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"そのへんにある"サッカー ~旅に出る前の羽休め~

OWL magazineの読者の皆様、はじめまして。もり たくろうと申します。特定チームのサポーターではありませんが、サッカーというスポーツが好きな丸亀製麺ユーザーの22歳です。  

この度、中村慎太郎さんとTwitterでやり取りをしたことがきっかけで、お誘いを受けて所信表明として寄稿させていただきます。 

この記事の下書きを中村さんに見てもらった際、「ファンタジスタすぎて正しい育成がわからない。出場機会は確保するので、失敗しながら育ってください」との言葉をいただきました。というわけで、ネタがあろうとなかろうと、これから毎月OWL magazineに寄稿させていただくつもりです。

それと、Twitterやブログの方も良ければ見ていっていただけると嬉しいです。国内外の試合を見て思ったことなどを書いています。サッカー以外ではHIP HOPとお笑いが大好きなので、その2つについてもしばしば呟いています。ぜひ覗きに来てください。

Twitter…https://twitter.com/mori_kemari 

ブログなど…https://linktr.ee/takuro_kemariboys

  
さて、OWL magazineといえば旅とサッカーを紡ぐWEBマガジンです。ですが僕はスタジアムに沢山行った事があるとは言えないし、どこかのチームのサポーターでもありません。掲載されている他のライターの方の観戦記や旅行記などを読んでいると、自分がしていない経験が書かれていて羨ましい限りです。いいなぁ、僕もサッカー旅について書きたい……。とは言っても体験していないことは書けません。しかし、OWL magazineで読んだ記事に触発されて、もっとスタジアムに行こう、サッカー旅に出ようと思うようになったので、スタジアム観戦記や旅の記事は次回以降に挑戦する予定です。 

というわけで今回は、とある大学生が経験した「そのへんにあるサッカー」について話します。旅に出ることが憚られるこのご時世に、ある意味でうってつけのテーマなのかもしれません。スタジアムを巡る旅を中心に構成されたOWL magazineを読んでいる方に、改めて「日常の中にあるサッカー」について考えるきっかけになれば幸いです。 

この題名を見て、ホンダロックSCの名物サポーターであるロック総統の名言「今そこにあるサッカーを愛せ!!」を思い出した方がいると思いますが、JFLやJリーグなどの話は今回はほとんどしません。じゃあ何を話すのか。もっと身近で日常的な、文字通り“そのへんにある”サッカーの話をします。 

これから描くのは、選手としての才能に乏しい人間が“そのへんにあるサッカー”を原動力にして人生の縁を繋いでいくお話です。 


大学のサッカーサークルにて


僕は小学1年生から高校3年生までサッカー部に所属していましたが、正直言って才能はこれっぽっちもありませんでした。ボールを蹴り始めてから2週間くらいで自分の能力の無さに気付いたほどに。 

まず、同時期にサッカーを始めた友人たちの中で誰よりもボールが遠くに飛ばせませんでした。チーム内でインステップキックの練習をする際にも、一人だけ最後まで上手く出来なかったことは今でも鮮明に覚えています。リフティングも、何度練習しても20回くらいしか出来ませんでした。それに加えて足元の技術も全く無く、フェイントを駆使してディフェンダーを抜いたり、狭いスペースで的確にボールを扱ったりするなんて、僕には難しすぎました。太鼓の達人の「さいたま2000」の難易度「おに」と同じくらい、出来る気がしなかったです。 

また、約10年間プレーする中でいろいろなポジションを経験しましたが、一番長くプレーしたのはセンターバックです。小学4年生くらいのときだったでしょうか。身長順に並んで「前へならえ」をするときに腕を伸ばした記憶が無いほど低身長で細身の僕を、突然コーチがトップ下からこのポジションにコンバートしたのです。特に対人守備が上手いことを褒められたことは無かったので、理由は今でも分かりません。でも、この謎のポジション変更によってレギュラーの座を掴むことができたので、ラッキーと言えばラッキーだったのかもしれません。 

ですが、前述した通りボールを扱うスキルに全然長けていないので、後方からショートパスで繋ぐということが出来ませんでした。試合中はミスを連発して怒られてばかりでしたし、「下手な自分のところにボールが来てほしくない」とばかり願っていて、パスをもらってもとにかく思いきり蹴るだけ。でも、それを繰り返すうちにキック力とロングボールの精度が向上したので、良かったのか悪かったのかは分かりません(笑)。 

