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私はきっと、結婚式ができない

人生ではじめての、結婚式に参列してきた。

親戚付き合いが全くなくて友達もかなり少ない私にとって、人生で結婚式に行く機会は指を2,3本折るぐらいだと思う。
そのうちの1回。大切な1回。最初の1回。

それをいちばんの友達の結婚式として迎えられたのだから、こんなに幸せなことはないだろうな。彼女と出会った頃の中学生の私に教えてあげたい。彼女にも、教えてあげたい。

こんなにも可愛い笑顔で、出会って十数年が経っても私は見たことのなかった笑顔で、幸せになっているよ、って。




実は結婚式だけではなくて、前撮りから参加させてもらっていた。前撮りに参加する、彼女の実家のお犬様たちのお世話兼オフショット係として。

「前撮りに友達が立ち会えるって滅多になくない?聞いたことないよ」と周りの人に言われる度に、なんだかものすごく貴重な経験をさせてもらえたなぁって。


もう、本当にもう、彼女と旦那さんの空気感になぜか私が安心して、彼女のお母さんと「なんか、よかったね」なんて笑い合って、私がものすごく幸せだった。

旦那さんが彼女を見る目線が、とにかく優しくて。
彼女が移動する度にドレスを気にしてあげる仕草も、慣れない服装と状況だからと体調を心配してあげる心遣いも、全部が愛情だった。優しい、とにかく全部が優しい。温かくて、穏やかで。


それに、「お母さん」「ママ」と気軽に呼べる存在がいなくなった私にとって、付き合いの長い彼女のお母さんを「ねえ、ママ〜」と呼べることになんだかいつも幸せを感じる。

帰りに家まで送ってくれて、車中で私の話になったとき、「大丈夫、◯◯ちゃんも必ず幸せになれる日がくる、大丈夫だよ。」って言ってくれた言葉、「大丈夫」に確実な根拠はないはずなのに"お母さん"の愛情を感じて、この愛情を受けて育った友達が次は別の形で幸せになっていくことに安心した。



彼女はきっと大丈夫。
正しい愛情を受けて育ったのだから。

その愛情は、彼女を何よりも肯定してくれる。
だからきっと大丈夫。彼女の幸せは続いていく。
そう信じることのできた日だった。





そして、結婚式当日。


そうだな、なんて言ったらいいのかな。
ただただ、ものすごく、優しくて穏やかな時間だった。

その場にいる人全員が、
2人のために集まった、ということ。
これだけの人数の、共通の話題が2人だということ。

そんな時間って人生で何回あるんだろうね。
生きている間にあるのは、もしかしたら結婚式という場だけかもしれないな、って。


それに、人生ではじめての結婚式なのに一生分の参列を詰め込んだかのような特別な経験ばかりさせてもらえて。

ブーケトスではブーケを受け取ることができて、中座のエスコート役にも選んでもらえて、簡単なインタビューとスピーチまで。ブーケセレモニーにも参加させてもらえて。

本当に、ありがとう。



挙式、披露宴含めて、新婦側のゲストはほぼ全員が泣いていたと思う。披露宴の最後に流れた当日の様子がすべて収められたエンドロールでも、人それぞれの涙がそこには映っていた。

それなのに、私は泣けなかった。
"友人"として呼ばれた中で一度も泣かなかったのは、
私だけだった。

でも、自分が泣かないのは、泣けないのは、この日を迎える前にすでにどこかで分かっていて。その理由も、分かっていて。




結婚式って、家族がいる人が挙げられるものだなと、改めて思った。昔からずっとそう思っていたはずなのに、分かっていたはずなのに、どこかでそうじゃない形があってもいいと信じたかったのかな。いつかの自分のために、そう思いたかったんだと思う。

だけどやっぱり、そうじゃないんだろうな、って。



新郎と両親とのジャケットセレモニーから始まった挙式。
新婦入場も両親と。ベールダウンをするお母さん、バージンロードを一緒に歩くお父さん。
式前には両家の両親とのファーストミートが行われていたみたいで、「大切な我が子へ」と題された手紙を受け取って。

披露宴での両親からの挨拶。子供に込められた想いが贈られる場面、新婦から両親への手紙。

手紙を読みながら流れる彼女の涙、出会ってから初めて見た。正直驚いた。いつでもクールで淡々としている彼女は、きっとこの手紙さえもさっぱりと読むものだろうと昔から思っていたから。

