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はじめまして(1)

ソムタムパラーと言います。
名前は大好きなタイ料理から取りました。
ここでは、少しずつ自分の事や、好きなこと、思ったことなどを少し記していきたいと思います。

自己紹介

最初に、僕がどんな人間なのかを書いてみたいと思います。何回かに分けて少しずつ書いていきたいです。

生まれてから大学生になる頃までの話

僕は父と母が結婚して1年後に、東京都の小平市で母の実家のそばの病院で生まれました。母は大手不動産会社の受付嬢で、父は祖父のおこした風船を扱う会社で働いていました。
長男として生まれた僕は父の祖父母・母の祖父母に可愛がられ大切に育てられました。1年後に弟が生まれ、4年後には妹が生まれて僕は兄となりました。
子供の頃は折り紙を気の向くままにハサミで切って、その切り絵を見てからインスピレーションで思いついたままタイトルを付けるのが大好きでした。また絵を描いたり、空き箱や家にある要らないものを組み合わせて何かを作るのが大好きでした。
また、母がずっと僕に話しかけるため1歳すぎから言葉が話せ、記憶も鮮明に覚えているような、少し変わった子供でした。
そのため、幼稚園や小学校に入ると同年代の子達が自分と違い、自分と周りの子達との知能のギャップや、自分が周りと同じようにできない事で、中学生になる頃までずっと悩まされましたが、高校生になるとだんだんとそれもなくなりました。
そんな訳で、手を動かして何かを作ることが好きだったため、大学は工学部に進みましたが、ここでもまた周囲との違いに悩まされ、卒業後の進路については、みんなと違う道を選ぶことになりました。

社会人としての進路を決める話

大学で工学部に進んだ僕は、周囲の友達とものづくりにかける情熱の差に悩まされる毎日でした。アルバイトをして稼いだお金でバックパックを担いで東南アジアを廻る毎日のほうが楽しく、だんだんと卒業後の進路は周囲の人達と違う方向に進みたいと思うようになっていきました。
僕が大学に入って間もなく、父が経営する会社がタイで商品を作るようになり父の出張に合わせて、僕も一緒にタイのバンコクへ行く機会があり、そこで出会った、いわゆる東南アジアの熱気に自身の興味を一気に持っていかれました。
気づくと、アルバイトで稼いだお金で3ヶ月に一度ほどタイやその周辺国を廻る大学生活を送るようになっていました。そして大学4年生になると、一度修行をしてのちのち父の会社に入り、タイを含めて東南アジアでビジネスをする夢を持ち、卒業後は父に紹介をしてもらった会社で修行をすることを決めました。

バンコクのウォンウィアン・ヤイ駅から伸びるローカル線のどこかの駅(1997年撮影)

今回はこのあたりまで、続きはまた別で書きたいと思います。
読んでくださってありがとうございます。

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