中学生になってからも3年間センターバックとしてプレーし、それなりに対人守備が上手くなっていく感覚はありましたが、ボールを持った時の振る舞いはさほど成長せず。もう少し勇気を持ってビルドアップすれば良かったな、と今になって思います。 

高校に進学してからはディフェンダーのポジションに能力が高い人が複数人いたので、試合にはほとんど出られない時期が続きました。このままだとレギュラーになれないまま高校生活が終わりそうだったので、顧問の先生に「前のポジションがやりたいです」と直談判。突然のセルフコンバートでしたが、思い切りの良いシュートとスタミナ、足の速さだけを頼りにプレーしていると、紅白戦でまさかのハットトリック。本当にたまたま3点取れただけですが、そのへんからコンスタントに試合に出られるようになりました。ミスの回数は減ることなく、引退するまで自分の技術の低さにストレスはずっとありましたが。 

下手なりにもサッカーという競技と、サッカーをプレーすることは大好きなので、なんだかんだ10年ほど競技シーンでプレーを続けることができました。勝つか負けるかの真剣勝負は好きだし、楽しかった記憶もあります。しかし、それに疲れていたのも事実です。「勝ち負けがすべてではない」とよく言われますが、競技シーンで戦うには勝敗は付き物だし、そのへんに向き合わないといけません。高校サッカーを引退する頃には、ミスをすると責められることやレギュラー争いなど、真剣勝負の場に普通に存在する事象にもエネルギーを注げなくなりました。一旦競技シーンでプレーをすることに区切りをつけよう、大学に進学しても部活に入るのは辞めよう、と決めました。 

「もう競技シーンでプレーするのはしんどいぜ!」と思って、同じ学科の友達と一緒にフットサルサークルに入ることに。でもそのサークルは思っていたよりもガチな雰囲気で練習している上に、対外試合が頻繁に行われていました。それに、部活とあまり変わらない強度だったので1年も経たないうちにその友達と共に辞めました。「サークル」と言っても、ガチガチに競技シーンでやっているところがあることを知らなかったし、自分が求めていたのはゆるくボールを蹴ることで、ガチな雰囲気はお腹いっぱいでした。 

その後、「めちゃくちゃゆるいサッカーサークルがあるぞ」と別の友達に誘われて、すぐに参加。フットサルから再びサッカーの場に戻ってきました。 



そして、そのサークルのゆるさは噂通りでした。 

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土曜日の朝10時にグラウンド集合なのに全員集まるのが11時な上に、最年長の先輩がグループLINEで「俺らの世代は明日が最後のサークルだから絶対に遅刻しないでほしい」と言っておきながら2時間遅れて来ることもありました。そして、15分程のミニゲームをした後には30分くらい休憩を取るという怠惰ぶり。極め付きはロングシュートが禁止なのに、何故かオフサイドはなしというエンジョイサークルのための謎ルール。 

この世で1番ゆるいサッカーサークルだなと本気で思いました。そして、求めていたサッカー環境とサークル像にピタッと当てはまっていたのです。 

勝敗や上達を意識せずにゆるゆるなテンションでボールを蹴り、休憩時間には週末のJリーグや海外サッカーの試合について話し、サークルが終わるとその友達と一緒に昼ご飯を食べに行ってPS4のウイニングイレブンで遊ぶ。ワールドカップの時期には「スペイン相手にハットトリックとか、ロナウドってチートじゃね?」みたいな他愛もない話で盛り上がったり、神戸に試合を見に行って生イニエスタ&フェルナンド・トーレスに興奮したり。「あー、こんな時間がずっと続けばいいな」と毎週思っていました。 

サッカーも最高だけど、サッカーを通じて出会った友達も最高です。彼らとはサークルが去年の春にコロナ禍の影響で潰れてからも連絡を取ったり、ご飯を食べに行ったりしていました。このサッカーサークルのおかげですばらしい思い出がつくれたことを考えると、エモいの一言では片付けられない、得も言われぬ気持ちになります。 

またいつかみんなで集まってゆる~くボールを蹴りたいものです。もちろん、オフサイドなしで。

地域の少年サッカークラブでの指導経験で思い出した、サッカーを純粋に楽しむ気持ち

  
大学2年生の終わり頃に、自宅の近くにある小さな少年サッカークラブで小中学生を対象に指導の経験をさせて頂いたことがあります。短い間でしたし、指導者とはとても呼べないくらいに何もできませんでしたが、とても貴重な経験をすることができました。指導経験が全く無い僕を受け入れてくれたチームにはとても感謝しています。 

