「サンフレ取材班」の18年 Part2
ハットトリックのハットトリック
スタジアム名が広島ビッグアーチから、エディオンスタジアム広島(エディスタ)に変更になり、呼び方になかなか慣れない中、チャンピオンフラッグが掲げられたスタジアムにリーグ戦が返ってきた。2013年3月9日の開幕戦は昨年と同様、というか柏槙コンビに何気に森脇選手まで加わったペトロヴィッチ監督率いる浦和レッズ戦。柏木選手の余計な恩返しゴールもあり、昨年のリベンジをくらってしまった。
ところで、昨年から調子が悪く、しばしば画像が切れていたスタジアムの大型映像装置がついにダウン。仮設モニターでしのぐこととなった。
3月17日、ホーム2戦目も昨年と同様鹿島アントラーズ戦。設置から20年を超えていた大型映像装置は古すぎて部品もなく修理不能らしい。新しく来た助っ人は日本最大のオーロラビジョン号。結果はスコアレスドロー。
外弁慶ではあったものの、4月6日の雨の横浜Fマリノス戦で負けてしまい、ホーム初日が出たのは4月14日のサガン鳥栖戦。ハットトリックとはいかなかったが佐藤寿人選手の2ゴールで快勝。
5月11日の大分トリニータ戦に勝利した1週間後、5月18日のヴァンフォーレ甲府戦。オーストラリア帰りのヒコーキ野郎、畑井教授が初参戦した。
この試合、佐藤寿人選手がハットトリックを達成し、5-0で快勝。初めての参戦でハットトリックだなんて、なんとラッキーな畑井教授。
7月10日川崎フロンターレ戦。再び佐藤寿人選手がハットトリックを達成し快勝。この日、安田女子大学の数十名の学生が、第一タクシー(現 フォーブル)の送迎観戦企画で大学からバスでスタジアムまで直接送ってもらい、バックスタンドで観戦していた。実はこの引率担当が畑井教授。スタジアムで観戦するのは初めての体験らしい。初めての観戦でハットトリックだなんて、なんとラッキーな畑井教授。
7月13日セレッソ大阪戦。作業を始めた頃に激しい雨が降り出し一面の水浸し。選手のアップ入場を待っていたとき、メインスタンド前の水たまりにカエルを発見した。誰かに踏まれそうだったので、そっとすくいあげて安全なところに救出してあげた。
良い事はしておくべきである。後半アディショナルタイム、ラストプレイで高萩選手が決勝ゴール。
ハットトリック2連発畑井教授が撮影隊に加わるのは2回目となる7月31日大宮アルディージャ戦。この試合では石原直樹選手がハットトリックを達成し、畑井教授もハットトリックのハットトリックを達成した。凄い!!!
8月18日の名古屋グランパス戦。映像装置が仮設置されていた。前の試合の振り返りPVを学生たちが確認するのはこのカメラマン控室の前のこの位置。かなり見やすくなった。
9月21日アルビレックス新潟戦。畑井教授を招集したが4度目のハットトリックはならず・・・クラブともめて?公式キャラクターの座が危うくなったサンチェが名刺?を配り、必死になって営業活動。生中継カメラや学生カメラマンに必死にアピールしていたが正直ちょっとうざい。
ちなみに、新しく就任した小谷野社長をモチーフにした「コヤノン」のシールもいただいたが、こちらは機材ケースの内側に貼り、お守りがわりに大切に使わせていただいています。
10月26日のベガルタ仙台戦。絶対に負けられない展開の中でトリプルハットトリック畑井教授を招集した。試合前には安田高校のダンス部がパフォーマンスを披露し条件は完璧。
スコアレスのまま迎えた後半30分。勝利を信じてスタッフが劇場の準備を始めると・・・
後半39分、石原選手が決勝点を決め、3位をキープ。
カメラマン控室で出会ったJorg Pochertさん。Pochertさんはドイツ・フランクフルトからやって来た日本を取材中のジャーナリスト。広島の街を取材した流れで、この試合も取材しに来たそうだ。Pochertさんの地元チームのユニフォームも同じバイオレットという事ですっかり意気投合。
