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【秘封新作】七夕坂夢幻能物理用語解説【ネタバレあり】

七夕坂夢幻能ルナクリアしました、そひかです。

八年ぶりの秘封新作ですね。幣タイムラインでは早速この秘封新作に関する感想や考察や絶叫が伏字で大量に呟かれています。私もその仲間入りをしたいところなんですが、何人かのフォロワーに頼まれたことがありまして、その仕事をまず遂行しようと思います。それは秘封倶楽部新作に登場した物理学関係の用語の解説です。








【!】ここから先は七夕坂夢幻能のネタバレを含みます【!】









さて、七夕坂夢幻能のブックレットを読んだみなさん。曲タイトルや本文中に聞きなれない単語や引っかかる単語はありませんでしたか?

コペンハーゲン解釈、確率論、量子論、古典量子論復古主義、不等式のティンカーベル、粒子、(非)実在性、場の干渉、もつれ、Disentanglement(ディスエンタングルメント)……

実はこれらはいずれも、物理学の一分野である量子論に登場する単語、およびそこから作られた造語や言葉遊びです。

もちろん、量子論以外の文脈では違った意味を持つ単語もあるし("実在"とか)、彼女らの言うこれらの単語が我々の知る概念と全く違う可能性もあるのですが……そうした解釈は各々同人誌にしていただくことにしましょう。当記事では、科学世紀の物理学が我々の世界の延長上にあるものだと仮定し、そうした物理関係の用語について解説します。

今回の新作の主要な部分、音楽や物語、民俗学的な側面、能の様式等に関しても、語るべきことはいくらでもあるのですが、それは皆さんに任せることにしましょう。

忙しい人のための参照表

まず簡単に、登場した物理用語の最低限の説明を羅列します。(説明の都合上、単語の登場順とは順序が異なります。)

  • 量子論: ミクロな現象を記述する物理学の理論体系。量子力学、場の量子論、量子情報理論などを大まかに指す。波動と粒子の二重性、非実在性、不確定性など日常的な直感に反する性質を記述する。蓮子がトラック10. で言った「量子の世界の不思議さ」はおそらくこれらのこと。

  • 確率論: 確率的な現象を記述する数学の一分野。量子論はミクロな現象の確率的な振る舞いを扱うため、確率論を含む。

  • 古典量子論復古主義: 謎の造語。物理の業界では「古典論」は「量子論」の対義語なのだが、すると意味が通らないので、ここでは単に「古い」という意味でとることにすると、「昔の量子論を復活させる主義」となる。これは「観測物理学が終焉を迎えている(大空魔術4. )」という科学世紀に、黎明期の量子論の活気を取り戻すという思想の表明なのだろうか? それとも科学世紀では我々の知る量子論が一度否定されており、それを復活させるという意味なのだろうか……? そもそも科学の発展の仕方が我々の歴史とは違うのかもしれないし……解釈の余地あり。

  • コペンハーゲン解釈: 量子力学に登場する波動関数や観測の作用などを我々はどう理解すべきか、という問題に対して与えられた解釈のうちの一つ。それが具体的に何を指すかについては時代や論者によって食い違っているが、波動関数は実在ではなく確率的な情報を記述する波だという考え方が中核にある。これとは異なる解釈として、多世界解釈などがある。

  • 実在性: (物理学の文脈では)「観測に関係なく何がしかのモノが存在し、それが観測データをもたらしている」という仮定(あるいは、それに基づく世界観)のこと。古典論は実在性を前提としているが、量子論はこの実在性(正確には、局所実在性。後述)を持たない。ゆえに量子論の文脈であれば、蓮子の「粒子の非実在性を肯定している」というセリフはそれほど突飛な主張ではない。もちろん、蓮子がそれ以上の意味で何か強い主張をしている可能性はあるが。

  • entanglement(エンタングルメント): 複数の系の間にある相関のこと。例えば「実験室Aでどんな測定結果が得られようと、実験室Bでの測定結果には関係ない」というとき、「A系とB系に相関がない=エンタングルしていない」と言う。そうでない場合が「相関がある=エンタングルしている」状態である。業界ではもつれという訳語も使うので、CDの帯にある「もつれた」という記述はこれを意識していると思われるなお、研究の現場では単にエンタングルメントと言えばたいてい量子もつれ(quantum entanglement) のことを指す。

  • disentannglement(ディスエンタングルメント): entanglementが壊れる=相関が無くなること。今回の秘封新作のサブタイトルにあるが、これはストーリー中で蓮子とメリーが疎遠になることを暗示していた。