そのサッカークラブには週3、4回ほどのペースで通い始めて、子供たちの上達や自分自身のスキルアップを目指す日々を過ごしていました。そして、練習メニューやコーチングについて考えることが多くなったある日。

ゲーム形式の練習で子供たちに混じってプレーしているとき、彼らがキラキラした目でボールを追いかける姿を見ていると、自分が小学生のころにボールを蹴り始めた頃のことをハッと思い出しました。ナルシズムを最大限に発揮して言うと、初期衝動みたいな感じのアレです。 

当時の僕は、サッカーを技術や戦術など競技的な視点から観たり考えたりすることが習慣になっていました。そんなときに、純粋にボールを蹴る楽しさを子供たちに改めて気づかせてもらったような気がします。技術や戦術がどうでもよくなるくらいに。 

「こうしてサッカーに関わり続けているけど、その原点はボールに触れる楽しさだったんだな」と感じました。あの子たちには基礎的な技術くらいしか教えてあげられませんでしたが、自分の方がいろいろなことを教わりました。 

数か月間のコーチ体験を通して、「判断」を教えないことや選手のモチベーションを上げることなど、指導の難しさを痛感しましたが、チームでサッカーをすることの喜びも改めて実感した気がします。コーチとして活動を始めた初日に、童顔のせいで中学生と間違われたこと以外はとても良い思い出です。このサッカークラブに携わる皆様、本当にありがとうございました。子供たちがサッカーを好きでい続けてくれますように。 


サッカーサークルからOWL magazineへ

   
ここまで、僕が大学生の間に経験したどこにでもある話をしましたが、ゆるいサークルへの参加とコーチ経験が「自分はサッカーが好き」ということを改めて気づかせてくれ、「もっとサッカーを知りたい」という気持ちを増幅させてくれました。 

そして、とある高校のサッカー部での分析の補佐、元Jリーグコーチの講習会への参加、JFLクラブでの分析官のインターンを経て、このOWL magazineでの記事の執筆に辿り着くことができました。身近に存在していたサッカーが繋げてくれた運や縁のおかげです。 


そのへんにないサッカーを巡る旅へ 


OWL magazineにも掲載されているスタジアムでの観戦は何ものにも代え難いほどに楽しいです。生で見るプロの試合は格別だし、あの場所でしか味わうことのできない非日常な雰囲気と臨場感がたまりません。それに、そこで行われている試合の勝ち負けや技術・戦術はすごく大事なことです。いつもスタジアムで見ているJリーグの選手やスタッフはサッカーで生活しているのだから。 

でも、週末のフットサルや部活動、公園での壁打ちやリフティング、友達とのウイニングイレブン、自分の子供がサッカーをプレーする姿など、スタジアム以外にもサッカーは当然ながら存在していて、それに関わる人の数だけ「サッカー」があるはずです。

実際に僕はスタジアムよりももっと身近なところに存在するサッカーを通してすばらしい仲間に恵まれたし、サッカーの尊さやボールを蹴ることの楽しさを体感しました。「絶対に負けられない戦い」は僕のまわりにはありませんでしたが、いつまでも忘れられない、これからの人生を支えてくれる体験がそこにはありました。 

読者の皆様もどうか"そのへんにある"サッカーを大切にしてください。 


さて、ここまで読んでくださった方には十分伝わっていると思いますが、僕は日常に存在するサッカーをたくさん経験しました 。OWL magazineのライターの方々の記事を読んでサッカー旅に出たくなったので、これからはスタジアムでの観戦経験に乏しい僕が現場に足を運んで旅に染まる過程を発信していければと思います。 

それと、HIP HOP(≒ラップ)が大好きなので、「地域密着」を理念として掲げるJリーグクラブと「地元をレペゼン(代表する)」という意識を強く持つHIP HOPの共通点についても紹介していきたいと思っています。サッカー旅をしつつ、各クラブのホームタウンやその都道府県出身のラッパーの歌詞などを交えながら書いていきたいです。 


さぁ、”そのへんにない”サッカーを巡る旅に出るとしよう。 


ちなみに、本文ではPUNPEEというラッパーの「得も言われぬ気持ちはエモいじゃない」という歌詞をサンプリングしています。偶然にもMVの撮影場所がサッカースタジアムです。ぜひ聴いてみてください。

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