11月30日、ホーム最終戦となる湘南ベルマーレ戦。リーグ3位のサンフレッチェ広島は、首位横浜Fマリノス、2位浦和レッズの結果次第ではあるものの、勝利すれば優勝の可能性が残る大一番を迎えた。
湘南ベルマーレに1-0で勝利したサンフレッチェ広島は浦和レッズを抜いて2位に浮上。首位の横浜Fマリノスも敗れたため次の最終節の結果次第では逆転優勝の可能性が残された。
4年間生中継カメラやメインカメラを務めてきたツッキーさん。自分の体よりも大きなカメラをかかえてスタジアムを凛々しく駆け回り、選手のプレイを確実にとらえてくれた。ボードの前で記念撮影してサンフレ取材班の2013年の活動を無事に終了皆さんお疲れ様でした。
1週間後の12月7日、サンフレッチェ広島は鹿島アントラーズに勝利し、横浜Fマリノスが川崎フロンターレに敗れたため、最終節に逆転しリーグ連覇をはたした。
がんばろう広島
2006年から使い続けたSONY FX1。8年間酷使され傷だらけの機材に2つ目の星を貼り、ネジを締め上げ、レンズ磨きを行った。
3月8日ホーム開幕川崎フロンターレ戦。前半アディッショナルタイムに失点してしまったが、後半佐藤寿人選手の後ろ向きシュートが決まり同点。後半アディッショナルタイム、塩谷司選手の劇的ゴールで逆転勝利。
2014年3月29日徳島ヴォルティス戦。アメにも負けず、カゼにも負けず。卒業式を終え3月一杯まで参加してくれたツッキーさんがいよいよ卒業。あらためてお疲れ様でした。
4月12日、FC東京戦。山下教授の手相拝見。山下教授は手相見として学生に大人気で、これでおいしいところを全てもっていってしまう。同じ人でも見るたびに言うことが違っているような気もするが、学生に言わせるとよく当たるそうである。ただし男性は有料。
4月12日 FC東京戦。入学式を終えたばかりのJUNA・KANAコンビがサンフレ取材班として初めて参加。1年の時ってこんな感じだったんだ・・・
4月26日鹿島アントラーズ戦。2006年に撮影を始めてから9年間お世話になった真鍋さんはこの日が最後の試合。真鍋さんには大変お世話になりました。ありがとうございました。
こちらも2006年から9年間使用してきたSONY FX1。収録テープの管理がしづらくなってきた。このタイミングで4KカメラのSONY AX1とAX100を導入した。当時4Kカメラは珍しく、このカメラの十倍の値段のカメラを使っているプロカメラマンの注目の的となった。
当時の試合前上映PVは、場内のサポーターにお願いし「がんばれサンフレッチェ」の応援メッセージを入れてからスタートする構成で編集していた。外撮りに2カメラを出して、沢山のサポータに協力いただきながら撮影を行った。(冒頭のみ)
ワールドカップブラジル大会中断前の5月10日、清水エスパルス戦。試合終了後、普通ならならすぐに選手会見の収録準備に行く学生達がなかなか動かないのは、そこに国分太一(出口の外の一番右)さんがいるからですな。
そろそろ時間だよと促すと渋々出て行ったが、国分さんに「お疲れ様です」と声をかけるのは忘れていなかった。
7月15日横浜Fマリノス戦。5月まで仮設置されていた大型映像パネルの移設が終わり、1年半ぶりにスタジアムの大型映像装置が復活した。中古のLEDパネルらしい。
7月23日、柏レイソル戦。選手バスの到着場所がこれまでのマラソンゲート下から広場側の入口前に変更になった。5月からのホームゲームの戦績がイマイチなので験を変えたらしい。
験を変えたことが功を奏したのか、柏レイソルに5-2で快勝。
台風の影響で試合日が9日から11日に順延になったサガン鳥栖戦。スコアレスの後半30分、例によってスタッフが勝利を信じて劇場の準備を始めた。験が担がれたわけではないのだろうが、後半36分、皆川佑介選手の決勝ゴールが決まった。
2014年8月20日 広島市豪雨土砂災害が発生し、74名の方が犠牲とななった。
サンフレッチェ広島は8月21日、「がんばろう広島」のスローガンのもと、復興支援活動を開始した。
