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「犬のかなしみ」

ポルトガルが好きで、ファドが好きなことを知っているので、大阪の知人がポルトガルギターの演奏集が入ったCDを私に送ってきてくれた。
私が犬や猫を長年飼い続けていることも、その人は知っているが、そのCDの中に、「犬のかなしみ」という曲が入っていることには、気付いていないかもしれない。
ライナーノーツを見れば、その曲はリスボンの石畳の歩道で雨に濡れていたのら犬を見て作ったオリジナルだと言う。
動機が余りに短絡的で、画一的だから、少し興ざめしたが、ポルトガルギターの独特な音色は私を十分に癒してくれた。

一体全体、「犬のかなしみ」って何だろう?

結果的にこのCDがきっかけで、これまで時折考えていた疑問に向かい合うことになった。
動物学者の平岩米吉は犬を「野生を裏切って、人間と生きることを選んだ」といささか感傷的にそう述べる。
「人イヌにあう」でローレンツ博士は一万年以上前の人と犬の出会いを長々と描写した。
いずれにしても、犬は長い間人間と共に暮らし、今もその絆は続いている。

犬は人と共に生きることで、その魅力を存分に発揮するが、その反面、人間社会のルールの中でしか、生きられない。そのパイプ役となるのが、賢明な飼い主だ。
賢明な飼い主なら、犬をおのが玩具ではなく、ひとつの命として向き合うから、いつも葛藤する。

「果たしてうちの犬は幸せなのだろうか?」

意外にそれが判らない人が多いだろう。
自分の家の犬との接し方を真剣に悩んでいる人は、「五つの自由」という考え方を参照にされれば、いい。
それはここではあえて述べないが、動物福祉の根本的な考え方と言われているものだ。

それより、今日の問題は「犬のかなしみ」

長年、犬や猫を飼い続けているから、当然、その死にも、多く立ち会うことになる。
飼い主としては当然の義務だ。
私もたくさんの愛犬の死に立ち会ってきたが、その度いつも神秘的な気持ちにさせられる。
経験上、多くの犬たちが、それまで意識が混濁していても、ひととき覚醒し、まさに心臓が止まろうとするいまわのときに小さな悲鳴をあげるのだ。
決まってそうだ。
私はその時本当の意味での「命の尊さ」を実感する。
それはきっと、命へのお別れの声であり、可愛がってくれた飼い主へのお別れの声に違いない。
精一杯の「犬のかなしみ」が詰まった、声だ。

それは、取りも直さず、「犬のかなしみ」であるだけではなく、私のかなしみでもある。


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