゆとり教育世代で個の大切さを教え込まれた私は入りたくないと思ったものです。

 そこで折衷案で決めたのが京都産業大学学生部が斡旋する学生下宿制度の利用でした。

 そこで紹介されたのが家賃2万2000円、風呂トイレなし、8畳ワンルームの下宿でした。場所は上賀茂の柊野別れに近いお米屋さんの二階。4階建てのビルで、1階にお米屋さんが、お向かいにお米屋さんの自宅がありました。

 元々4畳半和室を1995年ごろに改装したらしく、8畳部屋になっていました。いつ建築なのかは一切不明。ドアは木製、エアコンなんてものはあるようなないような感じの冷房専用のコロナ・ウィンドウエアコン。横に1999年製造と書いてあった記憶があります。リモコンはボタン電池が液漏れをおこし、私が引っ越すのが先か壊れるのが先かといったところ。

 トイレは各階にありましたが、和式でドアは壊れかけ。4階のトイレに至ってはドアも消えてました。あと、換気扇も死んでいて臭い。臭いから窓は開けっ放し、その窓もさびて動かず、冬に和式トイレにまたがって細い鉄パイプを指で握って支えにしながら用を足してると窓から雪が入ってきて頭に積もるような・・・。

 お風呂は共用シャワーがあり、1回100円で10分間使用可能。このおかげで今でも「カラスの行水」とよばれるほど早風呂になりました。ここの窓は生きていましたが、京都の冬は厳しいもので、たまに給湯器が負けてお湯かと思ったら水が出てきて顔面総紫になったり、脱衣場に1センチレベルで雪が積もっていたりとしていました。

 家に帰ればネズミと目が合い、備え付けのベッドに寝てたらパイプベッドが崩落したり、窓用エアコンを使用するのに排熱用に開けている窓とエアコンの隙間から蜂が入ってきて、教科書のポケット六法や日本法制史の教科書で戦ったりしていました。

 こんなアパートでもなんでか悪い思い出はありません。グリークラブの先輩や後輩も住んでいて、みんなドアを開けっぱなしにしていて会話もありましたし、みんなで近所の柊湯という銭湯にサンダルに薄いダウンジャケットとジャージ着で震えながら浸かりにったりとしていましたし、なによりも、お米屋さんをしている大家さんの人徳でみんな生活していました。

 家賃に困窮すれば何か月でも待ってくれる、家賃は手渡しで持っていくたびにジュースを貰える、なんなら朝の登校時に出会ったら自動販売機でコーヒー買ってくれたり。我々下宿人も、大家さんから困りごとあればお手伝いしていましたし、下宿を出た後も人生の節目や京都に遊びに来た時などに「下宿OB」が大家さんを訪ねてきていました。

 こう見てみると、新築アパートじゃないと嫌だなんて言ってられないです。ちなみに私は他人に話すときに「家賃2万円で風呂トイレセパレートの物件(部屋からな!!)」と言っていました。

 現在、仕事をしている厚生労働省系の医療機関の職員官舎は2Kで6600円給与天引き。最高です。天井の壁紙はがれかけてたり、壁にヒビ入ってたり、ドアの建付けが死んでいて蹴りを入れないと閉まらない、タックルしないと開かないとかありますが、ユニットバスがあるだけでレベルアップです。

 わりと私の周りの職員からはこの官舎の評判は良くないですが、なんせ学生時代があんな感じだったので今は天国です。

 そんな話をしてふと懐かしくなったのでした。

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