8月23日のセレッソ大阪戦。犠牲者を悼む黙とうの後、セレッソサポーターがら広島コールが送られた。がんばろう広島。
8月、9月に行われた8月23日セレッソ大阪戦、9月3日浦和レッズ戦(カップ戦)、9月13日ガンバ大阪戦、9月20日アルビレックス新潟戦、9月27日ヴィッセル神戸の各試合では。冒頭の応援メッセージを変更し、相手チームのサポーターにも「サンフレッチェではなく被災した広島を応援するメッセージとして がんばろう広島 のコールを」とお願いし、サンフレッチェ広島のサポーターとともにコールしてもらった。
ご協力いただいた皆様、本当にありがとうございました。
空が青すぎる10月18日の名古屋グランパス戦。4K動画を編集し4Kのままでアップロードしてみた。
11月8日、ナビスコカップ決勝は前半までリードしていたもののパトリック選手に2点とられ後半に逆転されてしまう。2014年に3つ目の星がつくはずだったがおしいところでガンバ大阪にタイトルを譲ってあげることになった。来年のリベンジを期して、悔しい気持ちを心に刻んでおこう。
12月6日、リーグ最終戦はベガルタ仙台を迎えての一戦。万全の防寒体制でのぞんだはずが、やばいくらい寒い・・・それもそのはず、気温は1度。
ハーフタイム。突然雪が強くなり、積もり始めた。雪まみれになったドーモ君も緊急避難。
極寒の中セレモニー、ラウンド映像を撮影して学生の皆さんはミッション終了。お疲れ様でした。
翌日はセレモニーの編集。撮影中のカメラマンが滑ったのを青山選手が助けていた部分は使ったが、森保監督の後ろでズルッと滑って「大丈夫ですか」と監督に声をかけられた私の部分はカット。
運はここで使い切る
3月22日浦和レッズ戦。4年間メインカメラとして数々の名シーンを押さえてきたタカリナさん卒業。お世話になった西尾さんや演出チームの木村さん、福島さんやスタッフの皆さんと記念撮影。幸あれ。
4月4日のヴィッセル神戸戦。スタジアム入りした頃は陽が差していたが、前半なかば過ぎに突然の雷雨。「スタジアム内は安全ですので、スタジアムから離れないでください」という表示が出ても、ちょっと不安になるレベルの雷ゴロゴロ。雷で試合中断というのは初めての体験で、撮影スタッフも全員カメラマン控室前の軒下に避難してきた。
4月8日の湘南ベルマーレ戦は水曜日のナイトゲーム。授業を終えてギリギリでスタジアムに駆け込んだのだが、なんとも緊張感のないサンチェに遭遇。しかも仕事に遅刻してるし・・・
カメラマン控室では顔見知りになったメディアの皆さんとよく話をする。大学でマスメディアの授業を担当していて、2011年頃からここで出会った皆さんに非常勤講師として出講してもらっている。4月17日は紫熊倶楽部編集長、中野和也さんのジャーナリズムの授業。パワポを使わず、ホワイトボードに殴り書きしながらの授業。その昔、私が学生の頃に受けていた今では珍しい、大学の授業らしい授業。
5月10日ガンバ大阪戦。カープともども5連勝中だったのが、カープにお付き合いして6連勝を逃す。最近はドーモくんが詰まった試合は勝利のジンクスがあったはずだが、よくみるとドーモくんがいない・・・
5月10日のガンバ大阪戦の帰りにサンフレッチェ広島創設期からのサポーター船山さんが不慮の事故で亡くなられた。翌週5月16日のアウェイ鹿島アントラーズ戦では全選手が喪章をつけて闘った。
直接面識があるわけではなかったが、この10年間、サポーターカメラを設けていたこともあって、いつもの応援位置をお聞きして船山さんが写っていたカットを探し出しラストカットに使用した。私たちが撮影を始める前から、船山さんはいつものこの位置で勝った時も、負けた時も応援を続けていたのだろう。あらためてご冥福をお祈りします。
5月27日FC東京戦。選手紹介の時、メインスタンド前でサンチェ・フレッチェと選手ごとに旗を振るのだが、例の確執からか、サンチェは野津田岳人選手の時だけ旗振りをさぼっていた。前回、大旗を投げるのはいかがなものか注意されたようで、今回は姑息にも投げ用の小旗を用意していた。このあたりから、様々なバリエーションが登場し、サンチェの小ネタ劇場が始まったように思う。
