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体癖話まとめ(88)

体癖について、私ソシャフィアがTwitterでたまにタイヘキスト仲間たちが言っていたことをそのまま自分の言葉のようにパクってツイートしている【体癖話】をまとめたシリーズ、第88弾!

今回もツイートにコメントをつけてお送りいたします。

ダイエットに勤しんでおります。

去年の10月にソシャフィア体癖院を正式オープンし、忙しさのあまり食事がおそろかになり、だいぶ太ってしまったのです。。。
特にここ最近は、普段の施術やnoteに加えて、体癖診断士を養成する講座の契約書の作成とか、様々なセミナーの準備もあり、疲れて食事を作るのが面倒くさくなって、八種のくせについつい楽な方に食事を摂ってきてしまい…

冷凍食品、カップラーメン、ファストフード、近所のお肉屋さんの揚げ物、コンビニやスーパーのお弁当…
それに100円ローソンの100円で売っている冷凍チャーハンにはかなりお世話になりましたね。

便利なものは、太る。
そればかりでなく、体に良くないものも多いですよね。
美味しさと便利さに全振りしていますからね。

それを振り切ってまで、なんで痩せようかと思ったかと言うと、整体。

整体の施術は、行使する技術だけでなく、施術者本人の魅力も効果が作用するのです。
魅力的な人とそうでない人とでは、お客様の信頼の深さが違っています。

「こんなステキな人から施術を受けている”私”」にフォーカスしていただくのです。
特に三種や四種に対しては、この視点は重要かと思うのです。
満足感に直結します。

それだけでなく、信頼の深さは筋肉の硬さに影響します。
信頼が得られていない状態では、受けている方が「この人は敵だ」と体が無意識に防御体制をとるようになるのですね、生理学的に。
それでは何をやっても効かない。
極論を言えば、誰でも凄腕として知られているカリスマに施術をしてもらえば、どんな症状も軽くなるわけですよ、八種以外は(笑)

お客様にとってさらに良い施術にするためには、さらに良い自分になる必要があるのですね。
外見も内面も。

太っている人がかっこう悪い、というわけではないのです。
太っていてもそれが安心につながって信頼が深まる人もいますよね、十種とか。
そういったのも体癖と関係があるように感じます。

が、私のキャラクターでは太っていてはいけないのです。
ズバズバと人の心を切り裂く八種九種ですもん(笑)。
シャープでいなきゃ。

そんなわけでダイエットをしているわけですが、私が選択したダイエット法は、ナチュラルハイジーン。

ナチュラルハイジーンはダイエット法というよりは、ライフスタイルなんですけどね。
思想がたっぷり。
私は思想の部分より、この方法が気に入っています。

10年くらい前に実践したら、この方法でかなり痩せたのです。
一ヶ月で10kgほど落ちました。

体調も良くなり、何より、私にとっては苦行じゃない。
お肉やお魚をおかずにご飯が食べられないだけです。
納豆ご飯とシソ入りワカメご飯ばっかり食べていました。
お肉やお魚はご飯やパンなどの炭水化物を一緒に摂らなければ食べられますし。
大量の生野菜を摂る必要があるのですが、トマトやきゅうりを丸かじりにして、アボカドをワサビ醤油で食べていれば大体足ります。
朝は果物だけは食べてよくて、梨とかリンゴを丸かじり。

ちょっぴりエンゲル係数は高くなるけれど、高いプロテインとか飲んでスポーツジムに通うよりは安いですね。
っていうか、ジムに通う時間があるなら本当はそっちにしたいんですけどね。

詳しくは『フィット・フォー・ライフ』という本をお読みいただければ。
80年代に書かれた本ですので、最新の栄養学や医学とはかなりかけ離れている部分も見られます。
それ言っちゃ体癖なんてもっとかけ離れているのですが(笑)

一種、二種、五種、七種、九種にはオススメ本です。
が、三種や六種にはちょっとつらいかもしれません。
四種は痩せすぎるかも。
健康や栄養に詳しい八種はツッコミどころ満載ですので、話半分で読んでみると良いかもしれません。
十種は人の食べ物はしっかり作るけど自分の分はいい加減なものを食べますから、しっかり読んで実践してみるとよいと思います。

「私はどんな方法でダイエットしたらいいの?」というあなたは、ソシャフィア体癖院で”体癖診断”をお受けになった後、”体癖コーチング”をお受けいただくことをオススメします(^ ^)

というわけで、読むと心がやせ細っていく(?)コメント付き【体癖話】をお楽しみください!

八種の受け取らない癖ですね〜
これは良くない。

相手が「すごいですね」とほめてくれていても、「いや、自分はそうは思わない」と言ってしまうのは、相手を否定していることに他ならないですからね。
思うだけなら自由かもしれませんが。

否定してくる相手には、ほめる気持ちも失せてしまいますよね。
「どうせ受け取ってもらえないんだから、もう言わない」と思わせてしまう。
そうやってほめられなくなって、「誰も相手にしてくれない自分には価値がないんだ…あいつは大したことないのに皆からほめられているのに!」なんて思ってしまう。
実際、そういう八種の人も多いのです。
私も含めて、なのですが。

自分がそういう現実を作り出してしまうのですよね。
自分から人を遠ざけてしまう。
集注要求体癖で人からのエネルギーが必要な体癖ですから、それでは元気がなくなってしまうのです。
慢性的なエネルギー不足になるのですね。

