社会学とは何か?(1)…『社会学講義』(橋爪大三郎他)読書ノート

 今日は、『社会学講義』(橋爪大三郎/大澤真幸 他著)に依拠しながら「社会学とは何か」についてまとめていきます。
 本書は社会学のアウトラインを明らかにしようとするものであり、前半部では橋爪大三郎による「社会学とは何か(定義)」と大澤真幸の理論社会学の説明により、社会学それ自体を考える過程が論じられています。後半部では、若林幹夫の都市社会学、吉見俊哉の文化社会学、野田潤の家族社会学、そして佐藤郁也の社会調査論で締められています。全体の流れとしては、社会学の定義➡個別領域の紹介➡方法論、の順で書かれているといった感じでしょうか。
 感想としては、「これは初学者にはハードルが高すぎるのでは!?」といったところ(冒頭には「社会学の入門書としてはぴったり」と書かれているのですが…)。初学者にはおすすめしません…。特に大澤真幸の理論社会学は、一通り社会学を学んだ私がやっと追いつけるレベルの難解さでした(初学者へのおすすめは最後に載せておきます)。初学者よりも、ある程度社会学を学んだ大学生が復習として読む…ぐらいの位置づけがちょうどいいのではと思います。

 このnoteでは、『社会学講義』において橋爪が「社会学とは何か」を論じる過程を追いながら、彼の社会学の定義を読解し、私の考えたところを述べます(この書籍に関してですが、収録されている大澤真幸の理論社会学、そして佐藤郁也の社会学についても、いずれ扱いたいと思っています)。

★社会学とは何か…橋爪のアプローチは「背理法」

 橋爪は、社会学を「社会学ではないもの」を定義することによって明らかにしようとする、背理法的アプローチで考えます。まず、”社会科学”という領域でくくられている学問(政治学、経済学、法学…)などを挙げ、それらは特定の領域を専門として社会を捉えている、と主張。これらの学問は社会を対象に考え、”社会の中で”それぞれの領域を研究している学問なので、「社会科学」という領域に分類されているのですね。
 橋爪によると、他社会科学と社会学の相違点は、政治学が政治における社会を扱うのに対し、社会学は「他社会科学が一度無視したものを含め、全体的な目で社会を捉える」…社会全体を対象にする、というところにあるということです。

 では、さっきから頻発されている”社会”って何を指すのよ?と言うと。
 橋爪は、「社会=人間関係」であると捉えています。

 つまり、政治学は”政治における”人間関係を扱い、そこにある政治以外の要素は捨象(無視)します。経済学も、”経済における”人間関係だけに注目し、そこに入り込んでくる経済以外の要素は捨象します。一方、社会学は”社会(=人間関係)を扱う”学問なのだから、特定の領域に囚われることなくすべての人間関係を学問の対象とするのです。橋爪の言葉で言うと、「社会学は、(中略) (人間)関係のもっとも一般的なあり方を研究しようとする」(p20) 学問なのです。

 もちろん、こうした見方に反対する社会学者もいます。例えば森山和夫(奇しくも橋爪と同じ1948年生まれです)。彼は社会を「人々が意味付けた主観的世界の集合」と捉えていて、人間関係よりももっとあいまいな、「人間一人一人が解釈した、自分が意味付けした世界」が集まったものが社会であると考えています(『社会学とは何か―意味世界への探究』(森山和夫))。このように、社会をどう定義するかについては、論者の間でも意見が様々あります。私個人の意見としては、ジンメルの相互作用論が最も腑に落ちたということもあり、橋爪と同じように「社会=人間関係」と捉えているところが多いです。

 橋爪の社会学の定義に戻りましょう。橋爪は社会学と社会を上記のように定義した後、社会学の発展段階を以下の3段階で考えました。

①あるべき(理想の)社会を考える・・・社会契約論の時代
②理想ではなく、現実の社会を分析して捉えようとする・・・実証主義者(コント)、社会有機体説(スペンサー)
③社会を「要素」(ミクロ)と「全体」(マクロ)の関係で捉えようとする・・・ジンメル、デュルケム、ヴェーバー ☜社会学の始祖と考えている
(これに続く系譜として、「要素」ー「全体」をシステム論にまで推し進めたパーソンズ、それへの反論として出てきた意味学者、などが紹介されている)

