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スピ話 -6- 個を超越して究極へ

☆ トランスパーソナル帯域 ☆

実存的レベルで身体も心も含んだ総体としての「私」を実感したならば、私の外に広がるのは環境です。
さらに深い、トランスパーソナル帯域では、「私」は身体の内側にとどまらずに周囲へと溶け込んでゆきます。
哲学的帯域からは想像すらできない感覚です。

意識状態の深度マップ

☆ サイキ領域でサイキック体験 ☆

もしも、テーブルの上のコップが私の内側に感じられたら、手の指を動かすのと同じように、コップも動かせる…..かどうか、たいていの場合は想像するのは難しいでしょう。
ですが、サイコキネシス(psychokinesis:念動)が起きる際の実感というのは、そんなものです。

サイコキネシスばかりでなく、ESP等のサイキックな現象を体験するサイキ(psych )と呼ばれる領域は、実存のレベルからトランスパーソナル帯域に入る入口に位置します。

☆ サイキ領域は魔境 ☆

興味を持たれる方も居られるでしょうが、この領域は禅で魔境と呼ばれる領域でもあり、多くを語るべきではないという先人の忠告に私も同意するところです。

ただし、修行中に誤って、或いは意図せずに唐突にASCとして踏み込んだ場合に、これが魔境であることを確認して抜け出すために、位置を明確にする必要がありますから、忠告の意味で記しておきます。

☆ 執着を手放して魔境を脱出 ☆

脱出するときは、より深い方を目指してください。良く知っている浅い方に逃げようとすると、失敗するという経験がありますので。。。
もう少し具体的にいうと、その時の価値観や判別基準を手放す必要があります。自我が作り出している境界線を消すという事です。

☆ 執着を手放すのは死ぬほど辛い ☆

自我の価値観を手放すとは、自我の執着を手放すということでもありますが、魔境にはまり込んでいる当人にとっては、それが執着だとは認め難い心境になるものです。
何しろ、私を私たらしめている、一番大事な価値観なわけですから、それこそが唯一絶対の価値に感じられて、手放すのは自己像の崩壊を意味するようなものです。

言葉で抽象的に表現している間は簡単そうに見えるのですが、自分の意識の執着が作り出している世界に圧倒されている状況でもあるので、本人としては自分の世界が崩壊していく体験となり、死ぬような強烈さを伴うことが多く、手放すのが恐ろしくて苦しみもがくものです。

☆ 自我が脱出を邪魔する ☆

あるいは、サイキックな能力による全能感と、神になったような多幸感に酔いしれて、一歩も動かないという場合もあります。一歩も動かない訳ですから執着/中毒に他ならないのは一目瞭然ですが、本人は高揚しているので他人の言う事を聞き入れません。
神様のお告げに従っている、あるいはハイアーセルフや守護天使に言われたのだと正当性を主張して、魔境に留まろうとする人が多いです。

これらは皆、自我が停止されるのに抵抗して起こす防衛機制です。
魔境というのは、そういうことですから、華麗にスルーするのに越したことはありません。

☆ 悟りを目指す精神修養の領域 ☆

トランスパーソナル帯域については、サイキ領域は兎も角として、悟りを目指す精神修行が対象とする領域は、ここから先になります。
神秘思想の中には古代からの研究も最近の研究もあって、いろいろな分類があります。
唯識仏教が伝えるところは相当に細密ですから、研究熱心な方には面白いと思います。
ですが、もともと意識に境界線が存在する訳ではないですから、便宜上の分類である事に注意してください。
特定の分類に拘ると、実体験と整合しなくなって迷ってしまいます。分類は、その研究が成された文化的背景を背負い込んでいるので、異なる文化からは違って見える事があるようです。

☆ モデルが含む誤差 ☆

ここまで、意識状態のマップをざっと説明してきましたが、図も含めてあくまでも一つのモデルに過ぎません。
モデルは実物ではない事に注意してください。
モデルを作ると、必ず抽象化が起こりますから、取りこぼした要素も存在します。
その結果、誤差が生じて不正確な部分が出てきます。

また、サイキ領域については、ここでの説明のために書いていますが、ウィルバーの論文ではこれを慎重に避けたとみえて、図には書き入れていませんでした。
私が書き入れる際には、その位置が微妙で、実際にはトランスパーソナル帯域と部分的に重なるのですが、重ねて描くと見辛くなる事情から大雑把な記入になっています。
やはり魔境に言及するのは、いろいろな意味で難しいところがあります。

☆ 他にもある分類方法 ☆

エーテル、アストラル、コーザル、と名付けられた分類領域/分類方法があります。
これらは、ウィルバーが提案した意識領域のマッピングに対して、少し異なった次元を含んでいるようです。
無理やりウィルバーのマップに投影すると、概ねトランスパーソナル帯域に重なると思えます。エーテル領域は実存領域より少し深い辺りで、その更に深い辺りがアストラル領域、更に深くがコーザル領域に割り当てられるかなと思います。
ただし、正確に二つの分類マップを重ねようとすると、ウィルバーのマップが意識の深さを縦軸とし、世界の広がりを横軸とした2次元平面空間で表現されているのに対し、エーテル・アストラル・コーザルの分類空間はその中に収まらない感じがします。次元を増やして斜めにはめ込めば良いかなと考えたこともあるのですが、ウィルバーの空間に直行するもう一つの座標軸というのが上手く表現できなくて難しいです。