そんな涙が両親へ想いを伝える中で流れたこと。伝えている言葉以上の見えない想いがあるんだろうなって、彼女から溢れる涙を見てどこか冷静に思っていた。


今の時代、結婚式で両親と行うようなことのどれを無くしたって、きっと誰にも何も言われないと思う。なんでも自由に選択できる時代。この全てをやる必要もなければ、強制されることもない。やりたいようにしたらいいんだと思う。

だけど結婚式って、育った家庭や家族からの卒業式のようなものなんだろうなって。そんな機会なんじゃないのかなって。

だから結婚式を迎えるには、
家族の存在が必要不可欠のような気がして。
それがあるべき姿のような気がして。



ここで泣いてしまったら、私は自分にないものを認めてしまうような気がした。だって涙が出そうになった瞬間は、私にはそれがないと思ってしまう瞬間ばかりだった。

私にはできない。
この素敵な日が、私の人生には訪れそうにない。


本当に申し訳ないけれど、だから誰にも言えないけれど、私は彼女の幸せに泣きそうになったわけじゃなかった。

羨ましかったんだと思う。両親からこんなにも大きな愛情を受けて、これまでの人生を過ごしてきたことが。それで身に付いた彼女の強さと優しさが、それを言葉と結婚式を挙げるということで両親に返せる日があることが、心底羨ましかった。

それを今まで関わる中でも知っていたはずなのに、やっぱり目に見える形で知るのとは訳が違うね。

受付をお願いされていたから彼女のご両親が始まる前に挨拶に来てくれたけれど、こんな風にしてくれる親が私には片方さえいないことを、その時にも思い知ったんだから。



だけど、そんなことは彼女に関係ない。
彼女の幸せに嫉妬しているわけではないし、こんなにも素敵な日を出会ってから10年以上が経っても変わらず友達として迎えられたこと、その場に立ち会わせてくれたこと、本当に全部嬉しかった。

中座のエスコート時に流してくれた曲、歌詞が最初から最後まで本当にぴったりで嬉しかったんだよ。私たちの青春、西野カナの曲で。

 これから先何が起きても
 ずっと変わらずにいよう
 思い出して ほら君の友だちは
 いつでもそばにいるよ

 新しい日々 それぞれの道
 また明日って言えなくなるけど
 うれしい時も 涙の時も
 いつも一人じゃないから

友だち / 西野カナ



それにね、気づいたこともあった。

羨ましいと思うのも、ないものを思い知ることがこわいと思うことも、やっぱり、結局、私は家族が欲しいんだなぁって。その気持ちが全くなければ、こんな風に思うことすらなかったはずだから。


彼女の家族や結婚を通して、私は知ることがたくさんある。

本来、結婚が幸せなものだということ。
私の知っている家族の形だけが全てではないということ。
愛されることで身に付く強さと優しさ、柔らかさ。
それを次は育んでいく立場にもなれる、ということ。



本当に、結婚おめでとう。
この先もずっと幸せでいて欲しい。
何も変わらず、穏やかな日々を過ごしていて欲しい。

彼と出会ってからのあなたの変化を見ていると、とても大切にされて愛されているのだと、よく分かるんだよ。
そんなあなたの幸せが続くように、心から願っています。






泣けなかったことだけをある人に伝えたら、「きっと他の人とは違う見方で見ていたんだね」と返ってきた。

本当に、どうしてそんなに私のことを知ってるの?
どうしてそんな言葉が出てくるの?

「また話したくなったらでいいよ、無理に言葉にする必要ない」「◯◯ちゃんが上手く言葉にできないのは本当に珍しいことだから、それだけ複雑な感情なんだね」って、すべてを言葉にしなくちゃ意味がないと思っている私が、言葉にしなくても分かっていてくれるんだと思えて安心できる人。


今までの私の人生にも、あなたがいてくれたら良かったな。





エンドロールを撮影した動画を見て、何回か1人で泣いた。この涙は、あの日を思い出して、素直に彼女の幸せが嬉しかったから、だと思う。

本当におめでとう、そしてありがとう。
いつまでもお幸せに。

もらったお花がとっても可愛い



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