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双極症の死にたい気持ちに対処する具体的な方法~双極症のたま~

双極症のたまです。
いまは元気で死ななくてもいいかなと思っているわたしが死にたかったときのことを思い出しながら死にたくなったときのために書いた自分へお手紙です。

はじめに

デリケートな話題ですが、正直、死にたい気持ちでいる時間は長いです。実行したことはないけれど準備はします。見なかったことにすることはできません。いまは体調がいいけれど、そのうちにまた死にたい気持ちになるでしょう。死にたいけれど死ねなくてつらいときに何ができるかを考えておきたいと思います。

死にたくなったら相談しましょうとよく聞きます。でも、いちばんつらいときに相談したくなる相手はあまりいません。相談された人は驚きのあまり、怒ってわたしの言葉を否定し、とんちんかんなアドバイスをするのです。相談しないほうがましです。もし相談した相手がよく話を聞いてくれる人だったとしても、苦しみを代わりに引き受けてくれるわけではありません。結局わたしが耐えるほかはないのです。

わたしはいま将来の自分に生きてほしいと思っています。大切な人の支えになりたいと思っています。また、いままで死ななかった自分を褒めたいと思います。死にたい気持ちに耐え続けるのは並大抵のことではありません。

でも、どんな言葉も死ぬことで頭がいっぱいになったわたしには届きません。論理的な説得も感情に訴える言葉も意味がありません。だから、死ぬことから気をそらし、ほっとする時間をつくるくらいしかできることはありません。

死にたくなるのはひどいうつのときであり、気をそらすためにできることは限られています。そのような状況でも無理なく受け入れられそうなことを選び書き残しておきます。できることのなかからほっと気持ちを和らげる方法を見つけましょう。

死にたい気持ちに対処する方法

大切な人を思い出す

いままで、死にたいときに思い出して踏みとどまろうと思える人はいませんでした。死にたいときには家族が悲しむことなどはどうでもよくなります。ところが、最近は彼氏を思い出すとなかなか死ねません。年上だから、ひとり残してしまってはかわいそうだと思います。大切な人がいると、死ぬ以外の方向に気持ちが向かいます。

彼氏でなくてもいいかもしれません。猫を飼ったら、同じように残していけないという気持ちになるでしょうか。子供がいたら?

ただ、このように実行できないと思わせてくれる存在は意識して作れるものではありませんから、その他の対応も必要です。

静かに話を聞いてもらう

これはわたしが強い希死念慮で冷静さを失っていたときに同じ病気の先輩に教えてもらい、すがるものが他になくて試したところ、よかったと思えた方法です。

信頼できる人にあまり内容のない話をぽつぽつ話してゆっくり聞いてもらいます。話題は病気のことでなければなんでもいいでしょう。わたしは今日は猫はどんな様子だったという話を母に聞いてもらいました。すらすら話せなくてもまとまりがなくてもいいです。

誰かがわたしのために時間を割いてくれるという状況がわたしを癒します。

親しい人には死にたい気持ちのときは話を聞いてほしいとあらかじめ頼んでおきましょう。できれば声のトーンを一定に、ゆっくり話してもらいます。話を続けて気をそらすのが目的の会話なので、先を急かしたり結論を求めたりしないようにお願いしましょう。

よくなったら何をしたいか書いておく

わたしは経験上、死にたい気持ちが一時的なものだと知っています。だから、よくなったときにしたいことを書いておきます。たとえば、わたしは彼氏とおでかけしたいと日記に書きました。うそでもいいです。つらいときはなかなか死ぬこと以外のことに興味を持つのは難しいです。それでも書いておくと、あとで見たときに、自分が死にたい気持ちになんとか対処しようとしていることが客観的にわかり、頑張っているなと自分を認めることができますし、よくなってきていると希望が感じられます。

刺激を避ける

静かに話を聞いてもらうのはいいけれど、近くでわいわい話をされるのは苦痛です。元気な人たちと自分を比べて憂うつになるかもしれません。話を振られるなんてもってのほかです。なにを見ても聞いても死にたい気持ちが強まります。にぎやかな時間は薄暗い部屋でスマホなど見るのがいいかもしれません。

ほかの動物たちを思い出す(わたしは生き物が好き)

