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初カズオイシグロのインパクトがすごい

こんにちは。今日は浅草にはまったく関係ないことです。
先日イシグロカズオ氏の、「わたしを離さないで」という小説を読みました。


原語である英語版を読みたかったのですが、私の今の英語力ではなかなか前に進みません。
そこでまずは日本語訳を読みました。
そして、人生で最大級に好きな小説になりました。

小説を読むのは時間の無駄?

子育てに奮闘する毎日。
自分や家の最低限のことすらおろそかになって、自己嫌悪にもなりやすい。
そんな中、大好きだった読書の時間も、
(読んで満足して終わっちゃうだけだしなあ…)とか
(小説読んでも、なにかスキルアップするわけじゃないし…)なんて思うようになってしまっていました。

本を読まない生活になって数年が経過したある日のこと。
英会話のレッスンをトライアル的に受けた際、先生からカズオイシグロのことを聞きました。

カズオイシグロとは、2017年にノーベル文学賞を受賞した、日本生まれイギリス育ちの作家。

その時も、先生は特に小説の感想などは言っていなかったと記憶しています。ただ、カズオという日本名が耳に残っていて、本屋さんでたまたま目についた平置きの洋書に目が留まりました。
ーKazuo Ishiguro "Never Let Me Go"

私が見つけたバージョンの表紙写真は、なにやら若い人たちが映っていて、青春ものかな、だとしたらちょっと苦手かも。と思いつつも、積読しておけばいいかなと、購入しました。

案外平易な文体で単語もすべてがわからないこともなく、1ページだけ読んで、ものすごくやった感があり満足してしまい、その後放置することに…

またある時、子供の絵本を借りるために図書館に行った際、なんとなく検索機に「カズオイシグロ」と入れてみました。
そしてすぐにその棚は見つかり、なんとなく「私をはなさないで」を借りて帰ったのです。

言語化できなくていい

結果、読後のこの感覚はなかなか人生で感じたことのないものです。

どうしても、だれかに勧めたい。でも、全然言語化できなくて書いては消しを繰り返していました。

私はかっこつけしいなので、うまいこと言わなくてはとか、立派なことを言わなければと思ってしまっていました。
(こどもの読書感想文じゃないんだから…)

でも一向に、この感覚も、すすめたい理由も言語化できない。まるで一切言語化できずにただただ「読んで。」としか言えないのです。

そして今思っているのは、言語化できなくていいじゃんってことです。

言語化できないこの感じを味わえるのが小説のよさのひとつではないでしょうか。

自分に烙印おす必要もなし

そして同時に、原語である英語で読めなかった自分を責めるとかだめだなと思うことにも、意味はないなと思いました。

日本語訳で読めて、この作品に出会えて心からよかったし。
いつか英語で読めたらいいけど、ゆっくりでもいいし。
でも、日本語でまた読みたい。という気持ちです、今は。

勝手に、英語で読破しないとダメだ!とかよく考えもせずに思い込みをすぐに生成しがちなんです。
読んだら読んだで、ブログ書くなら、自分ならではの視点でこの小説を論じなければ!とか。

でも、そんなのは人生においてマイナスでしかない。

そう思考が転換できたのは、この小説のおかげかもしれません。
ということで、ぜひ皆さん、この小説、お手に取ってみてください!

ちなみに、前情報などはなるべく入れずに読まれることを強くお勧めいたします。





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