  • 不等式のティンカーベル: ベルの不等式(Bell's inequality)から作った言葉遊びだと思われる。物理関連トピックの解説ページ「EMANの物理学」において、ベルの不等式の解説にティンカーベルが登場するため、神主がこれを参考にしたのかもしれない。なお、ティンカーベルを冠する理学用語はほかにもいくつか存在する。

  • ベルの不等式: 量子論をなんとか局所実在論で説明しようとする試みである「隠れた変数理論」に基づく限りは必ず成り立つ不等式。具体的には「隠れた変数理論に従うなら、かくかくしかじかの実験設定の下、エンタングルした二つの系が持つ相関の量は2を超えることはない」という形をしている。この不等式(の発展系であるCHSH不等式)が破れる(成り立たない)ことが1982年に実験的に確かめられたため、隠れた変数理論が反証された。

  • 場の干渉: 場とは、空間の各点で値が定まっているもののこと。全国の気温の分布や風速などのデータは場にあたる。は、この場の各点での値の変動が隣へ隣へ伝わっていく様子だと理解できる。そして波同士は強め合ったり弱め合ったりする。これを干渉と呼ぶ。ゆえに場の干渉とは、何らかの場を伝わる波同士の干渉のことを指していると思われる。


以下では、これらの用語をもう少し文脈に乗せて説明してみます。


量子論

作中で蓮子は「量子論」に関する論文を書いていました。まず量子論とはなんでしょうか?

量子論とは、ミクロな世界を記述するための物理学の理論体系です。ではどれくらいミクロかというと、誰も気にしないくらいミクロです。あまりにも小さい世界の話なので、日常生活で量子論的な効果を実感することはほぼありません。量子論を理解するためには、まずこの点を認識することが重要です。物理の業界では「量子論」の対義語が「古典論」なのですが、我々の常識的な感覚は全て古典論的です。我々は生まれてこの方五感を通して古典論的なデータばかりを処理してきたため、そうした古典論的データを効率よく処理するための古典論的な世界――まずものがあり、それが空間の中を動いているという世界――を仮想して現象を理解するよう学習してしまっているのです。あなたが量子論を理解できないとしたら、それはそうした学習の成果であり、生物として効率的に生きていく上で優れた個体であることを示しています。

ではなぜ量子論があるのかと言えば、古典論ではどうしても説明できない現象が起きるからです。これから解説しますが、波動と粒子の二重性非実在性不確定性などが該当する現象です。量子論の歴史は、こうした現象を説明するべく、上述した根強い古典論的常識と戦ってきた歴史といえます。そうして得られた戦利品は、現代を生きる我々には欠かせないものばかりです。例えばPCやスマホに必須の半導体部品は、量子論的効果を考慮しなければ正しく機能しません。先述した通り量子論的効果は小さい世界で効いてくるのですが、PCを薄く小さくしてそこに機能を詰め込みたければ、それだけ量子論と真剣に向き合わなければならなくなるのです。(※量子コンピュータはまた別の話)

秘封倶楽部シリーズには既に数多の量子論が登場しています。夢違科学世紀で蓮子が研究していることが明かされた「ひも」ですが、これは現在の理論物理学の一分野である弦理論を指していると思われます。弦理論は宇宙の最小構成要素を極小のひもだと仮定する理論なのですが、当然そのひもは極小なので量子論的に扱います。また、大空魔術で蓮子はブラックホールの蒸発について言及していますが、これは量子論的効果であるホーキング放射を考えて初めて起こることが予言される現象です。燕石博物誌の曲タイトルにあるプランクもシュレーディンガーも量子論の開拓者ですし、メリーが言った「きわめて小さい世界で起こる、この世の常識が通用しない世界」は量子の世界を念頭に置いているだろうし、ブックレットの表紙で飛んでいる赤青緑の粒のまとまりは核子の量子論的モデルであるクォーク模型の図示です。

今作で蓮子は、メリーの特殊能力を比較対象として「不思議さで言ったら量子の世界の方が上ね!」と豪語していました。その不思議さ――反直観性――の一部を、以下で紹介していきます。

波動と粒子の二重性

東方文花帖の八雲紫のスペルカードに、境符「波と粒の境界」という弾幕があります。これは量子系の一つの性質である波動と粒子の二重性を意識したネーミングになっています。紫は量子力学を知っているんでしょうね、たぶん。この章では波動と粒子の二重性について簡単に紹介します。

