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ゴジラ-1.0に見た心の原風景

『ゴジラ-1.0』を観た。
2023年11月3日公開。監督・脚本・VFXは山崎貴氏。
『シン・ゴジラ』以来の国産ゴジラ映画ということもあり、公開前から随分と話題になっていた。

例に漏れず私自身もそれなりに楽しみにしており、公開翌日にウキウキで観に行った。
結果、面白かった。
正直に言うとめちゃくちゃブッ刺さる!という感じではなかったが、普通に面白かったし見応えがあったしゴジラは怖かった。というかよく考えたら私のゴジラに対する想い自体がそもそもそんなもんだったかもしれない。
近年のハリウッドゴジラに対しては内心ウーン…という想いを抱いていた私だが、-1.0はゴジラだ!という感じが強くてちゃんと楽しめた。

そして、とてもとても心に残ったシーンがあった。

※以下、ほんの少しだけ映画のネタバレをします。


私と『ゴジラ』

ゴジラという映画

先ほど少し述べたが、私のゴジラに対する感情は”人並み”だと思う。
日本の誇る大怪獣として、もちろん存在は知っている。いくつか映画も観た。
観た記憶があるのは「vs. ビオランテ」「vs. ヘドラ」「vs. モスラ(平成)」「vs. モスラ vs. キングギドラ(怪獣総進撃?)」「vs. スペースゴジラ」「ファイナルウォーズ」「シン・ゴジラ」そして初代の「ゴジラ」。あとハリウッド作品のやつをちょこちょこ。
こうして羅列すると思ったより観ていて自分でもちょっとビックリしたが、大半を子供の頃に見ていてあまり記憶に残っていない。内容をそれなりに覚えているのはビオランテとファイナルウォーズとシン・ゴジラ、それと初代の『ゴジラ』くらいだ。
映画作品として純粋に好きだと思えるのは、シン・ゴジラと初代ゴジラくらい。他の作品は決して嫌いではないが、そんなに刺さることもなく普通に消化した、という感じだった気がする。
特に初代の『ゴジラ』は観たときの衝撃がすごかった。私の初めて見た白黒映画。世の中に「ゴジラ」という概念が存在しない、戦後間もない日本でこれだけの作品が作られたことにものすごい感動を受けた。
当然ながら今に比べれば画質も音質も悪く、見づらい部分もある。だがそれを逆に活かすような画作り、雰囲気作り、映像の迫力、どれもがすごかった。
ちょっとSF要素の設定が甘い部分はあるのだが、そこはまあご愛嬌。
そんなわけで、初代のゴジラに関してはかなり強い思い入れはあるものの、ゴジラ映画全体に対して抱く感情は人並みかなあというところだ。

ゴジラという怪獣

ただ、「ゴジラ」そして「怪獣」という存在に対してはもう少し強く思うところがある。
幼い頃、ゴジラは映画を観るよりもむしろ「怪獣図鑑」などの本で摂取していた記憶がある。
ゴジラを含む「怪獣」という存在が好きだった。そんな怪獣がたくさん載っている「怪獣図鑑」を見るのが好きだった。近所にやって来ていた青空図書館(車に本を積んでやってくる出張図書館)で毎週のように怪獣図鑑を借りるような子どもだった。
だから映画は見てないくせに、ゴジラシリーズの怪獣はたくさん知っている。だからこそファイナルウォーズは結構好きで、何回か見た記憶がある。図鑑に載ってた怪獣たちが次々と出てくるのは楽しかった。

ちなみに余談だが、ウルトラシリーズの怪獣図鑑やウルトラマン図鑑みたいなやつも好きだった。円谷作品は映像で見るよりも図鑑で見た記憶が強い。
あと怪獣好きが高じて、恐竜好きにもなった。怪獣図鑑と同じくらい恐竜図鑑も読んでた。幼い頃の私は常に恐竜図鑑を持ち歩いていたらしく、今でも当時の私を知る人たちに揶揄される。もう時効だから忘れてほしい。

