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シリーズ「二十歳の頃」

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現代新聞論ゼミ(近畿大学総合社会学部)の2年生(2023年度)が、年上の知り合いに二十歳の頃はどういう生活をしていたのかを尋ねたインタビュー集です。立花隆さんの東京大学ゼミ生が手… もっと読む
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記事一覧

「二十歳の頃」№15 母の友人にきく

インタビューしたのは、私の母の大学時代の友人で、私自身も幼い頃から知っている女性である。…

「二十歳の頃」№14 大叔父にきく

私の大叔父は1952年生まれの71歳。近所に住んでいるので、幼い頃からお世話になっていました。…

「二十歳の頃」№13 母にきく

私がインタビューしたのは母、松尾律である。1975年愛媛県松山市に生まれる。母が20歳の時は19…

「二十歳の頃」№12 母にきく

母にインタビューした。高卒で二十歳の時は会社勤めをしていた。メンタルは弱いけど、気の強い…

「二十歳の頃」№11 友達にきく

私は、友達にインタビューした。明るく元気で活発に行動する男性である。1992年、大阪府堺市に…

「二十歳の頃」№10 伯母にきく

インタビューしたのは、私の伯母。20歳の頃は1995年。現在、私立高校の社会科の教員をしていま…

「二十歳の頃」№9 母にきく

インタビューしたのは私の母。はっきりした性格で、うそが嫌いで真っ直ぐな人です。母の二十歳の頃は、今から34年前の1989年。1月7日に昭和天皇が崩御し、皇太子明仁親王が第125代天皇に即位。新元号は「平成」と決定し、小渕恵三官房長官が記者会見で発表した。(聞き手・K.I.=2年) ――二十歳の頃は何をしていましたか 就職して1年目で、歯科衛生士として歯科医院に勤務していました。歯科衛生士になれたことがうれしく、楽しく仕事をしていました。専門学校に通っていたのですが、学校で

「二十歳の頃」№8 通っていた塾の元先生にきく

インタビューしたのは、私が通っていた塾の講師をしていた32歳の男性。講師をしていたのは大学…

「二十歳の頃」№7 恩師にきく

インタビューしたのは、中学3年の時に担任だった社会科の先生。警察官から学校の先生に転職し…

「二十歳の頃」№6 祖父にきく

祖父は兵庫県西宮市で生まれ育つ。75歳。関西大学法学部卒、東急系列の企業に勤め、今は無職。…

「二十歳の頃」№5 祖母にきく

私の祖母、西村妙子は声が大きい。家のどこにいても声が聞こえる。友達が多く、ほとんど毎日誰…

「二十歳の頃」№4 母にきく

私の母は1968年、東京都品川区で生まれた。思春期は和歌山で育ち、大阪の大学に通ってそのまま…

「二十歳の頃」№3 父にきく

インタビュー対象は父。建設会社に勤め、単身赴任で日本を縦横に移動しているため、あまり顔を…

「二十歳の頃」№2 祖父にきく

私の祖父、岡﨑勝治は1940年生まれ。半世紀以上前の話が聞けるということと、私が通学で使っている南海電鉄で働いていたので興味が湧き、インタビューした。祖父は温和でまじめな性格だ。(聞き手・岡﨑友貴=2年) 二十歳のころ何をしていたかよな? 難波の南海電鉄で働いていた。仕事内容は、難波の駅ホーム全体と、高島屋と南海会館の電気、暖房、水道の管理、修理、点検、循環。そんな仕事をずっとやってたよ。 ――駅の建設というより完成した駅に関わる仕事? そうそう。南海電気鉄道株式会社の