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言葉だけじゃ愛情は測れない。−祖父との思い出−

子どもを連れていると、60代70代の方から話しかけられる確率がグッと上がる。

皆さんかわいがってくれるスタンス。

「子どもって希望なんだな」と思う。

かつての自分がそうだったように。
そんなこと考えていたら祖父のことを書きたくなった。

私は1才の時に父を亡くし、母とともに祖父母の住む水戸へ引っ越し、そこで育つことに。

祖父は、紳士服の仕立て屋を営んでいた。
オーダーメイドでスーツを作る、テーラー。
かつては弟子を何人も抱えて、寝る間もないくらい繁盛していたらしい。


でも私が生まれる頃にはだんだんと、スーツはオーダーではなく「量販店で買うもの」に変わりつつあり、斜陽産業化してしまう。

時代の流れとはいえ、仕事が大好きな祖父にはつらかったのではと思う。

少しずつ仕事が減っていき、祖父自体も長年アイロンやミシンで酷使した手が曲げにくくなるなど老いを感じていただろう。

その、少しずつしぼんでいくようなある日、突如娘と孫との生活が始まったのだ。

祖父のことだ、自分を奮い立たせたんじゃなかろうか。
まだ今より母子家庭の数が少ない時代、娘と孫にこの先どんな苦労があるかわからない(ちなみに祖父も母子家庭育ち)。
婿さん(私の父)の無念を引き継いで自分が父親代わりになる、と。

だからか、私には比較的厳しかった。

祖父は、娘(私の母)に対しては甘々な父親だったようだが、孫の私には全く違っていて。

じいちゃんはいずれ先に死ぬ。だからしっかりしなさいよ!」は幼い頃から何回聞いただろうか。

さらにドンピシャなタイミングで、私の甘いところを指摘して自分で考えさせるようなことも。

高校時代、部活ばっかりで全く勉強しなかった時期に「そこに座れ。このままでいいと思ってるのか?」とだけ言われた時は、反省するしかなかった。

「かわいいなぁ」と言われた記憶はないけれど、祖父がいてくれるという絶対的な安心感がいつもあった。

常に先を見越していて、必要とあらぱ新しい技術や考えも取り入れる柔軟な人でもあって。

例えば、食の優先順位が低くて、没頭するとご飯の時間を忘れがち(&作るのをめんどくさがり)な私を心配し、当時迷っていた食事付き寮への応募を後押ししてくれたり。

また、寂しがりやの母が私に四六時中電話をかけていたら学問の邪魔だろうと、携帯を買ってメールでやりとりするよう母に諭してくれたり(自分は携帯なんて使ったことないのに)。


「おじいちゃん、大正生まれなのにすごいなぁ」と思っていた。

無理な話だけど祖父があと20年、30年あとに生まれていたら、ウェブを使ってこだわりの紳士服作りを続けるお手伝いができたのでは?と妄想することもある。


先日、祖父の19回目の命日だった。

そんなに経つのに、頭の中では今も祖父と会話できるような、会話をすぐ思い出せるような感覚がある。
それほど大きな存在だった。


もう40を過ぎた私に、母は「あなたはおじいちゃんとおばあちゃんと私に幸せな時間をくれたんだよ。」と言う。

子どもの私という存在が、しぼんでいくばかりに見えた生活を照らせたのなら嬉しいな。

でもそんな、照れくさい言葉のやりとりが祖父は最も苦手なので「馬鹿言ってんじゃないよ、そんな昔のことより子育てがんばりなさいよ!」と発破をかけられる気がする。

そして今現在。
祖父と同じように照れくさい言葉のやりとりは絶対しない人を夫に持つとは…。

夫も子どもたちに「かわいい」と言ったこと、ない気がする。

私自身は書くことが好きだし、どうしても言葉を重視しがち。

でも、言葉も大事だけど、愛情はそれだけじゃない。
祖父をいっぱい感じたら、大切なことに気づいた夜。



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