光を見るために、感じるために生まれてきた
小林正観さんの「そわか」本に書いていたこと
ありがとうや感謝の気持ちに満たされた部屋、空間が明るくなるという話
これは不思議な話にも思えますが、喜びや感謝の気持ちに「瞳孔」が開いて明るくなったのかもと思いました。(夢の無い解釈で申し訳ない😅)
僕は長年。写真やカメラの業界にいます。
そして近視です
カメラのレンズには「絞り機構」という
光の通り道を狭めたり、広げたりする仕組みがあります。
それは光の量を調整する役目があるのと
写真に写る映像のピントが合う部分をはっきり写したり
逆にボカすことに効果があります。
カメラのレンズは人間の眼球の仕組みを原型にしているので
もちろん目にも「絞り機構」があります。
それが瞳孔。
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猫の目が明るい場所では細長く
暗い場所ではくりくりの丸い目になるのと同じ
光の通り道を広げたり、狭くして
光が入ってくる量を調整しているんです。
人の目では分かりにくいですが、同じように大きさが変わります。
鏡を見ながら、部屋の明るさを調整してみると見えますよ。
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視力が低い人が、眼を細めるのも、
レンズの絞りでピントをはっきりさせるのと同じ
光の道が狭いとハッキリ見える範囲が広がります。
つまり低視力の人は、常にボケた映像を見ていることになります。
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実は人間は好きなことや興味のあるものを見ると瞳孔が開くこともわかっています。
好きなものを写す光を、たくさん見たいのかもしれません。
低い視力の人は映像がボケている
ボケているということは絞り(瞳)が開ききっている。
つまり「もっと光が必要だ」と目がいっているのかもしれません。
もっと好きなものを見て、光を取り入れよう
感謝や、ありがとうの気持ち、大好きな気持ちをもっと
感じて、見て、明るい世界を生きよう!と
視力の落ちた目はそう言っているのかもしれません。
視力は小学生三、四年生で落ちる子が多い。
だんだん社会の息苦しさを感じてくるし、思春期を迎えて気持ちも不安定になる時期です。
こうしたストレスは、好きな気持ち、感謝の気持ちを遠ざけてしまいます。
だから、冒頭で書いた、感謝の空間が明るくなることは、瞳がぱっと開いたのかもしれないと思いました。
そして、瞳が開き、少しだけボケると
良い感じに景色がふんわりして、優しく見えます。
逆に、視界を閉じようとする緑内障や三白眼は、絶望の気持ちやストレスが強いのかもしれませんね。
「光なんかいらない!」と言って、視界や瞳を小さくしてしまう。
世界も心も、瞳もふさぎ込んでしまう状態の現れなのかもしれない。
そんな時は正観さんの本でありがとうの気持ちの光パワーを再認識したい。
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昔ストレスクリアだったか(うろ覚え)
瞑想と感じることを質問し続けるワークをやりました。
その時、最終的に「僕は美しい光を見たかったから、生まれてきた」と答えたことを覚えています。
その時浮かんだイメージは森林の美しい緑や、太陽の輝き。
深く深く、瞑想するとそんなものが見えてきました。
この時感じたものが、目や心が求めていた光なのかな〜と思います。
この世界の「優しい光」と「感謝」の気持ち
この世界の「光を閉ざす目」と「絶望」の気持ち
こうしてカメラの仕組みから、感謝の空間に対して、共通することがあると気づくと、何かのヒントが見えてきそうな気がしました。
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