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特攻文学としての《ゴジラ-1.0》|第14回|井上義和・坂元希美

【番外編 1】安倍元首相の国葬を「語られた言葉」から考える

国家として弔うべきなのは総理経験者だけではないはずだ

(取材/構成:坂元希美)

 2022年9月27日、国民の賛否が激しく割れる中で安倍晋三元首相の国葬が営まれた。第二次世界大戦後では1967年の吉田茂元首相以来、2回目の国葬である。会場の日本武道館周辺では、献花に訪れる人たちの長蛇の列と「国葬反対」「弔意の強要をやめて下さい」等のサインボードを掲げた抗議デモが交錯した。

 著書『未来の戦死に向き合うためのノート』『特攻文学論』で、国に尽くした将兵や自衛官の死とその受容について問題提起をしてきた社会学者、井上義和氏に今回の国葬について話を聞いた。(取材日:2022年9月29日)

どのように行われ、何が達成されるのかが問われる国家行事

 
――55年ぶりに国葬が実施されました。

井上 私は日本の「過去の戦争における戦死」と、「未来にあるかもしれない自衛官の戦死」について研究してきました。その根底には、「公に尽くした死者を社会の中でどう位置づけたらいいのか」という問いがあります。「公の死者」の究極が、国のために戦い斃れた戦死者ということになります。もっといえば、こうした存在をどう受け止めるべきかについて、戦後社会は考えることを避けてきたのではないか、という問題意識があります。
 
 安倍元首相は現職の国会議員で、選挙演説中の白昼に殺害されるという思いもよらない形で突然の死を迎えたわけですが、その公的な弔い方について、政府も国民も双方が混乱する事態になりました。戦死者だけでなく、「国家に功績のあった」政治指導者の死についても、それをどう受け止めるべきか、私たちの社会は考えてこなかった。それがあらわになりました。

――毎日新聞が直前の9月17、18日に実施した世論調査では、反対が62%、賛成27%と国葬に反対する人の方が多くなりました。

井上 内閣・自民党合同葬であれば、これほど激しく賛否が分かれることはなかったでしょう。しかし、政治においては、世論が割れていても指導者の責任で前に進めることがあります。総理大臣経験者を弔う儀式を国家全体の行事とするからには、どのように行われ、何が達成されるのかが問われます。
 
 安倍氏の国葬実施は、法的な根拠も決定の過程にも危ういものがありました。55年前の吉田茂氏の国葬では、慎重に事を運び、各方面に相談して調整、根回しをした上で実施したことと比べると、今回は決定までのプロセスもその後の運び方も「場当たり的」であったと感じます。

 本来であれば、人が亡くなった時にどんな儀式をするのか、どんな範囲で人を集めてどんな意味づけをするか、その儀式のためにどういう手順を踏んで合意を取り付けるかなど、実現させていくための通すべき「筋」があると思うのですが、それが今回はまったく見えなかったからでしょう。

 冠婚葬祭の儀礼には、人びとを集めて関係を結びなおし、共同体を活性化させる「節目」の役割があります。とりわけ政治家はそうした機微をわきまえて冠婚葬祭に関わり、支持者の心をつなぎ止めたり、共同体の維持を図ったりしてきました。自民党はこうした関わりを特に重視してきたはずなのですが。

もはや感動でひとつになる時代ではないと思われたが……


――死に関する儀礼には、悲しみや惜別といった感情が含まれる割合が多いと思うのですが、反対側からは「弔意の強要」や「感情の動員」と忌避する声も大きかったですね。

 井上 国葬の本義は、日本国家に尽くし功労があった人に対して、国民全体で弔意を示すものですが、今ほど人々の感情をひとつの方向に持っていくのが難しい時代はないでしょう。安倍氏はまだ60代後半、最低でもあと10年は現役の政治家として活躍できたはずで、やりたいこと、やるべきことがあったのにああいう形で亡くなったのは気の毒だ、残念だと偲ぶことは野党でも反対派もできるはずです。

 そういった気持ちの行き場を形にして与えるのが国葬の最大公約数でしょうが、多くの人がさまざまな感情を載せた言葉をリアルやSNSで語り発信し、もはや心配しなくても「弔意の強要」や「感情の動員」は不可能な時代ではないかと感じました。

国葬当日(9月27日)に行われた反対デモの様子
photo by Nux-vomica1007

――実施された国葬を見て、どのように思われたでしょうか。

井上 合同葬や国民葬でなく、国家の行事として国葬をするからには、自民党政治に批判的な人をも包摂する言葉が語られる必要があり、岸田文雄首相が故人と国民全体が見ている前で何を言うのかが国葬の肝になると考えていました。

 ただ、正直なところ、感動は起こらないだろうと思っていたのです。葬儀委員長を務める岸田首相の「追悼の辞」に始まり衆参両院議長と最高裁長官が定型の言葉を述べたところまでは、そう思っていました。
 
 ところが、最後に、友人代表の菅義偉前首相の弔辞がある種の感動を巻き起こしましたね。これには驚きました。

友人代表の菅義偉氏(写真は2020年撮影)

 岸田首相は、故人の業績を紹介し、どういった考えのもとにこれからの日本や世界の土台を作ろうとしたかという文脈を示しました。安倍氏が着手し築いた様々な土台は必ずしも完成しておらず、不十分なところや直すべき点もあるだろうが、遺志を継いで自分たちがもっと良くしていく使命があると誓ったわけです。総理大臣・葬儀委員長としては模範的な演説だったと思います。私が事前に想像していたのもこれに近い。安倍氏とは同期でもあり、個人的な思い出はたくさんあるでしょうが、それには触れなかった。
 
