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時に恨むことも、腹を立てることも必要だった

ここ数日、
昔の私が書いた家族についてのnoteを読み返していた。



結局いつまで経っても、子どもの頃に味わったあの気持ちが私の中から抜けてくれない。いなくなってくれない。

わたし自身が親にもなれる歳に近づけば近づくほど、その気持ちは強まっていく一方で。


みんなの当たり前が私には当たり前になかったこと、昔よりも今の方が痛いほど実感する。

人より早く自立しても、なんでも自分でできるようになっても、どこへでも1人で行けるようになっても、どれだけ仕事を頑張っても、埋められない穴があるなんて気づきたくなかったな。

両親に感謝する人たちを見る度に、帰ることのできる実家がある人たちを見る度に、その心の安全地帯はお金でも買えないものなんだと思い知らされる。

その居場所があることが、何よりも豊かだと思ってしまう。




お父さんのことを「恨んでない」とnoteで書いた私の気持ちは、あのとき、嘘ではないはずだった。

お父さんの人生に必要なものが私ではなくて再婚してから育んできたその家族なのであれば、それで良いと思った気持ちも本当だった。

だからその生活を私の見えないところで続けていて欲しいと思った。私も私の生活を送るから。お互い干渉しない、触れない。それで良かったのに。


だけど、今になって思う。

恨んでないという気持ちも、それで良いと思ってきた気持ちも、自分自身に言い聞かせるための言葉だった。

「大丈夫」と思えば、本当に大丈夫になると思っていた。

そんな思いが私の本心を分からなくさせる。
思えば子供の頃からずっとそうだったな、って。

嘘は本当にはならないし、
強がりは私を本当に強くはしてくれなかった。




本当は、すこしも許せてなんかいない。
この10年以上、ずっと軽蔑しているし、腹を立てているし、憎んでいるし、恨んでいるよ。


病気になったお母さんが私に暴言を吐いたり暴力を振るったこと、いくら病気のせいだとは言っても適切に守られたかった。そんな私に気づいてくれる第三者がいて欲しかった。


不倫をしていたお父さんのこと、今でもぶん殴りたいほど許せない。

その証拠集めのためにお母さんに振り回されたこと。
レンタカーを借りて私を連れて何度もお父さんを尾行したこと、運転するお母さんに代わって証拠写真を撮るように言われたこと、探偵へ依頼することにしたときも、卒業アルバム3冊分ぐらいの、分単位で撮られた写真がぎっしり詰まった証拠を受け取りに行ったときも、私の知らないところでやっていて欲しかった。

その頃の私が小学校4〜5年生。
ラブホテルという場所、そこへ男女2人で入っていくことがどんなことか知った。

女性の家に私たち家族の車で迎えにいくのも、助手席にその人を乗せるのも、ホテルへ入っていくのも、出てくるところも、ぜんぶ真正面から撮られているお父さんの姿が滑稽すぎて、今でも思い出して笑えてくる。

その写真を受け取ったお母さんが祖父母のところへ行ったとき、結局息子の肩を持って庇って、お母さんが病気になったせいだと罵倒して、泣きじゃくっていたお母さんの姿だって今でもぜんぶ思い出せる。

どれも、私の見えないところでやっていて欲しかった。
あのときの私が一連のことを撮影していたわけでも録音していたわけでもないのに、私の目が、耳が、ぜんぶ覚えているんだよ。何よりも忘れたいのに。


人生でいちばん最初に深く関わる異性がこんな人だったからなのか、人を好きになるとき、同じ気持ちだと知ったとき、付き合えたとき、触れ合うとき、いつも必ずこのことを思い出す。

人を好きになることが、人に触れることが、私はいつも悪いことをしている気分になる。浮気でも不倫でもなんでもないのに、好きでいること、体を許すこと、いつもどこか罪悪感がある。1人になったとき、自分のことが気持ち悪くなる。悲しくなる。



そんな両親が離婚することになって、お母さんを選ぶか、お父さんを選ぶか、小学生の私には本当に難しいことだった。

本当はお母さんを選びたかったのだろうけど、命の危険を感じるのはお母さんといるときで、生活が苦しくなることも、地元を離れなければいけないことも嫌で、私は結局お父さんを選んだ。

そんな私を見て泣きじゃくっていたお母さんの顔も、今でも思い出せる。

ごめんなさい。本当にごめんなさい。
そんなお父さんを選ぶ私で、お母さんに寄り添うことを選べなかった私で、本当にごめんなさい。


だけど、お母さんに、お父さんに、
ちゃんと愛情をもらいたかったよ。
ちゃんと愛されたかった。

ずっと心が痛い。比喩じゃなくて、本当に痛い。
誤魔化すことはできても、修復してあげられない。
自分を鼓舞して立ち直ったように見えるのが、本当の私なのか分からない。




その人なのか別の人なのか分からない人と、離婚後2年足らずで再婚したお父さん。

一緒に住むようになってシューズクロークには派手なピンヒールばかり並んで、毎日丈のおかしなミニスカートに胸の強調された服、フローラル系のきっつい香水、長い爪。あぁ、この人との出会いって、ってなんとなく察した。

職業に偏見を持つことは良くないけれど、この人の持つもの全部が嫌いになった。私は身なりが真反対の大人になった。


その後もずっと、お父さんの新しい家族と私、の構図を嫌でも実感する出来事ばかりで、お父さんは新しい家族を優先し続けた。

そんなに私のことが邪魔なら、引き取らなければ良かったのに。お父さんを選ぶ、と言った私のことを捨てたら良かったのに。あのとき、私を大切にしてくれると思った私がばかみたい。本当に、ばかみたい。