 一応社会学の創始者はオーギュスト・コントということになっているのですが、社会学のテキストでは彼は「社会学」(Sociology)という言葉を生み出した人ですと説明されていることが多いです(コントはフランス人なので”Sociologie”と言いました)。社会学成立の原点としてコントを挙げ、マルクスの思想を紹介したのち、ジンメル・デュルケム・ヴェーバーを紹介…という流れが多いかな。

 このコントの思想、私の周りの社会学を学んでいる友達内では「あー社会学の創始者ね。…うーん、で、何した人だっけ?」という残念な認識をされており、たいへん影が薄い(苦笑)人物ではあるのですが…。その思想はたいへん面白いもので、彼は晩年に「人類教」という、若干アドラーの共同体感覚に似た考えの宗教を作ったりなんかしています。この話はいずれ。

 社会学の発展段階を先ほど紹介しましたが、「それでは現在の社会学はどういった問題を扱い、何が主流なのか?」ということが気になりますよね。経済学でいえば、アダム・スミスの自由放任主義~マルクス~ケインズ…といった、主要となる理論や考え方があります。これが社会学にもあるのでしょうか?
 結論からいうと、「ほぼ無い」といっても過言ではないでしょう。
 
どういうことかと言うと…。パーソンズが「構造-機能主義」という、社会全体に普遍的に適用できる「システム論」というものを提唱し、それへの批判が噴出して以来、全社会学者を納得させるような、社会の仕組みに関する(※1)社会学の理論はでてきていないのです。
 ”社会”の考え方には、大きく分けて2つの立場があります。1つは「社会は個人の集合体である」というミクロ的立場、もう1つは「社会という大きなものがあってそれが個人に影響を及ぼす」というマクロ的立場です。これら両方の立場を統合し、社会がどのような仕組みで成立しているのかを説明できる理論は、ほぼ提示されていないと言っていいです。

 橋爪は、これについて現在の社会学は「理論の面が立ち遅れている」(p48)と指摘。パーソンズのシステム論は(詳細は省きますが)、社会で生きている個人の意志や目的をいったん無視し、「社会の中のあるカタマリ(例えば、学校や政府など、ある程度の大きさを持った社会というカタマリ)が歯車のように動かし合って社会を構成している」と考えたので、個人の意志や目的を重視する社会学者から多くの批判が出ました。そしてこうした社会学者は、個人を出発点とした社会学を始めます。すると、個人はまさしく十人十色で、個人を追おうとする研究方法がたくさん生まれ、個々別々の研究成果が生まれます。こうして、社会学全体を貫通する理論に目を向けるより、一つ一つの個別事例が積み上げられてきて、現在の社会学に至るのです。

 現代は多様性の時代でもありますし、一例で説明できることを他に応用することを止めようとする空気もあります。マードックの核家族普遍説(簡単に言うと、全ての家族は核家族のユニットで説明できる)が、「西洋の価値観を普遍とするなんて!」という批判を受けたように、一例を全体に押し広めることに慎重にならざるを得ないのが最近の傾向のように思います。

 橋爪の社会学の定義から社会学について考えてきましたが、次回も、この『社会学講義』の中からトピックを選び、書いていきたいと思います。

 最後まで読んで下さり、ありがとうございます。次もお楽しみに!

★社会学を一から学びたい人におすすめ
・『大学4年間の社会学が10時間でざっと学べる』(出口剛司)、KADOKAWA
・『社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像』(田中 正人、香月 孝史)、プレジデント社
・『寝ながら学べる構造主義』(内田樹)、文藝春秋

参考文献
『社会学講義』(橋爪大三郎/大澤真幸ほか)、ちくま新書
社会学とは何か―意味世界への探究(盛山和夫)、ミネルヴァ書房

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