⚠️ 幽体離脱の安全注意 ⚠️

ただ、幽体離脱をしてしまう方にとっては、無事に帰還するために重要な気がするので、この辺なんだよというサジェスションと受け止めていただければと思います。
離脱したとき、とりあえず自分の体(手が見やすい)を見て、黄色っぽかったらエーテルボディーですから、一度戻ってアストラルボディー(青っぽい)で出直した方が安全です。
因みに、コーザルボディーになると白っぽいのでわかりやすいです。でも、ここまで来たら、離脱が云々というよりも、ニルヴァーナに接近する方に関心が向くでしょうから、正しく先へ進んだ方が宜しいですね。
こうした色付けは、観る側の意識が脚色しているものですから、ケースバイケースと言う事も有るはずですが、アーキタイプと言うのでしょうか、不思議と世界的に共通した色で見られるようです。

⚠️ 金縛りの安全注意 ⚠️

ちなみに、エーテルボディーと肉体の連結が中途半端に外れかかって、もがくのが金縛りであるようです。
サイキ領域に入りかかっているけれど、殆ど実存のレベルという辺りで起きる現象のようです。
意図せずに金縛りに遭って困る方は、肉体にしっかり入り直す事を意図(決断)すると、ボディーが自動的に反応して元に収まるはずですから、お試しください。
無闇に離脱などしないように。安全のために、戻りましょう。
要するに、まだ修行が足りないということなのです。

それでも、何か事情があって、離脱してしまうことはあるでしょう。そういう場合は、わかる人に相談する方が宜しいと思います。
決して、軽はずみに遊ぶような事ではありません。

☆ トーラス ☆

最近流行りの(?)トーラスというビジュアル表現は、コーザル領域での体験に近いと思います。あのビジュアルを考えたというか表現した人は、その辺りの体験が元になっているのでしょう。

☆ 深く広く時間をかけて ☆

トランスパーソナル帯域については幅があるのと、進むにつれて深さがあるので、全域を隈無く体験するのにはそれなりに時間をかけて修行する必要があるプロセスです。
経験者が少ないので評価するのも難しく、本を参考にしようにも、本によっては違っていると思われることも多いので、あまり鵜呑みにせずに、正しい瞑想法(修行法)を使って御自身で探究してください。

☆ MIND(心)のレベル ☆

トランスパーソナル帯域も抜けて、いよいよ究極の意識状態と言えるのが、大文字のMIND(心)と呼ばれるレベルです。
この大文字で書くというのは、自我レベルでのmind(心)と区別するための表記です。

実は、このウィルバーの表記方法には、禅哲と呼ばれた鈴木大拙という禅師の影響が見て取れます。大拙禅師の日本語の記述では「心」の文字の横に黒点のルビを付けたり、付けなかったりで判別する工夫をしてあり、英文では大文字と小文字にしてあるのですが、禅を修したウィルバーの事ですから、それに倣ったものと思われます。

MINDは、個と周りの世界を隔てる境界が一切なくなった、宇宙そのものという状態です。最近はワンネスという言葉がありますが、これの事でしょう。「一なるもの」という表現もあります。
つまり、見るものと見られるものに分離しない状態です。

☆ 真正のリアリティ ☆

この究極の状態、MINDに於いて、本当の私を自覚することになります。ここに於ける知覚こそが本物(real)でありますから、リアリティーというのも、ここでの知覚こそが本当のリアリティー(real realty)な訳です。
言葉を使うと理知的な構造が重なるので、表現がトートロジー(tautology)になってしまって変ですけれど、まぁ、そういうことです。

☆ 真正でなければ全てがバーチャルリアリティ ☆

ですから、ここまでに書いてきたいろいろなレベルでの実感、リアリティというのは、実はすべてバーチャル・リアリティー、幻想、幻覚なのですね。
私たちが常識と思って眺めている日常の現実は、なんと! すべてバーチャル・リアリティー、幻想である訳です。
仏教で無明というのは、この事なんですね。
みんな夢を見ているようなものです。
ありのままの現実を見ていない。

色即是空しきそくぜくう

MINDで観る、真正のリアリティーでは、私たちが現実と信じながら夢見るように見ている幻想は「しき」であり、本来は一切が「くう」であると看破される訳です。
そしてまた、空はそのまま色であると。
般若心経の有名な一節「色即是空しきそくぜくう 空即是色くうそくぜしき」とは、これを言っている訳なんですね。

あぁ、長くなりましたけど、本当は、こんなに短く言い切ってしまって良いのだろうか、と実は心配です。
今後の続編で、占いをする時の意識の振り方などをお話しするのに、どうしても意識のマッピングを定義しておかないと説明に窮するので、原典を読むのを躊躇ためらわれる方にも通じるようにと頑張って、できるだけ簡単に書いたつもりです(コレでもネ)。

☆ 体験の裏付けが必要 ☆

意識マップは、そんな単純なことではないだろうと思われた方は慧眼です。
知識だけではただの理知的な理解に過ぎません。
体験の裏付けが必要です。
どうぞ御自身で修行を修めていただき、正しく御確認くださるようお願いします。
実は、それが狙いだったりして。(^_^)

-まだまだつづくよ-

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