初めに、粒子および波動とは何かを確認しておきましょう。粒子と波動それぞれは古典論的な概念なので、みなさんの直観に素直に従って理解していただければOKです。具体的にはこうしてください。

まず何か空間を想像します。二次元でも三次元でもよいです。自室とか、校庭とか、机の上とか、今あなたが見ているディスプレイとか。古典力学では、粒子はその空間の中を動く点です。あなたが想像した粒子に大きさがある場合は、その中の一点を代表として勝手に選べばよいです。一方波動はその空間で定義された場の変動です。とは空間の各点にぎっしりと宿る小さなおっさんたちで、そのおっさんたちが立ったり座ったりする様子が波のように見えるわけです。

波動には互いにぶつかると強め合ったり弱め合ったりする――干渉する――という性質があります。今作の11. で蓮子が言及していた「場の干渉」というのは、おおまかにこのあたりのことを指していると思われます。

干渉という現象を身近に感じてもらうために、もう一度場というおっさんたちに登場してもらいましょう。まず、一列におっさんを立たせます。各おっさんには「隣のおっさんの真似をしろ」という命令だけが与えられています。ここで右端のおっさんを一回ジャンプさせます。するとその一個左のおっさんがジャンプし、さらにその左のおっさんがジャンプし……。この様子を傍から見ると、波が右から左に流れているように見えるはずです。右端のおっさんに一回スクワットさせても同じことが起ききます。では、右端と左端両方のおっさんをジャンプさせたらどうなるでしょうか。そう、真ん中らへんのおっさんは、両側が同時にジャンプするものだから、めちゃくちゃ高くジャンプするしかありません。これが波の強め合いです。逆に、右端をジャンプさせ、左端をスクワットさせたらどうなるでしょう。真ん中らへんのおっさんは、右はジャンプするけど左はスクワットしてることになるので、その中間の微妙な動きしかしません。これが波の弱め合いです。この喩えにはいろいろ限界があるのですが、今回の記事ではこの理解で十分です。

古典力学は、運動方程式を通してこの粒子や場が時間経過でどのように変化するかを教えてくれます。粒子の運動方程式は、各時刻で粒子がどの方向にどのくらい加速するか、を記述します。場の運動方程式は、各点での場の変化が隣にどう影響するか(さっきの喩えでいうと「隣のおっさんの真似をしなさい」にあたるルール)を記述します。これらを現実世界に適用して、ものの動きや変化を予測するわけです。

例えば衛星トリフネがどのように飛んでいくのか予測したければ、宇宙を空間、トリフネを粒子と思って、トリフネの質量や初速度、地球や月からの重力などのデータを反映した運動方程式を立て、それを解けば良いです。また、善光寺地震でどこがどれくらい揺れたか知りたければ、大地を空間、地中の各点の初期位置からのずれをだと思って、震源の位置や地質などのデータを反映した運動方程式を立て、それを解けば良いです。このようにして、様々な現象がこの粒子または波動というモデルによって説明されていきました。

ただ、粒子と波動どちらでモデル化するべきか物理学者の間で論争になった対象もありました。電子がその例です。量子論誕生以前の時代では、一応、光は電磁場という場を伝わる波動――電磁波――として、一方電子は粒子として、それぞれ扱うことが多かったようです。しかし、光が粒子であると考えた方が良い現象(黒体輻射、光電効果、コンプトン散乱)が確認されていたし、電子を波動だと考えた方がよい現象(電子線回析)も確認されました。この光や電子が持つ二重人格――粒子と波動の二重性――は古典論の範囲では説明するのが難しく、物理学者は頭を悩ませました。

粒子と波動の二重性をより明確に突き付けてくる実験があります。二重スリット実験です。これは量子論黎明期(1920年代)では実現できなかった、高度な技術を必要とする実験です。以下に浜松ホトニクスが1982年に行った、光の二重スリット実験の動画を貼っておきます。(なお、電子の二重スリット実験もあり、同じような結果が得られています。)

この実験では、二つのスリット(細長い穴)がある板に光を当て、その向こうにスクリーンを置いて光を受け止めます。すると、スクリーンに明暗の縞模様が現れます。これは光が波動であると仮定すると説明できます。右のスリットを通った波と左を通った波が干渉したのです。

次に当てる光の強さをどんどん弱めていきます。光が波なら、スクリーンはただやんわりと暗くなっていくはずです。しかし人間が見えないくらい弱い光も検出できる装置でちゃんと観測すると、スクリーンは全体的に暗くなるのではなく、ある瞬間、ある一点にポツ、ポツ、ポツ……と光が検出され、その頻度が落ちているだけだったと分かります。これは光を粒子だと仮定(フォトンと呼ぶ。燕石博物誌5. 参照)し、光の強さはフォトンの多さだったのだと解釈した方が良さそうです。では先程の、光が波動だったというのは間違いだったのでしょうか?