図鑑に載っている怪獣たちを眺め、説明文を読み、見た目の格好良さや設定の恐ろしさに一喜一憂していた。
私の脳内で大暴れする怪獣たちは、どれも皆強く恐ろしく、畏怖の対象だった。
中でもゴジラは、図鑑に記載された設定だけ見てもいくつか観た映画の中の描写でも、怪獣王の名を欲しいままにする最強の怪獣だった。私の中で。
だからこそ幼い私は、ゴジラにはいっそうの憧れと畏怖を抱き、好きだけど怖いから映画は進んで観ないという選択をしていた。親が観ていたゴジラシリーズのビデオを、背後からこそこそ見ていた。

ゴジラの夢

幼い頃に見た夢なんてほとんど忘れてしまったが、一つだけ、今でも記憶に残っている夢がある。それはゴジラの夢だった。
保育園に通っていた時期に見た夢だ。それはこんな内容だった。

保育園のお遊びの時間。私は園庭でともだちとかくれんぼをしていた。当時よく隠れていた場所があった。園庭の隅にある茂みの裏だ。
だが突然、辺りに警報が鳴り響いた。驚いてその場で身をすくませる私。
保育園のせんせいたちが慌てて皆を呼ぶ。建物の中に入るように指示を飛ばす。でも私は動けなかった。茂みの裏から動けなかった。
恐る恐る振り返る。そこにはいつの間にか、天を衝くほどの巨大な体でゆっくりと歩み寄るゴジラがいた。
ゴジラは私など見向きもせずに、ただゆっくりと歩みを進める。その足が進む先には、保育園があった。みんなが避難した園舎があった。私は動けなかった。その場から動いたら死ぬと思った。茂みの裏から、ただただ進むゴジラを見ていた。見ることしかできなかった。
やがてゴジラは、容赦なく園舎を踏み潰した。みんなが避難した建物を、私が普段歩きながら枯葉でも踏むくらいのノリで、くしゃりと容易く踏み潰した。
ゴジラはそのまま去って行く。私の暮らす町を容赦なく踏み潰して。そこに何の意思も介在しない。ただゴジラの行く手に私の暮らす町があっただけ。派手に暴れたわけでも、放射熱線を吐き散らしたわけでもない。ただ歩く。それだけで、見慣れた景色が崩壊していく。
遠ざかっていくゴジラの背中を横目に、やっと茂みの裏から這い出た私は、崩れ落ちた園舎の前に立ちすくみ、せんせいやともだちたちの泣き声とうめき声ばかりを耳に入れながら、泣き喚くことすらもできずに静かに絶望していた。
そこで目が覚めた。

この夢で見た風景。
『ゴジラ-1.0』で似たような光景が出てきて、とても驚いた。
ゴジラが銀座に上陸したシーン。放射熱線で街を焼き払い、崩壊した銀座の街の中に立つゴジラ。運が良いのか悪いのか生き残ってしまった敷島(演・神木隆之介)は、そんなゴジラを見上げて怒りとも悲しみともつかない慟哭を上げる。
あの瞬間の敷島は、夢の中の幼い日の私だった。
なにもできないまましずかに絶望していた夢の中の私と違って、敷島はその後色々あったが、最終的にはゴジラに敢然と立ち向かっていく。そしてゴジラに一矢報い、最終的にはとりあえずハッピーエンドで物語は終わる。

夢の中の私の絶望を、敷島が晴らしてくれたような清々しさがあった。
でも一方で、ゴジラには人の抵抗など意にも介さぬ、人智を超えた最強の怪獣でいて欲しかったという思いもあった。
爽快感ともやもやと、両方の感情が残るなんとも不思議な映画だった。


瓦礫と化した街に佇むゴジラの背中。これって私だけじゃなく、多くの人が抱え持つ心の原風景だったりするんだろうか。
私にとっては今でもゴジラは、我々の存在など歯牙にもかけぬ、孤高で最強の怪獣王だ。
私の生まれ育った町を容赦なく踏み潰し、通った跡には絶望だけを残し、こちらを振り返ることすらせず悠然と進む背中に、私は今でも畏怖とある種の憧れを抱いている。


(おわり)

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