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母よ、あなたは正しかった


職人である父の背中を見て育った私

私の父は、自営業だった。
70歳を過ぎてがんが発覚するまで、電気工事士として現場で仕事をしていた。
いわゆる「職人」というやつだ。

古希と呼ばれる年齢を超えても現役でバリバリ働き続ける父を、私は誇りに思っていたし、心から尊敬していた。
私もそうなりたい、死ぬまで働き続けるんだ、とずっと思っていた。父がこの世から去ったいまでも、その気持ちが変わることはない。

一般的なサラリーマンより、自営業の父の収入は多かったと思う。特にバブル時代には、かなり稼いでいたようだった。大型案件が多かったようで、忙しくしていたという記憶がある。

それなりに贅沢はさせてもらっていたとは思う。だけど決して裕福な家庭とはいえなかった。
収入からいえば、じゅうぶん裕福な生活ができていたはずなんだけどな。おかしいな。子どもが5人もいて、そりゃ大変だったろうなぁとは思うのだが。

思いつく理由が、ひとつある。
だが、それについて書くとどえらい長くなってしまうので、今回は割愛する。

そんな環境で育った私には、「サラリーマン家庭」というものがどういうものなのか、長らく想像がつかなかった。実際に自分が会社勤めをするようになるまで、サラリーマンというものを正直よくわかっていなかった。

「ボーナス」なんて言葉は、いつもニュースで他人事のように聞いていた。自分にとっては遠い夢のまた夢でしかなかったのだ。

実家を離れて大阪で暮らすようになって、26歳のときに派遣の事務員として会社勤めをするようになった。まさかこの私が「OL」になるなんて、考えてもみなかった。
自分には会社勤めは無理だろう、と最初から諦めていたから。

私の父も、組織では働けないであろう人種だ。
「人に指図されたくない」と、父が言っていたのを覚えている。

たしか、子どものころの小学校の宿題で「お父さんの仕事について調べる」ってのがあったような……。そのときに「なんでお父さんはサラリーマンじゃなくて、電気の仕事をしているの?」と父に尋ねたような記憶が、うっすらと残っている。

人にものを聞くことも嫌いなようだ。ちゃんと人の話を聞けないので、すぐに知ったかぶりをしてごまかす。母にしょっちゅう「また知ったかぶりする!」って怒られていたっけ。

人に頭を下げるのが嫌だという、いかにも九州男児っぽい、変に高いプライドや頑固さを兼ね備えていた父だったが、要は、コミュニケーションに自信がないのだ。そこは私と同じだ。そのころには私は知る由もないが、父にも明らかな発達障害の特性があった。いまとなっては、大いに合点がいく。

この父が、組織で働いているところなんて、到底想像できるはずもない。


母が唱え続けた呪文

「職人とは、絶対に一緒になりなさんな」
「あんたたちには絶対、サラリーマンと結婚してほしい」

これは母の口癖だった。

父はものすごく短気で、すぐにカッと頭に血がのぼるタイプ。
取引先に集金に行った際に喧嘩になって「金はいらん!」と大きく啖呵を切り、手ぶらで帰ってくるような人。私はまだ子どもだったのであまりよく覚えてはいないが、本当に収入がゼロになってしまった時期もあったという。

「自分は啖呵を切って帰ってきて、さぞかし気持ちいいやろうけど、私たちはこれからどうやって生活していけばいいと? やりくりせないかんこっちの身にもなってよ……」

毎日の主婦の仕事に加えて、父の仕事で発生するお金の管理や確定申告といった雑用業務を一手に引き受けていた母。
父に困らされるたびに、暗い表情をうかべ頭を抱えていた姿が、強く印象に残っている。

そのくせ、父は見事なくらいに「見栄っ張り」で「ええかっこしい」な人でもあった。

現場の応援をしてくれた作業員や従業員に対して、報酬をついつい多めに渡してしまう。その分、父の取り分は少なくなる。すると当然ながら、私たちの生活費が削られる。

そんなやりたい放題な父を、母はいつも嘆くばかりだった。
詳しいことはまったくわかっていなかったけれど、母が精神的に相当まいっていたことは、まだ幼かった私にも容易に理解ができた。

母のおかげで、私たち一家は路頭に迷わずにすんだ。母が手綱を握り、父をしっかりと支えていてくれていたから。そこにはいったい、どれほどの苦労があったのだろう。


アスペルガーな私の恋愛事情

自分と同じような苦労を、娘にはしてほしくない。
そんな母心からなのだろう。

「職人とは一緒になるな」
「結婚するならサラリーマンと」

まるで呪文のようにそれを聞かされて、私は育った。

でもね、お母さん。
私はなぜか、サラリーマンの殿方にご縁がないのよ……!