ここで「光は粒子だけど、集まると波になるのだ」と考える人もいるかもしれません。「海の波だって水分子の粒でできているじゃないか」というように。しかしそうではないということが次で分かります。

今回は、フォトンをひとつずつ撃っていきます。これを繰り返します。初めは、スクリーンに出鱈目な跡が観測されます。しかしこれをずっと続けていくと、そのぽつぽつとした跡自体がまとまって、スイミーのように、全体では縞模様を形成していることが分かります。これは妙です。射出されてからスリットを通ってスクリーンに至るまでの間、その場にフォトンは一つしかなかったはずです。他のフォトンとぶつかり合うなり協調するなりして、波のように振る舞うことは不可能です。それなのに全体的な結果は波動でしか起こらない干渉の縞模様を示したのです。

この現象を無理やり説明しようとすると、こうなってしまいます。光はスクリーンに当たるまでの間は波として振る舞い、スクリーンに当たった瞬間粒子に化けるのだ、と。このような奇妙さを、奇妙さのままに受け止めて、とりあえず観測結果を再現する道具として開発されたのが量子力学です。

量子力学

量子力学には、行列力学と波動力学(現代的な呼び方では、ハイゼンベルグ描像とシュレーディンガー描像)という二つの等価な記述法があるのですが、以下では後者を使って説明します。なお、このシュレーディンガーは、燕石博物誌の曲タイトルの元ネタにもなっている、あのシュレーディンガーの猫の思考実験を発表したシュレーディンガーです。

さて、量子力学は、以下のステップで黙って計算しなさいと主張します。

  1. 実験系の情報を反映したシュレーディンガー方程式を立てる。

  2. 初期条件に合うように、シュレディンガー方程式を解き、波動関数を得る。

  3. 得られた波動関数に所定の数学的操作をすることで、好きな時刻に好きな観測量を測ったとき、どのくらいの確率でどの値が得られるかが分かる。

  4. ただし一度測定を行って結果を得たら、それを初期条件として2. をやり直せ。

電子の二重スリットの実験の場合にあてはめると、「このくらいの幅の二重スリットがここにあります」みたいな情報がシュレーディンガー方程式に込められます。「この時刻にここにある機器から電子を打ち出しました」というのが初期条件にあたります。波動関数が電子の波としての振る舞いを表し、それがシュレーディンガー方程式に従ってスクリーンまで伝わっていくことになります。スクリーンの何処に当たったか、がここでの観測量です。波動関数の絶対値をとって二乗するという数学的操作をすると「どこにどれくらいの確率で観測されるか」の確率分布が得られるのですが、それをグラフにすると確かに縞模様になります。こうして実験結果の縞模様が再現されます。(この実験では一度観測した光子を使い回さないので 4. のステップは行いません)

様々なセッティングの様々な実験で、このルールに従って計算した「各値が得られる確率分布」と、実験を繰り返して得られた「測定値の統計的な分布」は良い精度で一致しました。統計的とあるように、一回一回の測定値は予測できない点で量子力学は古典的な決定論に反しています。しかしそれは量子の世界が不可避に持つ性質だとして受け入れることにすれば、量子力学は「実験の結果を予測する」という物理理論のするべき仕事をきちんとしてくれています。「反証されうるにもかかわらず、いまのところ反証となる実験結果が得られていない理論」のことを一旦正しいと信じることにしましょう、という科学の鉄則に則ると、量子力学は確かに正しい物理理論となりました。

そう。量子力学によって、量子の世界を再現するルールは分かったのです。問題は、なぜこのルールなのかという点です。この段階で登場するのがコペンハーゲン解釈多世界解釈など様々な解釈です。物理学者は頭を悩ませました。この波動関数とは一体何なんだ。観測は何を引き起こしているのか。何が実在していて、どう振る舞っているのか……。