動物たちはけがをしたときも病気になったときも、どうして苦しいのかわからないまま、よくなるのかもわからないままじっと耐えています。わたしも彼らにならい苦痛に耐えるのが動物として自然です。わたしの場合、強烈な死にたさは長く続いても1か月とわかっています。ほかの動物たちよりは苦しみに耐えるのが楽なはずです。

快適に過ごす

ちょうどいい室温、ゆったり着心地のいいパジャマ、やわらかい毛布。猫と一緒にうずくまっていましょう。

死にたい気持ちを否定しない

死にたい気持ちがあるのは悪いことではありません。恵まれていて大切な人がいるのに死にたいと思うなんてと申し訳なく思ったり自分を責めたりすることもあると思いますが、環境に反応して死にたくなっているわけではありません。死にたい気持ちを否定しても死にたい気持ちはなくならないし、ますます強くなるのでやめましょう。

理由はないけど死なない

楽しいことも嬉しいことも希望もなにもない。一日中、胸を強く圧迫されているように息苦しい。自分を否定する考えが次々浮かんで飲み込まれていく。そのような状況では死ぬことはとても魅力的な選択肢に思えます。でも、死なない。理由はあまりありません。理由なく死なないことを選んでもいいでしょう。わたしは、ほかの生き物が生き続けているようにわたしも生きるのだと思っています。

薬を飲んで寝る

一生懸命耐えても薬で眠って時間が過ぎるのを待っても結果は同じでしょう。好きなほうを選びましょう。

死にたい気持ちを深堀しない

なぜ死にたいのか、死にたい気持ちの根幹にあるものはなにかなどと考えるのは賢明ではありません。この死にたい気持ちは単なる症状であり、わたしが死ぬべき合理的な理由はありません。また、この状態では生きるべき理由も見つからないでしょう。考えても状況は改善しないうえ、歪んだ考えが死にたい気持ちを補強してますますつらくなります。

死にたい気持ちを補強する考えの誤り

死にたいときにはいろいろな苦しい考えが浮かんできます。このような考えは認知行動療法により改善できることもありますが、死にたい気持ちでいっぱいになっているときは冷静に自分を見つめることは難しいです。だから、これらの考えがたったひとつの正しい考えではないということだけ伝えておきます。

みんながわたしに死んでほしいと思っている

苦しい気持ちでいるあいだはこの考えこそが真実だと信じていますが、実ははちがいます。多くの人はわたしの生死に興味がなく、生きている人は生きるのが当然と思っています。

苦しみをわかってもらうには死ぬしかない

死んで思い知らせてやる、死んだら復讐できるも似た考えであり、これらの考えもまちがいです。わたしが死んでもわたしの苦痛はわたしにしかわかりませんし、みんなすぐに忘れます。

まわりのみなさんへ

職場で死にたいと言うことは絶対ないけれど、家族や恋人には言うと思います。助けてくれるかもしれないと思って言います。死なないということはだいたいわかっているので、死なないよう説得してほしいわけではありません。話すことで一瞬でもほっとした気持ちになれるかもしれないと期待しています。

でも、話すとたいていは怒られて、否定されます。健康な状態であってもろくでなしと言われて怒られたらつらいと思います。話すことで死にたい気持ちはますます強くなります。

みなさんが怒るのは死にたいという言葉に驚いたからだということはわかっています。自分の存在がわたしにとって意味のないものと言われた気持ちになるのかもしれません。

みなさんにお願いしたいことは、死にたいという訴えに慣れることです。わたしにとって死にたい気持ちはなじみのあるものですが、多くの人にとってはそうではありません。このギャップがみなさんを驚かせ、コミュニケーションを難しくしています。また、死にたい気持ちがどんなものなのか興味を持ってほしいと思います。黙りなさいと叫ぶのではなくて、それはどういう気持ちなの?と聞いてくれたらいいと思います。そうしたら、目の前の人の存在を否定するつもりはなく、話を聞いてくれるあなたのことを大切に思う気持ちはあるということを説明できます。そして、この前も同じ状態になったけれど元気になった、元気だったときはこんなことを言っていたということを教えてほしいと思います。元気だったときのことは忘れてしまうのです。

おわりに

死にたくなったらどうするかという話はあまり聞きません(調べると電話相談ばかり)。医療にもつながっているし相談できる人もいる、でも死にたくてつらいという人たちへ情報があればいいなと思います。


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