私が付き合う男性は、こぞって高学歴。
なのに悲しいかな、どいつもこいつもこぞって経済力というものが欠如している。

なぜなのだろう。
ダメ男を好んで自ら選択しているつもりなんて、さらさらないのだけれど。

「私は誰の世話にもならない。誰にも養ってもらわなくて結構。自分の面倒は死ぬまで自分で見る!」

そう心に決めた私は、その信条を胸に、大阪で強く生きてきた。
ずっとそんなふうに生きてきたから、まわりには勝手に「強い女」だって思われてるのかなぁ。

そんなことを言うと、「めっちゃイケてるカッコいい女性」を気取ってるみたいだけど、何を隠そう(まったく隠してないけど)、不器用すぎるがゆえに家事全般がさっぱりな私。その不得手な部分を誰かにフォローしてもらわねば、とても生きてはいけない。

これは私の発達特性も大きく影響しているのだと思う。
掃除・洗濯・料理・買いもの・ごみ捨て、さらには服のコーディネートに至るまで……、とにかく生きていくことに必要な身の回りのあれやこれやが、人の手を借りなければ、ほぼほぼできないのだ。

特に料理は、絶望的。
いまだに、ガスコンロの火すら、まともにつけられない。
料理が一切できないので、包丁や調理器具の類は我が家には存在しない。

私は、ひとりでいることが好きだ。
ASDタイプに多いらしいが、ひとりのときがいちばん落ち着く。ひとりでいる時間を、私は何より大切にしている。

ひとりでは何もできないくせに「ひとりが好き」だなんて、なんとも矛盾しているように見えないこともないが。

ひとりになりたい。だが、その願いはなかなか叶えさせてはもらえない。
ひとりにさせると、何をしでかすのか危なっかしくて見ていられないのだという。

私は、女性としての役割をしっかりと果たすことができない代わりに、働くことで男性的な役割を果たしてきた。

こんなことを言うのは、いまの時代にはそぐわないのかもしれない。
だけどちょっとこれも矛盾しているような気もしないでもないのだが、「仕事はできるけど家事がさっぱり」な設定の女性を、最近は頻繁にドラマや漫画などで見かけるようになったよね。

2020年にTBS系で放送された『私の家政夫ナギサさん』。

原作は、四ツ原フリコ氏の『家政夫のナギサさん』。
原作のナギサさんは、強面でシブくて素敵!

2023年にフジテレビ系で放送された『わたしのお嫁くん』。

原作は、柴なつみ氏の同名作品。
原作のほうがドラマよりもしっかりコメディで、めっちゃ面白い!

メジャーな作品かつ好きな作品でいうと、こんなところかな。
このドラマのヒロインって、絶対ADHDだよねぇ。

私もまさに、あんな感じかなー。
私はあそこまで仕事はできないけれど。

私が生活費を稼ぐ代わりに、家事力の高い誰かに家事全般をフォローしてもらう。そんな「相互補完」の関係。
これが、アスペルガーな私の恋愛事情なのである。


母よ、あなたは正しかった

会社員時代、社内結婚した同僚から「夫婦合わせて年収1,000万」という話を聞いたことがある。頭がクラクラした。

子どももいて、マイホームもあって、年に1回は必ず家族旅行に出かけて。公私ともにとても充実していて、めちゃくちゃキラキラした人生に見える。
こういうのを「絵に描いたようなしあわせな家庭」というのだろうか。

私、人生しくじった???
私の生きる道は、本当にこれでよかったのか???