コペンハーゲン解釈

コペンハーゲン解釈という単語は、量子論の混乱の歴史の中で登場したのですが、言っている人や時代によっても指示内容が異なり、現代から見ると厳密な定義を持たない曖昧な単語です。コペンハーゲンにある研究所に所属していたメンバーが持っていた解釈だからこう呼ばれているのですが、これは京都に集まった少数の秘封オタクが勝手に作り出した蓮メリの関係性についての解釈を指して京都解釈と言っているようなもので、その内容を厳密に特定する意味はありません。重要なのはこれが「解釈」と呼ばれているということで、どの解釈が正しいかは決まらないということです。

標準的な考え方として、以下のような解釈があります。

  • 測定されていないうちは、量子系の状態はシュレーディンガー方程式に従う(これ自体は決定論的)

  • 測定すると、可能な測定値のうちいずれか一つが確率的に得られる(ここが非決定論的)

  • 測定された瞬間、波動関数はその測定値が必ず得られる形に更新される(波動関数の収縮)

これをコペンハーゲン解釈と呼ぶか否かについては歴史的なゆらぎがあるため明言しないでおきます。別の有名な解釈として、エヴェレットの多世界解釈があります。

  • 量子系の状態は常にシュレーディンガー方程式に従う

  • 測定すると、可能な測定値のうちそれぞれが得られた世界に分岐する

他にも意識が波動関数を収縮させるというスピ系の解釈もあり、インターネットに蔓延っているので注意が必要です。(要注意キーワード: 量子脳、引き寄せの法則、量子力学コーチ)

これらの解釈で意見が分かれているのは、波動関数は実在か否か、では何が本当に実在しているのか、という点です。多世界解釈は世界を分岐させるという代償を払う代わりに波動関数を実在だと思うことができます。一方、標準的な解釈では波動関数を実在だと思わず、観測時に得られる値を確率的に教えてくれる情報だと思います。シュレーディンガー自身、シュレーディンガー方程式を作ったときは波動関数を「電子が雲のように広がっている様子」という実在としてイメージしていたらしく、普及していく標準的な解釈に戸惑ったそうです。

何が実在するのか。このあたり、七夕坂夢幻能において蓮子とメリーが議論していた主題にも関わってきそうな部分です。

実在性

本作にて蓮子は自ら書いた論文で「粒子の非実在性を肯定している」らしく、さらに「古典的な意味での物質は無い」と主張しています。先程も未定義のまま何回か使ってしまいましたが、ここでいう実在とはどういう意味でしょうか? 実在という言葉はとても厄介で、日常的に使われる言葉でありながら、哲学者の間でも用法が食い違うなどしていて、私自身あまり好きではない(そもそも私は現象学信徒である)のですが、ここでは量子論を語る文脈で用いられる実在性に限って話を進めます。

物理学においては、実在性とは、「観測に関係なく何がしかのモノが存在している」という仮定(あるいは、それに基づく世界観)のことです。粒子や波動の古典論は「まずここに粒子があって」「まずこの空間に場があって」というように、意識的にしろ無意識的にしろ実在性を前提としています。また、実在性は「ある地点で起きたことが瞬時に遠くのどこかに影響することはないない」という局所性の仮定とセットで語られることが多いです。例えば場というおっさんたちに対する「隣のおっさんの真似をしろ」というルールは、離れたおっさん同士が直接的に影響を及ぼし合うことを禁じるという形で局所性を実装しています。また特殊相対論は光速という速度の上限を設けることによって、粒子が一瞬で遠くにジャンプすることを禁じ、局所性を実装しています。このように古典論では局所性と実在性を合わせた局所実在性が前提となっています。

しかし量子力学は局所実在論ではありません。古典論では説明できなかった粒子と波動の二重性などの現象を量子力学が説明できてしまったトリックはここにあります。このことを指摘して量子論を攻撃したのが、アインシュタイン(E)、ポドルスキー(P)、ローゼン(R)によるEPR論文です。

この論文は、一言でいうと量子力学は物理理論として完全ではないことを証明する論文です。ただ、その完全であるための必要条件として「各物理的実在の対応物が理論にあること」が課されており、ここが実在性の仮定になっています。この仮定の下、量子論の持つ非可換性から導かれる不確定性を加味すると矛盾が起きてしまう、というのが論文の大まかな流れです。なお、相対性理論を作ったアインシュタインが著者に居ることからも分かる通り、局所性は大前提としてあります。現代の視点から言うと、彼らは物理理論が局所実在論でなければならないと信じており、そうではない量子力学に疑問を呈した、ということになります。

