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シン・仮面ライダーの感想: 石ノ森先生への激重ラブレター

2023年3月17日公開、庵野秀明監督作品『シン・仮面ライダー』の映画を観てきた。

すごかった。
本当にすごかった。
私の見たかった”仮面ライダー”がほぼすべて詰め込まれていた。

色々と語りたくてたまらなくなったので、あまりまとまってはいないけれど吐き出させてほしい。


私の中の”仮面ライダー”

いきなり自分語りで申し訳ないが、私にとっての仮面ライダー像について少し述べておく。
私の原初の仮面ライダー体験は、おそらく幼いころにビデオで見た特撮番組「仮面ライダーV3」。同時期にウルトラマンやらゴジラやら、そういった昔の特撮番組を親の影響で受動喫煙的に見ていた子どもだった。
少し成長し、思春期ちょっと手前くらいの頃。平成ライダー第一作目として「仮面ライダークウガ」が始まった。クウガはリアルタイムでちょこちょこ見てはいたが、当時の私には話もやや難しく(あと単純に怖かった)、そこまで一生懸命見てはいなかった気がする。平成ライダーはそのあと、アギト、555、響鬼、電王、W、オーズあたりは結構ハマって見た。
だが、ほぼ同時期にTVアニメで放映されていた「サイボーグ009(2001年版)」にはドハマりした。
サイボーグ009の影響で、石ノ森作品に色々手を出し始めた。キカイダー、イナズマン、リュウの道――そして、萬画版「仮面ライダー」。あと仮面ライダーBlackも。

私の中の「仮面ライダー」の印象は、萬画版が芯になった。

悪の手によって不条理に改造され、人ならざる身体と力を無理やり持たされた主人公が、大いに惑い、時に悩みながらもその力を正義のために行使する。一番最初の仮面ライダーとはそういうものだったのだと。

ちなみにほぼ同じくらいの時期に、「仮面ライダーSPIRITS」も読み始めたため、「仮面ライダーSPIRITS」に描かれる昭和ライダー像も解釈の補助にかなり影響したと思っている。

そのあと、特撮TV版の昭和ライダーや映画作品(真とかZOとかJとか)なども見つつ、私の中の仮面ライダー像が構築されていった。



「仮面ライダー THE FIRST」「THE NEXT」の思い出

『仮面ライダー THE FIRST』&『仮面ライダー THE NEXT』©石森プロ・東映

2005年。「仮面ライダー THE FIRST」という映画が公開された。
当時すでにいわゆる「平成ライダー」がそれなりに流行っていた時期だ。そんな時期に、あえて『原点回帰』『漫画版の映画化』を謳い企画されたという。
平成ライダーもそれはそれで楽しんでいた私だが、一方で石ノ森章太郎先生の描き出す寂しさや虚しさ、空っ風の中にふと薫る柔らかさみたいな空気感が今も昔もとても好きで、そういったものを映画館で得られるなら是非見たい!!と強く思い、大いに期待して映画館へと足を運んだ。
結果、「THE FIRST」は面白かった。面白かったのだが。

何かが違った。私の求めていた仮面ライダーとは何かが。
ストーリーもそこまで悪くなかった。新しい本郷猛と一文字隼人のキャラクターも悪くなかった。そこかしこに散りばめられた萬画版要素も良かった。アクションもデザインもカッコよかった。今でも「仮面ライダー」の映画としては好きな部類だと自信をもって言える。
それでも、何か満たされなかった。
もちろん続編のTHE NEXTも観たし、THE NEXTも個人的には面白くて好きな映画ではある(特にリデザインされたハサミジャガーとV3は最高)のだが、それでも何かが足りなかった。

その理由を今改めて考えてみると、おそらくこの二作品が、良くも悪くも「ニチアサの延長」だったこともあるのだろうと思う。
画の撮り方やキャストの演技、アクション、物語の構成など、よく言えば見知った親しみのあるもの、悪く言えば見慣れたもの。あくまで個人的に感じたことではあるが、あまり真新しさは無かった。
とはいえ、THEシリーズは『石ノ森萬画版仮面ライダーの平成ライダー化』という試みというならば充分に成功していたと思っている。ただ、それ以上でもそれ以下でもなかった、というのが私の正直な感想だ。


シン・仮面ライダー(ネタバレ有り)

2023年。「シン・仮面ライダー」が公開された。監督は庵野秀明氏。
私もエヴァは一通り見ていたし、シンゴジもシンウルも楽しく観た。庵野監督の作り出す作品にはそこそこの信頼を置いているので、仮面ライダーもそれなりに期待を抱いて観に行った。

期待以上だった。

私が見たかった石ノ森章太郎先生の描く世界の「仮面ライダー」だった。
もちろん、萬画をそのまま映像化されたわけではない。様々な設定やデザインは現代に合わせてアップデートもしくは改変されており、”新”仮面ライダーでもあったのだが、作品の纏う全体的な空気感がとても石ノ森チックだったと思う。
以下、ネタバレ込みで私が”良い”と感じたところを語っていく。