……一瞬のうちに、私の頭のなかにそんな考えがよぎった。

あぁ、願わくば、サラリーマンと一緒になりたかったな。

こんな私が、こんなことを思ってはいけないのかもしれない。
これ以上のしあわせを望むのは、贅沢なのかもしれない。

だけど、心からこう思う。

母よ、あなたは正しかった。


ときには道に迷うこともあるけれど

この年齢になるまで必死のパッチで頑張ってきたけれど、疲れたなーしんどいなーって気分に陥ることも、たまにある。

誰かに養ってもらえたら、楽だろうなー。なんて。
そんな生き方ができれば、どんなに楽に人生を歩めただろうか。

経済的な心配がなければ、時間的な余裕もできて、私は作家として心置きなく創作に勤しむことができる。そうすれば、多くの作品を生み出すことができるのに。ついてないなぁ、まったく。

お母さんの言うこと、ちゃんと聞いてればよかった。

もしまた誰かとお付き合いできるようなチャンスが訪れたら、今度こそは絶対、経済力のある人がいい。サラリーマンじゃなくてもいいから、ある程度の収入がある人。いや、ちゃんと働いている人であれば、それでいい。

自分の食い扶持は自分でなんとかするから、てめえの食い扶持くらいはてめえでなんとかしろやーーー!!!
(おっと、お口が悪いなぁ)

一生に一度でもいいから、普通の恋愛がしたかったな。
なんて、思うこともある。

だけど私は、そんな人生を選ばなかった。
そう、こんな人生を選んだのは誰でもない、私だ。


これが私の生きる道!

そしていま、私は父と同じ道を歩もうとしている。

今年、会社員を辞めた。当然だが、給与収入がなくなった。
会社員という安定と安心に守られた環境を捨てて、「フリーランス」といういばらの道を、私は選び、歩き始めた。

お金のことを考えると、正直モヤモヤする。
だけど、好きなことだけできているいまは、とっても楽しい。

私はもう、一般企業には勤められないだろう。
年齢的にも、正社員として採用してくれる企業はまずないと思う。そんなことは承知で、すべて覚悟のうえで、私は自ら「安定」という名のレールから外れたのだ。

会社員時代はよかったな……なんて、遠い目をして振り返る日もきっといつか来るだろう。だけどもう、会社員時代みたいに無理も我慢もしなくていい。頑張りすぎなくていい。ほぼノーストレスで、自分の特性に合った自分のやりたいことができる。こんな生活ができるなんて、楽しいに決まっているではないか!

頑張りすぎることは二度としないけれど、頑張り次第で、会社員時代よりもはるかに多くの収入を手にすることだってできるのだ。だから決して、後悔はしない。


私は、自分の願いはほぼすべて、自分の手で叶えてきた。

「○歳までに○○をやる!」
「私は○○になりたい!」
と思ったら、必ずそれを自分の力で実現させてきた。

「30歳までにちゃんと仕事ができるようになる!」
「40歳までに正社員になって、安定した収入を得て、安定した生活を手に入れる!」
と決めて、それを叶えた。

「40代までに作家になって、自分の本を出版する!」
と決めて、それも叶えた。

この私も、この世に生を受けてから、もうすぐ半世紀。
私の人生は、これからいよいよ佳境に入る。

これが、次なる私の人生目標だ。

「50歳になるまでに、自分の好きなことをして生活する!」
「50代から、自分の好きなことをやって、安定した収入と安定した生活を手に入れる!」

厄介な発達特性がなければ、私はもっとスムーズに自分の人生を歩めていたに違いない。それさえなければ、私はほぼ完璧といえるような人間になっていたはずだった。私は向上心の塊のような人間だから、いまごろはきっと成功者として大活躍していたに違いない。

人と比べれば歩みはずっとずっと遅いけれど、確実に、着実に、私はここまで成長してきた。これが私の、かなり面倒だけれど「愛すべき」人生だ。

そして、発達特性のメリットを大いに活かした行動力というパワーを武器に、これからもたくさん、自分の願いを自分で叶えていくのだ。

後ろを向いても仕方がないから。
この先も私は、前だけを向いて強く生きる。

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