EPR論文は「(量子力学に代わる)完全な理論があると信じている」と締めくくられています。この流れを汲んで、量子論をなんとか局所実在で説明できないか、波動関数ではない何か別のものを仮定してうまくいかないか……という議論がなされました。そうして提唱されたのが「隠れた変数理論」と呼ばれる一連の理論です。量子力学とこれらの理論のうちどれが正しいかという論争は長く続きました。

そんな中、ジョン・スチュワート・ベルがEPRパラドックスについてという論文を発表し、「局所的な隠れた変数理論で計算する限り必ず成り立つ不等式」を導き出しました。これがベルの不等式です。量子力学ではこの不等式が成り立たないので、量子力学と隠れた変数理論を実験で区別することができます。そして実験の結果、量子力学に軍配が上がった、というのが我々の世界の物理学の歴史です。

ベルの不等式

今作のトラック2. のタイトル「不等式のティンカーベル」はベルの不等式を意識したネーミングだと思われます。ベルの不等式を紹介するために、次のような思考実験をしましょう。

ある日、旧約酒場で蓮子とメリーはお酒を飲んでいました。そのお酒は旧型酒だったため、二人はちゃんと酔っ払い、何が何だか分からなくなりました。そして帰り際、どちらのものかも確認しないまま財布を鞄に入れてそれぞれの自宅に帰りました。

次の日。二日酔いで目覚めたメリーは、鞄を前にして自問自答します。はたしてここに入っているのは私の財布だろうか、それとも蓮子の財布だろうか……?

鞄を空ける前に、一つだけ分かることがあります。もしメリーの鞄からメリーの財布が出てきたら、蓮子の鞄からは必ず蓮子の財布が出てきます。一方、メリーの鞄から蓮子の財布が出てきたら、蓮子の鞄からは必ずメリーの財布が出てきます。これは、メリーが行う観測結果と蓮子の行う観測結果の間に相関がある、つまり二人の系はもつれている(エンタングルメントがある)状態といえます。

この現象をどう理解するべきでしょうか? メリーが鞄を空けた瞬間、どちらの財布だったかという情報が一瞬にして蓮子の鞄に伝わり、中身を確定させたのでしょうか? 普通はそうは考えませんね。なぜなら局所性に反しているからです。七夕坂夢幻能にて、蓮子とメリーは別々の家に住んでいることが明らかになりました(!)。そのように離れた地点で起きたことが一瞬で一方から他方に影響するというのは、明確な局所性の違反です。

普通の理解はこうなります。メリーの鞄からどちらの財布が出てくるかは、旧約酒場から帰る時点で決まっていた。ただ二人が酔っ払っていてそのことに無知だっただけだ、と。このように、確率的事象は観測者の無知、情報の不足からくるものだ、というのが古典的な確率事象の理解です。隠れた変数理論は、量子の世界の確率的現象もこの立場から理解しようとするものです。我々が知らない「隠れた変数」が量子状態には潜んでいて、そいつが測定結果を決めているのだ、と。

では、今の財布の話と同じ形式の実験を量子を対象にして行ってみましょう。例えば電子を二つ用意し、それをもつれさせてから離れた二つの実験室に送ります。そしてそれぞれの実験室で何かしらの観測量を測って得られた値を記録します。この実験を繰り返し、最後にこれらのデータを統合して、二つの実験結果の間の相関という統計的データを得ます。この相関は理論から計算でき、量子力学と隠れた変数理論どちらも実験と同じ相関を予測できている限り、どちらの理論が正しいとも断言できません。むしろ局所実在の仮定を守っている隠れた変数理論に軍配が上がります。

しかし、どんな量子をもつれさせ、どんな観測量を測るか、という様々なパターンの実験を考えていくと、量子力学と隠れた変数理論の間で予測される相関の値が異なる実験セットアップが見つかります。そのセットアップでは、どんな隠れた変数理論で計算しようとも相関は2を超えない、ということが示せるのです。これがベルの不等式です。これは局所実在で説明できる古典的相関の大きさの限界を示す式といえます。他にも実験のしやすさに合わせて似たような不等式が開発されていますが、それらをベル型の不等式と総称することにしましょう。

で、実際に実験してみてどうだったかというと、なんと様々な実験で、ベル型の不等式が破れるという結果が得られてしまいました。これは、量子系の相関は古典的相関の限界を超えている、つまり量子の現象が局所実在論では説明できないことを示しています。局所性が破れる現象が未だ見つかっていないので局所性の仮定は信じることにすると、我々は実在性を否定しなければならないことになります。この意味で、蓮子の「粒子の非実在性を肯定する」という発言は現在の量子論の主流の見解に合致します。