本郷猛(演: 池松壮亮)

頭脳明晰、スポーツ万能なれどコミュ障、唯一の趣味はバイク。暴力を厭う優しい性格。
「仮面ライダー1号・本郷猛」としては、一見新たな解釈のようではあるが、萬画版にかなり近いと思ったし、こんな本郷が見たかった!と思えたキャラクターだった。というか、こんな絵に描いたような石ノ森主人公って三次元に存在したんだ…!と思った。まずこの時点で好感度が高い。
本郷猛と言えば、どうしてもTV版で初代本郷猛を演じた藤岡弘、氏の印象が強い。藤岡氏の本郷もストレートにかっこよくて好きなのだが、藤岡氏のイメージから脱却した”かっこよくない”シン本郷猛は個人的にはかなり好印象だ。
ちなみに藤岡氏のイメージから脱却した、萬画版に近い本郷猛像というのは先述のTHE FIRSTでもすでに試みられており、コミュ障とまでは言わないが優しく控えめな性格、といった感じのTHEの本郷猛(演: 黄川田将也)もなかなか良かったし好きだった。

本編中、シン本郷はほとんど表情を和らげない。惑い、悩み、憂い、悔い、悲しみに沈み、それらを全て仮面の内に抑え込み、やっとの想いで顔を上げる。そんな雰囲気を感じさせる池松氏の演技が素晴らしかった。後述の柄本氏にも言えることだが、仮面を被っていてもなおその下の表情が伺えるような演技は心底感嘆した。役者ってすごい。
シン本郷はコミュ障という設定(?)だが、それゆえかわかりやすい感情の発露が少ない。彼の胸の内を、我々観客は推し量ることしかできない。
視線を彷徨わせ、唇を震わせ、自らが奪ってしまった命に対して静かに黙祷を捧げる。そんな彼の姿から、内に秘めようとしても滲み出てしまう彼の惑いとつらさと優しさを僅かながら受け取って、シン本郷の持つ優しさと強さを噛み締めていた。
終盤、本郷は「僕は他人がわからない、わかりたいと思う。そのために世界を変えるのではなく自分を変えたい」という旨の台詞を口にする。
自分を変えるという意思、これが彼にとっての”変身”だったのかもしれない。

また、本郷猛の過去が、パーソナルな部分が描写されたことが個人的には結構新鮮だった。
なぜ本郷猛はこれほどまでに優しく、強く、そして人々のためい戦い続けるのか。改造人間(本作ではバッタオーグ)となるまでにどんな人生を歩んできていたのか。今までそこに踏み込んで”本郷猛”が描写されたことが少なかったように思うので、興味深かったし、新しい試みだなと思った。

一文字隼人(演: 柄本佑)

真面目な本郷に対して、少し陽気なキャラクター。一文字隼人はどの媒体でもそんな感じの解釈をなされていることが多いし、本作でもそのような位置づけのキャラクターだった。
シン本郷は先述の通り私の好みではあるのだが、言ってしまえば正直暗いキャラクターだ。色々な面で消極的でもあるし、作中前半で物語の牽引役だった緑川ルリ子がいなくなった後、本郷だけでは物語を引っ張っていく力が足りなかった。
そこに颯爽と現れる一文字隼人。群れるのを嫌い、自由を愛する一匹狼気質の彼が、群れること=仲間を作ることを「好きになってみることにした」と言い本郷を助けに来るシーンは、文句なしに胸が熱くなる展開だった。ダブルライダーが揃うと理屈抜きに「カッッッッケエ!!!!」となってしまうのはもうしょうがない。
演ずる柄本佑氏の飄々とした雰囲気も非常に良かった。こんなん夢女なるわ。映画見た後に心スッキリだ!👍になるのは一文字の功績がだいぶ大きいと思う。
それと本郷より背の高い一文字という絵面が新鮮でツボだった。オタクは身長差に弱い。

SHOCKER

ショッカー周りの設定は、さすがに現代に合わせてかなり改変されており、それがかなり良かったと思う。
この現代において、『絶対悪』というものを定義するのは難しい。昔の子供向け番組ではお約束だった「世界征服を企む悪の秘密結社」というものも、悪く言えばひどく幼稚で浅い存在だ。世界征服が目的として、世界征服をした後にどうするのか?というビジョンが無いと悪としても格が落ちる。
そこでシン・仮面ライダーでは、「悪の秘密結社」を「愛の秘密結社」と再定義してきた。
みんなを等しくそこそこに幸せにするのではなく、大きな絶望を抱えた人を幸福にするための組織。そのためには何をやってもかまわない。そういう選択をする組織。
マジョリティから見たらそれは『悪』であるかもしれないが、マイノリティにとっては『正義』であり『救い』であり『愛』である、そんな組織。
ここは人によるのかもしれないが、個人的には非常に蠱惑的な組織だなと思った。
そんな組織を束ねているのが、現状はAIというのも良かったと思う。人の物差しがそこには存在しないから、われわれ普通の人間が考えたら否定しそうな理念を可としてしまう。それを止める者もいない。
AIには正義という概念も悪という概念もおそらく無い。だから間違ったことを正すことができない。何が間違いで何が正しいのか、それを判断するのは人の持つ倫理観であり、それも各人によって異なり、絶対的な尺度は存在しない。だからこそ"仮面ライダー"という抑止力が必要なのだろう。

