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語学好き必読エッセイ | 『べつの言葉で』

「読書好き」にはいろいろなタイプがいると思います。起伏のあるストーリーを追うのが好きな人、情景描写を頭の中でじっくりイメージして味わうのが好きな人、構造に注意して読みたい人ーー。

私は言葉自体がそもそも好き、というタイプです。ひとりで歩いている時なんかはしょっちゅう言葉について考えているし、辞書も読みものみたいに読んだりする。そんな具合なので当然、文学と同じくらい語学にも興味を持っています。

もし「そう、まさに私も同じ!」と共感してくださった方がいれば、こちらの本をぜひおすすめしたいです。言葉好きにはたまらない、ジュンパ・ラヒリのエッセイ『べつの言葉で』。


本の扉ではこのように紹介されています。

(前略)「わたしはわたしの言葉だけに属している。わたしには祖国も特定の文化もない」というラヒリにとって、ベンガル語という「母」でもなく、英語という「継母」でもない、この第三の言語はどんなことばなのか。作家と文学の根源に触れる、イタリア語で書かれた瑞々しいエッセイ。掌編ニ篇を付す。」

ジュンパ・ラヒリ著、中嶋浩郎訳『べつの言葉で』新潮社、2015


作家ジュンパ・ラヒリはアメリカで育ちました。彼女はイタリア語に惹かれ、アメリカでイタリア語を学ぶようになります。そして約二十年後、ついにローマへの移住を決意するのです。このエッセイでは、主にローマに移住してからの出来事が綴られています。

✴︎

ラヒリのイタリア語に対するまっすぐな熱意がこの本を貫く大きな魅力のひとつ。

言語を勉強するシーンなどは自分にも身に覚えがあることばかりで、そうだよねと共感して嬉しくなります。外国語を学ぶことの楽しさを再認識させてもらえました。

本を読み終えると、単語をしっかりチェックするために本文に戻る。本、手帳、数冊の辞書、ペンが散乱するソファに腰を下ろす。熱中し、かつリラックスしてするこの仕事は時間がかかる。本の余白に単語の意味は書かない。手帳に一覧表を作る。(中略)こうして自分専用の辞書、読書の進路をたどる自分だけの単語帳を作りあげる。ときどき手帳のページをめくって単語を復習する。

p30〜31

手帳にはわたしのイタリア語はのすべての熱狂、すべての努力が収められている。その空間でわたしはさまよったり、学んだり、忘れたり、まちがえたりすることができる。希望を抱くことができる。

p37

エッセイ全体に満ちている瑞々しい比喩も味わい深いです。

比喩が多用されているのは、ラヒリがまだ不慣れなイタリア語で執筆しているからということもあるのかもしれません。

語義が狭い、そのものずばりの単語を探し当てられない分、思考が様々な比喩によって表されるのかもしれない。

そんな比喩の連なりを読んでいると、なんだか水彩画を見ているような感覚を抱きました。

私のお気に入りの比喩はヴェネツィアの街歩きです。

ヴェネツィアで、ほとんどすべての要素が逆さまになっている状態を感じる。実在するものと錯覚、幻に思えるものを見分けるのが難しい。すべてが不安定で移ろいやすく見える。

p65

ヴェネツィアで感じる狼狽は、イタリア語で書くときにわたしを捉える感情に似ている。区域地図があるのに、わたしは道に迷ってしまう。(中略)書いていると、袋小路や狭苦しい街角にぶつかることが何度となくあり、そこから自力で抜け出さなければならない。途中で離れなければならない道もある。絶えず修正しなければならない。(中略)そこで向きを変えると、予期していないときに限って、人気がなく静かで光あふれる場所に出る。

p65〜66

外国語を学ぶ者であれば誰でも味わう苦しみと喜びが、雰囲気たっぷりに描き出されています。

エッセイをさらに読み進めていくと、語られる内容も深化していきますーー実際的な言語学習の話から、ラヒリのアイデンティティや「書く」ことの源泉へ。

「祖国も特定の文化もない」というラヒリの抱いてきた葛藤や悩みに焦点が当たり、考えさせられることもたくさんありました。

言語は人の思考回路そのものであると同時に、他者に複雑な意見を伝えるほぼ唯一の手段です。それはすなわちアイデンティティとは切っても切れないということ。新しい言語を学ぶということは、もはや自分の一部を変えるということなのかもしれないな、とふと思いました。

言語の勉強というと、「その言語で他者と(できればたくさんの他者と)コミュニケーションが取れるか」「仕事に使えるか、お金が稼げるか」といった実利面が重視されがちです。それはたぶん、言語がただの「ツール」であるという考え方に基づくものでしょう。

しかしそのような外発的動機よりも遥かに強力なのが、ラヒリの抱いているような切実な内発的動機なのだと思います。

外国語を勉強していて上手くいかなくなったときには、いつでもこのエッセイに戻ってきて背中を押してもらいたいです。

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