別の言い方をすれば、量子系は我々が無知で愚かで酔っ払っているから確率的に見えるのではなく、たとえ理想的な精度の測定ができる装置を用意しても絶対に確定できないランダムさを持っている、ということです。

2022年のノーベル物理学賞はベルの不等式の破れを確認する実験のうちの一つを行ったアスペ、クラウザー、ザイリンガーに送られています。受賞の時期を鑑みるに、このニュースは神主の七夕坂夢幻能の執筆に少なからず影響を与えていると思います。

なお、先程の例において量子力学は相関を2√2≒2.83…まで許します。この上限を超える実験結果はまだ得られていないので、量子力学は否定されずに現在でも生き残っています。古典的相関を超えるもつれを量子もつれ(quantum entanglement)と呼び、現在研究の現場でもつれと言ったらたいていこの量子もつれのことを指します。

量子論のその後

量子力学はその後、特殊相対性理論と統合され、場の量子論が誕生しました。世の中の物質と現象を全て基本的な(素粒子)の相互作用として記述してやろうという学問、素粒子物理学が場の量子論を土台にして発展し、宇宙の基本構成要素を探る旅が始まりました。大空魔術5. における「分子より原子、原子より核子、核子よりクォーク……」というセリフは、その旅の道のりを示しています。現在、標準模型という基本的な場(素粒子)の一覧が完成しており、宇宙の大抵のことを説明できるようになっていますが、まだまだ課題はあります。

その課題の一つが、四つの力の統合です。標準模型は電磁気力、強い力、弱い力という三つの基本相互作用を記述しますが、ここには重力が含まれていません。この課題を解決するためにひも理論やループ重力理論などが提案されていますが、未だこれらは実験的検証を得ていません。一方、蓮子とメリーが生きる時代では、つい最近「重力が他の力の統一」されたようです(大空魔術7. )。

我々の未来に、彼女たちは居るのでしょうか。はたまた別の世界線を彼女らは歩んでいるのでしょうか。これからも秘封倶楽部の謎が明かされるのを楽しみに待っています。

結局蓮子の書いた論文は何だったのか

結論: わかりませんでした。いかがでしたか?

というのも、例えば実在性の否定云々に関しては、既存の用語の使い方に則る限り、現代の量子論の主流の考え方と合致しており、特に新しいことを言っているわけではないです。

一方、「確率論の崩壊」については謎です。確率論は現在までずっと物理学を支えてきています。その崩壊とはどういうことなのでしょうか。

そして古典量子論復古主義、これは現代のわれわれの世界には存在しない用語です。メリーが名付けただけなのか科学世紀の物理用語として普及しているのかはわかりません。

この世は全て場の干渉だった、というセリフについては、もしこのが現在の標準模型の場を指すなら、主張として理解できなくもないです。ただこの場が具体的に何を指すのか分からないので、もしかしたらもっとすごいことを言っているのかもしれません。

当然、異界についての言及はお手上げです。

こうして振り返ると、物理に関する内容だけでも、七夕坂夢幻能の解釈には無限の可能性があります。現代の用法とは異なった意味で物理用語を使ったとしても、「いやこれは蓮メリが居る世界線での話だから」と言い張ればいいということを、他でもない公式が教えてくれているのですから。フォロワーのみなさまにおかれましては、あまり気にしすぎずに二次創作をしていただきたい所存です。その際に、幣記事が少しでも役に立てば幸いです。






おまけ

蓮子とメリーはdisentangleしたのか?

本文では単語単語を取り上げてばかりだったので、一部分だけストーリー解釈をしてみます。最後のページにおける蓮子とメリーのやり取りをご覧ください。

「もし、私が助けに行かなかったらメリーはどうなってたと思う?」
「普通に午前十時になって、何も起きなくてそのまま旅から帰ってたと思う」

七夕坂夢幻能

これ、「もつれ」の話だと思いませんか? 

作中で実際に実現したのは、

  • メリーが異界に飛ばされる

  • 蓮子が探しに来る

という結果である一方、会話の中のifで語られたのは

  • メリーは異界に飛ばされない

  • 蓮子は探しに来ない

という結果です。本来、この他に

  • メリーが異界に飛ばされる

  • 蓮子は探しに来ない

などの可能性があるはずですが、その可能性を二人ははなから否定する点で考えが一致しています。これはまさに、蓮子が助けに来るか来ないかが、メリーが異界に飛ばされたか飛ばされていないかを決定する、という典型的なもつれ状態といえます。作中で疎遠になった二人は、CDのサブタイトルにあるようにdisentangleして関係が無くなってしまったかのように思われましたが、離れ離れになっている間も実はそのような相関をもっていたのだ……! これはそういう神主なりのウィットなのでは、と私は勝手に疑っています。


手書きの論文……?