SHOCKERのAIたちは、正義や悪と言った概念を、今まさに外界の観察を通して学んでいる最中なのかもしれない。
それらを学んで、より成長したアイやケイは、今後SHOCKERの大首領になるのかもしれないし、キカイダーやロボット刑事になるのかもしれない。

アクション

シン・仮面ライダーで私が一番「うわすご!!」と感じたのは、アクション描写だった。
世間の感想を見てると逆にアクションが微妙だったという意見が多くて驚いているが、私はこの映画のアクションが非常に好きだ。
とても良いなと感じている部分は、ガワの中に実際の演者が入っているという点だ。アクションのプロたるスーツアクターではなく、本郷猛が、一文字隼人が、オーグたちが入っている感のある動き。
確かにモタモタした動きもあったと思う。洗練されていない、スタイリッシュではない。魅せる動きではない。
だからこそ、動きにキャラクター性が強く反映されていて、そんな”稚拙な”アクションが私の心には強く響いた。
元々人を傷つけることを好まない本郷猛が、人を殴り慣れているわけがないのだ。おそらく彼は、ケンカすらほとんどしたことが無いだろう。そんな彼が、華麗に戦うことができるだろうか。
それが強く出たのがチョウオーグ(仮面ライダー0号)とのバトルだと思う。まるで子供のケンカのような取っ組み合い。あれはヒーロー同士のバトルではなく、本郷猛と緑川イチローの全力のぶつかり合いだったのだと感じた。あの嘘のない必死さに、私にはとても心を動かされたし、格好いいとさえ思った。

この「魅せるための格好良さ」をあえて削ったようなアクションの数々が、その取捨選択具合が私は非常に好ましかった。ヒーローのバトルを描写するのではなく、あくまで本郷猛や一文字隼人の戦いを描写していたように感じた。まあさすがにCGアクションではそこまで表現できていなかったと思うが。でも本郷と一文字の一騎打ちピョンピョンバトルはバッタっぽくて好き。
あと、シン・仮面ライダーでは、昨今のヒーロー系アクションでありがちなスローモーション演出がほとんど無かったのも個人的に高評価だった。スローモーション演出、決して嫌いではないんだけど、それこそ「魅せる」に特化した演出な気がして、少なくともシン・仮面ライダーにはあまり合わない演出だろうなと思ったので。
いつもの魅せるニチアサアクションももちろんそれはそれで好きなのだが、別方向からのアプローチのアクションの良さを見せてもらった気がして私の中で新たな扉が開いてしまった。

その他

まだ他にも好きポイントはたくさんある。
緑川ルリ子(演: 浜辺美波)の演技が全体的に非常に良かったこととか、ルリ子さんの絶妙に生々しい女らしさとか、情報の開示のされ方とか、クモ先輩とか、ベルトの風車でなく胸部コンバーターラングで風を受ける仕様とか、ヒロミとルリルリとか、ところどころの1枚絵になりそうなカットが実に石ノ森的だったところとか、本郷と一文字のやりとりとか、そこかしこに仕込まれたイースターエッグ要素とか、エトセトラエトセトラ。

完全無欠の映画、というわけではもちろん無いが、それは各々『仮面ライダー』というものに対するイメージや概念が異なるから埋めようがない差だと思っている。だがそうであっても、シン・仮面ライダーは私とかなり解釈が近い作品だった。
そう言う意味で、心の底から見て良かったと思える映画だった。



なんか他にも色々言いたいことがあったはずなのだが、ぱっと出てこないのでとりあえずここまでにしておく。
散々ネタバレで喋ってしまいましたが、まだ見てない方はぜひ劇場で。


最後に

この出渕さんのコメントにメッチャクチャ同意した。
とてもわかる…!!シン・仮面ライダー、楽しみ方が「逆シャア」のそれなのだ。個人的に。
作品の方向性としては異なるが、各カットに込められた情報量が非常に多くて、観るたびに新たな発見と新鮮な驚きがある。この記事を書くまでにもう4回ほど観ているが、まだ楽しめる。そういう意味ではとてもハイコンテクストな作品かもしれない。
シン・仮面ライダーも逆シャアのように、人生の節目節目で定期的に見返したい作品になるのかもしれない。なるといいな。逆シャアは誇張抜きで人生で10回以上は見てる。映画館では観れなかったけど。


(おわり)

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