 そこを補完したのが友人代表・菅氏の演説で、もっぱら個人的な思いを恋文のように連ね、一対一の関係で語った。どちらも安倍氏からバトンを受け継ぐという内容だけれども、菅氏は「あなた」「総理」と呼びかけて二人だけの世界を語ったことで、逆説的に多くの人の心に刺さった。弔いの言葉としてはこちらの方が強力で、本来の“お葬式”になったと感じましたね。
 
 国葬における「追悼の辞」は、1番手の岸田首相と5番手の菅氏をセットで考えた方がいいのかもしれません。あとから振り返ってみれば、じつによくできた役割分担です。

 岸田首相が多様な人々を未来に向けて包摂しようとする言葉を語ったのに対して、菅氏は「この私」と「あなた」の魂のやりとりを何のてらいもなく語った。私が2つはセットだと考えるのは、未来志向の包摂の言葉はどうしてもキレイごとになり、ともすれば空々しく聞こえますが、そこに命を吹き込むのが、「この私」がバトンを託されたという身体の芯に響く感覚だからです。この2つを両立させるのは、「国民の代表」ひとりの演説のなかでは不可能でも、「友人代表」と2人で役割分担すれば可能になります。

――本来のお葬式といいますと?

井上 お葬式というのは、その人が死んでしまった、失われてしまったという事実に対して、言葉にならないさまざまな想いを抱える人びとが時間と空間を共有することで、気持ちを次の段階に切り替える、すなわち日常に戻していくための「ハレ」の儀式です。

 菅氏の友人としての赤裸々な言葉が人々の涙をさそい、会場では拍手が起こりました。あの瞬間、人びとは国家儀礼であることを忘れ、本来のお葬式に立ち会っている感覚になったはずです。

――菅氏の演説は、どうして「刺さった」のでしょうか。

井上 政治とは一人で完成するものではありません。先輩が手を付け、自分が引き継ぎ、いろんな人の力を借りながら少しずつ前に進めていくものです。

 新渡戸稲造や山縣有朋といった明治から大正時代に活躍した思想家、政治家の言葉を引用したのも、先人たちの努力、土台を継承してきたという自負の表れだと思います。安倍氏が継承し、築いた土台に、自分たちもコミットしていくことを岸田首相は誓いました。
 
 菅氏は二人だけの関係の中で魂を受け継いだと語り、山縣有朋が暗殺された伊藤博文を偲んだ短歌「かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」を引用して、君が亡き今どうしたらいいのかと、未来については空白にした。

 菅氏は総理職も務めた後で73歳と高齢ですから、自分が継承する立場にはないというのもあります。「今より後の 世をいかにせむ」との空白が、聞いた人たちには「未来は自分たちに託された」感じを与えたように思います。

国家が弔うべき存在は政治家だけではないはずだ

 
――国葬として成り立ったでしょうか。

井上 その場でどんな言葉が語られ、聞いている人の気持ちにインパクトを与えたかという観点からいえば、ハレの場にはなり得たのではないでしょうか。しかし、二か月半にわたる国葬騒動を見てきて、実施するために通すべき筋は見えず、受け止める国民もどうしたらいいのかわからず、メディアも含めて右往左往したという印象のほうが強い。人が亡くなってから弔いの儀式について議論するのは難しく、見ていてもつらく感じました。

――今後、国葬の基準や運用について議論されるでしょうが、その際には何が必要になるでしょうか。

井上 日本国家に尽くし功労があった「公の死者」の追悼の儀礼を考えるのならば、政治家だけでなく、自衛官のことも考えるべきだと思います。もし戦死者が出たらどうするのかという問題はこれまでも提起されてきましたが、国会でまともに議論されたことはありません。現在、職務中に亡くなった自衛官は殉職扱いで、防衛省主催の追悼式が関係者だけを集めて敷地内で行われていますが、これは国家儀礼ではありません。

防衛省市ヶ谷地区のメモリアルゾーンにある殉職者慰霊碑
photo by Odoru Haniwa

 日本が外国に攻め込まれるなどして出動した自衛官が戦死した場合は、国家の命令による任務で命を落としたのですから、国家がその死を受け止める責任があるはずです。これまでのような防衛省関係者だけの追悼式と同じであっていいはずはありません。

――つい総理大臣経験者などの政治家の基準を定めることを考えてしまいますが、国に尽くし、文字通り命をかける自衛官という存在は見えにくくなっていますね。

井上 軍隊をもつ国々では戦死者が出た場合の儀礼は決まっていて、混乱もなく淡々と行われ、遺族もその死を受け入れて喪に服すことができているでしょう。日本では、いざ戦死者が出たとしたら「戦争の美化」や「弔意の強要」を巡って、またしても国論を二分する騒動が起こるでしょうが、死者を前にこうした議論をするのはつらいし、みっともない。
 
 平和な時にきちんと議論して決めておかなければならないことです。国葬の基準や運用を考える機会に、「未来にあるかもしれない自衛官の戦死」も議論の俎上に載せてほしいと思います。
 


 次回は番外編の第2弾をお送りします。安倍元首相国葬の混乱を受けて、政府は国葬儀に関する明確なルールづくりを検討するとしましたが、結局は何も変えないこととなりました。それで公のために尽くして亡くなった人を弔うことはできるのか――。

どうぞお楽しみに!


◎著者プロフィール

井上義和:1973年長野県松本市生まれ。帝京大学共通教育センター教授。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程退学。京都大学助手、関西国際大学を経て、現職。専門は教育社会学、歴史社会学。

坂元希美:1972年京都府京都市生まれ。甲南大学文学部英文科卒、関西大学社会学部社会学研究科修士課程修了、京都大学大学院教育学研究科中退。作家アシスタントや業界専門誌、紙を経て、現在はフリーのライターとしてウェブメディアを中心に活動中。がんサバイバー。

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