作中、蓮子は手書きで論文を書いていました。参考までに、現在の物理学研究の現場における手書きについて簡単に共有しておきます。

まず今の時代、学術論文が手書きで提出されることはありません。普段目にする最新論文は全て電子的に作成されたpdfデータです。修士論文を紙で提出する機会がありますが、そのときももちろん手書きではなく電子的に作成したデータをプリンターで印刷します。なので2. でメリーが言ったように手書きの論文が「時代錯誤にも程がある」というのは全くその通りだ、という感覚です。

では普段の研究も全て電子上でやっているのかというと、そんなことはありません。

人と議論するときはたいてい黒板かホワイトボードを使います。一人で具体的な計算をするときは、大きい紙にペンで手書きをする派とiPadを使う派が半々くらいです。私も研究室の経費で購入したiPadを持っていますが、じっくりと読みたい論文は紙に印刷して、それこそメリーが蓮子の論文にしたように疑問や否定(「は?」などの暴言を含む)を書き込むなどしています。以上は理論系の研究室の話ですが、実験系の研究室でも実験ノートを手書きで取る人が多いと思います。

なお、私は手書きで論文を書いている蓮子というのが個人的に解釈一致なので、内心とても喜んでいます。


注意: 量子スピリチュアル系の詐欺について

さて、今回は八年ぶりの秘封新作でした。

……………………八年ぶり?!?!?

これだけ期間が空くと、本作で初めて秘封倶楽部を知るという東方ファンも多いのではないでしょうか。例大祭の現地に出向かれた方なら実感すると思いますが、現在、東方projectは小中学生のような若い層に人気を広げています。そんな今が秘封倶楽部のファンを増やす絶好の機会といえます。

ですが、そこには一つのリスクが伴います。

というのも、秘封倶楽部シリーズには度々物理学に関する用語が登場します。ブックレットを読む過程で、それらの用語に触れ、興味を持って調べ始める方も居るでしょう。これだけ聞くと知的探求という面で好ましいことに思えるかもしれません。しかし残念なことに、世の中には最新の物理学の難しさ、それを理解したいという人々の欲求に付け込んで人を騙し、洗脳して商売する輩がたくさんいます。ことに今回の秘封新作で主に扱われている量子力学関連の分野はそうした詐欺師の巣窟です。何が言いたいのかというと、東方ファンが量子スピリチュアル系のオカルト商売に取り込まれてしまうリスクがあるのです(※1)

一度YouTubeで「量子力学」と検索してみてください。半分はスピリチュアル系の動画がヒットします。これらを大人が単に創作物として消費する分に好きにすれば良いですが、子供がこれらに引っかかって怪しい著書の購入などに誘導されてしまっては、その子の将来及び人類の科学の進歩両方にとって大きな損失です。

(※1 お前は何を言っているんだ、当の秘封倶楽部がオカルトサークルだろう、というツッコミがあるかもしれません。たしかに秘封倶楽部はオカルトサークルだし、スピ系と言えるし、そのコミュニティは宗教とも言えるかもしれません。しかし秘封倶楽部は詐欺ではありません。

そこで、私が信用していいと判断した物理学関係のメディアをここでいくつか紹介しておきます。

  • 堀田昌寛氏のnote  (量子情報の観点からの物理の見方を教えてくれる)

  • ヨビノリのYouTube (一般向けの説明が分かりやすい)

  • たてはまさんのYouTube (物理とフィクションを切り分けつつ作品紹介をしてくれる)

逆にシ●プリィライフ、T●kumi 量子論、量子力学的 強運チャンネル(量子力学コーチ)などのYoutubeチャンネルはスピ系の説明がなされるため注意してご覧ください。




参考文献

歴史的な流れなどの確認に限りWikipediaを利用しました。物理的な内容については以下を参照しています。

  • 猪木慶治、川合光、「量子力学」、講談社サイエンティフィク

  • J.J.サクライ、「現代の量子力学」、吉岡書店

  • 堀田昌寛、「入門 現代の量子力学 量子情報・量子測定を中心として」、講談社

  • ハンス・クリスチャン・フォン・バイヤー、「QBism」、森北出版

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