6月20日、モンテディオ山形戦、安田女子大学で中野さんらとともにマスメディアの授業を担当いただいていた広島のレジェンド、故北別府学さんの前で佐藤寿人選手がハットトリックを達成した。加えて、サンチェの小ネタのおかげか、終了間際に野津田選手のゴールも飛び出した。
7月15日松本山雅FC戦。サンチェの小ネタは靴紐がとけたバージョン。6-0で快勝。さて次はどんなネタで来るのか・・・
7月25日横浜Fマリノス戦、サンチェの小ネタ劇場はオフィシャルカメラマンの秋田さんを巻き込んでいた。
8月12日鹿島アントラーズ戦。例年、サンフレ取材班の学生がバス待ちのためにケーブルをはり始めるタイミングは鹿島のトラックの荷下ろしのタイミングと重なっている。最後にとても重い機材が出てきて、鹿島のスタッフだけで降ろすのに苦労していた。毎年降ろすのを手伝ってあげるのだが、その分の手加減はしてほしかったな。
8月16日柏レイソル戦。お客さんの前で仕事をさぼって椅子に座っているところをいつもサンフレッチェの尾崎さんに注意されるのだが、ふてぶてしい態度で対応。小ネタ劇場はいよいよネタ切れかと思っていたが、これは見事に決まったな。
8月29日名古屋グランパス戦。今回の小ネタ劇場はグランパス君に協力させていた。時々まわりを巻き込んで小ネタを炸裂させるサンチェ。そろそろ警戒しなくては。
9月19日サガン鳥栖戦。学生カメラマンはチェックイン後、コントロールルームの太刀掛さんと当日の中継の打ち合わせを行う。お客さんが入る前、カメラを接続しケーブルが間に合えばそのままリハーサルに入ることもある。
10月3日FC東京戦。お客さんの前での態度があまりにも悪いので尾崎さんに叱られ、証拠写真を撮られるも・・・さらに、小ネタ劇場ではついに我々のカメラが利用されてしまった。背番号30にして試合に出る気だったのだろうか・・・。警戒していたのだがちょっと嬉し・・いや、悔しい。
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実はこの後しばらく小ネタ劇場は自粛されることになる。お客さんから「まじめにやれ」と苦情が入ったらしい・・・
※尚、2023年現在、小ネタ劇場は何気に復活している。
2015年10月17日川崎フロンターレ戦。雲一つないピーカンのスタジアム。同点で迎えた後半アデッショナルタイム。青山選手のあおりでサポーターが一体となった手拍子と声援を送る中、山岸智選手の劇的な決勝ゴール。いつまでも続く「オー、ヤマギシ、オー、オー」というコール。ピッチレベルで聴きながら、スタジアムの魅力はなによりも音であると実感した。
リーグ戦首位とステージ優勝がかかった11月22日湘南ベルマーレ戦。3万3千人を超えるお客さんの列がはるか遠くまで続いていた。
11月22日、湘南ベルマーレ戦に勝利し、リーグ戦年間首位を確保。最後のチャンピオンシップに臨むことになった。
12月2日、チャンピオンシップ第1戦、3-2で勝利したサンフレッチェ広島は、12月5日、3万6千人を超えるお客さんとともにガンバ大阪をエディスタに迎えた。
前半に失点し、もう1点とられるとタイトルを失うドキドキの展開。
「ここで運を全部使い果たしても良い、とにかく勝たせてくれ・・・」とひたすら祈っていた後半31分、浅野拓磨選手が同点ゴールを決め、そのまま試合終了。
2007年に降格した引き分け試合から8年。今回も引き分けで締めくくり、サンフレッチェ広島は3つ目の星、2015年のリーグタイトルを獲得した。
スタジアムを出るのが深夜になったため、記念撮影どころではなかったがサンフレ取材班の2015年の業務を全て終了した。
「サンフレ取材班」の18年 Part3 に続く
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