そんな環境が私のことをぼろぼろにして、眠れなくて食べれなくて、あぁもう消えてしまいたいと思い続けて、消えたいのに勇気が出ないまま、それは地獄が続くだけだから、決めた歳までにお金を貯めて理由は何も言わずに家を出た。




それからもう8年くらいかな、経つけれど。

いろいろと事情があって家業に関わるようになってから、きっとどこかで期待していた。

私が家を出たこと、これまでの間全く連絡を取らなかったこと、この時間の間にお父さんはすこしでも思い直してくれたかなって。気づくことがあったかなって。

私がほんの少し歩み寄れば、許しを持てるようになれば、お父さんが好きだった頃の私に戻れるのかなって。



だけど全然、笑っちゃうほどそんなことなくて。

むしろ事あるごとに「あのとき面倒みてやったのに」みたいなことを多方面から言われて。

それじゃあなんで、子どもなんてつくったの。
自分たちの人生設計に勝手に組み込んだ私を、面倒みてやっただなんて言わないで欲しい。むしろ人よりもよっぽど早く家を出たよ。


生まれた瞬間、泣くことしかできない子どもを育てていくことは当然のことだと思ってしまう。

子どもが自分で生きていける歳になるまで、衣食住の面倒を見るのは最低限の親の義務。それができないのなら、面倒だと思うのなら、子どもを持つには相応しくない人間ということじゃないの?私は勝手に生まれてきたわけじゃない。

両親がしてきてくれたこと、環境に感謝するのは成長した私自身で、それに気づいた私自身で、強要される覚えはない。

感謝してること、たくさんあるよ。
それを素直に伝えてきた私が本当にばかみたい。




どうして私が家を出たのか何も分かっていないみたいで、私に再婚した家族との写真を印刷させようとするし、休日にどこに遊びに行ったとか、子供たちの学校行事がどうだとかを話してくる。


再婚相手も再婚相手で、なんとなく私の嫌がることをし続けてくる。嫌がらせではないとするなら、ただ単にデリカシーがなさすぎる、想像力がなさすぎる。どっちにしろ私は苦手。

というより、私も同性だから分かる。これは分かっていてやっていることだって。あるよね、女性特有の、そういうの。




だけど全部に、相手に伝わる方法で怒ることができないのが私。ずっとそうだった。

子どもの頃から「大丈夫」と平気な顔をして、妙に大人ぶって。それがあの時を生きるために必要な強がりだったとしても、それが間違っていたのかなって。


時に、泣きじゃくることも、怒ることも、言いたいことを言って見せることも必要だったんだと思う。


大人になるにつれて、段々と許されなくなった。

"大人"は怒ったり泣いたりするような感情を押し殺すことを求められて、取り乱すようなことがあれば何処かで線を引かれる。いつだって静観できることが大人だと言わんばかりに。

それならあのとき、子どもを言い訳にできるときに、思いっきり感情を出しておくべきだった。

あの頃そうできなかった私が今でも消化不良かのように、ふつふつと怒りが収まらないときがあって、突然わっと泣き出してしまうときがあって。

それを人に見せるわけにはいかないから、大人だから、いつも家でどうにもできない感情に私自身が襲われる。


テーブルを囲んでご飯を食べたり、テレビを見て笑ったり、スーパーに買い物に行ったり。日常をただ安心して一緒に過ごしてくれる人がずっと欲しかった。

何かに怯えて、すこしでも持ち上げられると次は何を言われるのかと疑って、幸せを信じられなくて、"楽しい"がこわくて。こんな日常ではない普通が欲しかった。それだけで良かった。


そんな私にした両親や祖父母は、
どうして毎日を普通に暮らしているの。

ずるいな、本当に、ずるい。





大人になってから"正しく怒ることができない"部分が、いろんなところで影響していることに気づいた。


人に何か思ったとしても指摘できないから、いつでもどこでも受け身な人になってしまった。その結果なんでも許してしまうようになって、"都合の良い人"が簡単に出来上がった。


私がされてこなかった"相手のためを思う行動"を、人間関係をつくる上で私は間違えるわけにはいかないと無意識に思っているみたいで、「尽くしすぎると飽きられるよ」と人から言われることが多くなった。

私には尽くしている感覚が全くないけれど、みんなの感覚と私の感覚は大きくずれているみたい。やりすぎ、ということらしい。


逆に仕事ではいいこともあったけれど。

「人への注意の仕方とか教育、上手くやるよね」と上司に言われて。

そっか。感情的になれないことがむしろ仕事では役立つみたい。無意識のうちに理論的な指摘や指導をしていたみたいで。というかそれしかできないのだけれど。

こういう言い方をされたくない、の経験を山ほど積んできて良かったと、このときは思った。




子どもの頃に得られなかったもの、必要だったもの、今更どれも取り戻せない。

だけど今思うのは、もうすこしだけ、思いのままに生きてもいいんじゃないかなって。


人からされること、言われることに嫌悪感を感じたのなら、言葉を選んで相手に伝えればいい。
それで噛み合わないのであればその人との関係はその程度だったということで、さらっと終わりにしたらいい。


自分の人生からこれ以上誰も離れていかないで欲しいから、私はいつも自分を犠牲にしてしまう。私が我慢して事が済むのなら、いつもその方法を選んでしまう。

だけどきっと、そうじゃないね。
それで近くにいてくれるように感じてしまう相手は、私のことが大切ではないと思う。楽なだけ、悪い意味で甘えられているだけで。


雑に扱われる道を自分で選ばないように、すこしの勇気を持って、大切にしてくれる人を大切にできる私でいたい。


だからどうか、お願いだから、
私に正しい愛情を向けてくれる人に出会わせて欲しい。



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