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「もののけ姫」を映画館で観た

 2020年7月現在、全国の映画館ではスタジオジブリの過去作品がリバイバル上映されている。

 スタジオジブリ作品は私も例に漏れず好きだが、生まれた年などのどうしようもない問題等もあって映画館で観ることが叶わなかった作品がいくつかある。(というか映画館で観たのって「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」くらいかもしれない。薄いファン)

 「もののけ姫」も、そんな「すごい好きだけど上映当時は映画館で観れなかった」作品のうちの1つだ。ジブリの中でもめちゃくちゃ好きな作品で、ビデオは擦り切れるくらい見たし乙事主さまの物真似とか得意だったしイヌ科の生き物フェチという性癖まで植え付けられてしまった。
 そんな「もののけ姫」を、映画館の大きなスクリーンで観ることができる!と知った私は、喜び勇んでチケットを取り、マスクもしっかりつけてコロナ感染対策もばっちりの状態で劇場に赴いた。ちなみに「風の谷のナウシカ」は前々週に映画館で観た。ナウシカも素晴らしかったけれども今はもののけ姫を語りたい。


大人になって観る「もののけ姫」

 先ほど「ビデオを擦り切れるくらい観た」と言ったが、実際そんなに何度も観ていたのは子どもの頃の話だ。ある程度大人になってからは、2~3年に一度観るか観ないかといったくらいの頻度だったとは思う。それでも何度も観てる方だとは思うが。
 で、それほど何度も何度も観ていたにも関わらず、この歳になって改めて映画館で観ることで新たな発見がいくつかあったことに感動した。同時に、「もののけ姫」という作品の完成度の高さに改めて恐れ入った。以下、私が新たに発見した点をいくつか箇条書きで記す。

・スタジオジブリ、"動"物の描写が丁寧すぎる
 何今更なこと言ってんだという感じだが、改めてこれはすごく感じた。すべての人物、生き物、自然、人知を超えたもの、とにかく「動く物」の動き全てに説得力がある。冒頭のシーンから、タタリ神というこの世に存在しない"動"物が出てくるが、蠢く不気味な触手の動き、急速に枯れていく植物の描写、全てに何故か現実味があるのがすごい。本当にこういう存在がいそう、と思わせてくる力が強い。
 あとアシタカやサンのアクションで、実際の人間にできるわけなかろうと思うような動きをすることが度々あるのだが(サンのタタラ場襲撃のシーンや山犬と並走するアシタカなど)、そういうアクションも何故だかあまり違和感を持たない。アニメなんだから、と思うかもしれないが、アニメでも動きに説得力がなければこうすんなりとは納得できない。
 こういう「実際できるわけないけどなんだかできそうに思えてくる」アクションはジブリというか宮崎駿作品ではちょくちょく見る気がする。カリオストロルパンの、めっちゃ助走付けて屋根をぽんぽん飛んで最後壁に張り付いたりするシーンとかもそう。

・言葉遣いや台詞の難しさ
 「もののけ姫」、本編の時代はおそらく室町~戦国時代くらいだと思われる。そもそもこの時代設定に関しても今回初めて確信した(今までぼんやりと戦国時代くらいかな~と思っていた)。というのも、本編でエボシか誰かが「明国(みんこく)の石火矢は~」みたいな発言をしていたことに今更気付いたからだ。明とはつまり当時の中国。中国が明の時代、日本は室町時代である。だからちょくちょく台詞の言い回しが古い。それもあって、昔はあまり意味がわかっていなかった台詞がいくつかあった。
 …なんてことに今更気付いた。そう、今更。逆に、今まで気付いていなくても、全く問題なく楽しめていたのだ。それも改めてすごいと思った。
 なんかこういう、今までさらっと流していたけど、そして流しても充分に「もののけ姫」を楽しむことはできるけど、気付くとハッとなるようなセリフが他にもいくつかあったので思い出せるだけ並べていく。ちなみに台詞はうろ覚えなので間違ってても許してください。

・ヤマトに負けて500年
冒頭のアシタカの村のじーさんが言っていた台詞。アシタカたちが「蝦夷(エミシ)の一族」なのは知ってた。いわゆる昔の東北民。ヤマトは大和王朝のこと。蝦夷の一族が大和王朝に負けたというのは、坂上田村麻呂と阿弖流為が争ったときのことを言っとるのではないかと。これが西暦800年代。つまりこの時点で、「このお話の舞台は西暦1300年頃ですよ」と描写はされていたのだ。初見で気付く人いるのこれ??

・ミヤビな椀だな
ジコ坊が、アシタカの差し出した椀に対して述べた感想。実際、アシタカの差し出した椀は脚が高めで朱塗りの、確かに雅な椀だった。明らかに普通の農民が使うようなデザインじゃない。アシタカは蝦夷の一族の次の村長となるべき立場の人だったらしいので、あの村の中では立場が上の方の人だったのだろう。ということが窺える地味だけど渋い描写だったんだなと気付いた。どうでもいいけど未だにジコ坊の正体がわからない。どういう立場の人なの?

・明日の運び出し(?)の準備に手間取ってね
台詞はめっちゃうろ覚えだがエボシの台詞。アシタカをタタラ場に招き入れて改めて会合した時に言っていたもの。タタラ場は鉄を作り、当たり前だけど外に輸出して金を得ている。その輸出の事務手続きまでエボシ様がやってんの…と、エボシ様の仕事のできる女っぷりに恐れ入った。

・「アカシシに乗った少年が訪ねてこなかったか」「去った」
これはただの私の勘違いなのだが、ずっとエボシの台詞を「さあ」だと思っていて、エボシめっちゃ塩対応するじゃん…と思っていた。ちゃんと問いには答えていたことを今更初めて知った。塩対応なのには変わりないが。

 他にも色々あったはずだが、記事を書くのに間を開けすぎて忘れた。
 言いたかったこととしては、「いわゆる『説明セリフ』のようなものはほとんど無いのに、劇中の台詞および描写でちゃんと説明されている」というものだ。ちゃんと台詞を聞けば、そして知識があれば理解できるようにストーリーが作られている。
 これがちゃんとできている作品というものは実は結構少ないと個人的には思っている。雰囲気重視で全く説がない作品や、説明セリフだらけの作品も世の中には多い。それらを否定したいわけではないが、雰囲気も重視しつつ説明を極力抑えることで物語に現実味が出る。ジブリの評価が高い理由の一つだと思う。


 今まで上記のことに気付かなかったのはお前がバカだっただけじゃんというツッコミは遠慮していただきたい。私がバカであるという事実より、大人になってもまだ楽しめるほど魅力あふれた作品なんだということが伝わって欲しい。

 そして改めて、この歳になって映画館で大スクリーンでもののけ姫を観ることができて良かったと思う。画面の迫力、大音量の劇伴曲、全てが最高だった。

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