受け取ることも、愛ですね。
「受け取らないのは、相手の都合ではなく自分の都合なんだよな」と気づいて、できるだけ受け取るようにしたら、自然と人が集まるようになってきました。
まだ100%できているわけではないんですけどね。

というと、八種は「相手には何か意図があってほめてくるのではないか?」と考える人も多いですね。
それでいいじゃないですか。

ほめてくるのは相手の都合。
受け取る・受け取らないは自分の都合。

相手がOKかどうかを判断するよりも、自分がOKかどうかに意識を向けた方が、価値があるんじゃないでしょうか。
私はそう思います。

個人的に…
五種の好きでないところは、ドライなところ。
五種の好きなところは、ドライなところ。

ドライなところは、プライベートでは好きではないのですが、仕事となると好きなのですね。
仕事というのは、極論を言えば、利益が出るかどうか。
ですのでビジネスや商売というのは、基本的には五種界。

そこに魂だの心だのを乗せるのは、九種的なわがままだと思っています。
それでも、乗せずにはいられないから、乗せてもいいようにちゃんと利益を出す。
それが私なりの仕事の向き合い方です。

よく「体癖から見ると、自分に合った仕事は何ですか?」という相談を受けます。

一種なら考える仕事、
二種なら自分の責任じゃなくてもいい仕事、
三種なら好きな仕事、
四種ならお客様の窓口になる仕事、
五種ならお金を計算し動かす仕事、
六種ならあまり働かなくてもいい仕事、
七種ならやればやるほど成果が出る仕事、
八種なら他の人がやっていない仕事、
九種なら研究する仕事、
十種なら人の役に立った実感がある仕事、

というのが基本ですが…

フリーランスや経営者でなければ、その”合う”仕事をするために、給料を支払う会社に対して、何を差し出せるか?が問題ですよね。
企業は自分が活躍するための舞台を用意してくれるものではありません。
他の人と協同して、生きていくために利益を上げてお金を発生させる場なのです。

多くの人は時間と労力と能力を差し出します。
時間と労力は誰でも持っていますから価値が低いです。
能力は、それを持っていることを証明する学歴だったり経験だったり資格だったりが必要になります。
素晴らしいことに、能力は上げていくことができる。
そういった個人が持っている資源を、企業はお金に変えるのです。
そこに、個人の想いや情熱や合う・合わないや体癖は、ぶっちゃけ関係がない。

そういうのが私には難しいのです。
だって、毎朝早起きとかできないし(笑)
何より、上司という名の他人から上から目線で自分の考えとは違うことを指示されて、「はい、分かりました」と言える自信がない(笑)
想いや情熱が先走ってしまい、自分が最高だと信じることをしていないと、心が死んでしまうのです。

ですので私ごときが「あなたにはこんな仕事が合いますよ」なんて言うのは、おこがましいことなのかもしれません。
が、B to BもB to Cもやってきたフリーランスで生き残っている人間として言わせていただけるなら、仕事の世界はドライだ、ということです。
自分の体癖を尊重してくれる会社など、ありません。

こういう”四種はパートナーによって”系のツイートは今までも何度かしているのですが、非常にウケが悪いのです。
まぁ四種って「これはこうなんですよ」と言っても、「そうなんですね!」とか言いながら、ほぼほぼ受け取ってはくれないんですけどね(笑)

15年ほど営業している群馬の整体院には、四種のスタッフがいます。
そのスタッフをよく観察していると、四種という体癖がどういうものかがよく分かるのです。

まず、本心が見えない。
すごくすごくすごく、良い人なのです。

絶対に人を否定しないし、お客様や私が投げるどんな球でも打ち返します。
接客もものすごく丁寧ですし、いつでも笑顔。
お客様がおいでくださったときは、いつも以上の笑顔でホットタオルをお渡しして本当に歓迎しているような感じ。
お客様がお帰りになられるときは、駐車場までお送りします。
まさに、オモテナシの達人なのです。
身内を持ち上げるのもアレですけど。

で、そのスタッフが家ではどうなのか?を聞いてみたところ「全然ダメダメなんですよ〜」とのこと。
その割には今度群馬に一軒家を立てるし、旦那さんも仕事が順調。

要は、四種的にへりくだっているわけですが、家庭が幸せなのでしょう。
うちの整体院にも私以外変な人はいませんし(笑)、彼女が私が見たままの人であるなら、周りの人間関係が良いのではないかと思うのです。

が、本当のところは分かりません。
これは八種的な見方なのでしょうが、そんなに良い人、いるはずがない。
人間には聖も邪もあって、聖ばかりの人も、邪ばかりの人もいないと思うのです。

その四種スタッフも、邪の部分をどこかで鬱散し、バランスをとっているのでしょうが、それをどうやっているのか今度聞いてみたいと思っています。

面倒を見る人がいるということは、面倒を見られる人がいる、ということ。
面倒を見ることができるというのも才能だし、それと同じように、面倒を見られるというのも才能だと思うのです。
十種には”見る”方の、六種には”見られる”方の才能が備わっているように見えますね。

面倒を見られる…
私なら、まだ”見る”方がいいです(笑)
どっちも才能はなさそうなのですが、八種だからでしょうか。
面倒を見られるの、恥ずかしいし、「どういう意図があるんだ?」とか考えてしまう。
まぁ実際には親兄弟には面倒を見てもらったのでしょうし、自分が気づかないところで色々な人が私の面倒を見てくれていたのでしょうが。

一種も他人から面倒を見てもらったら「お返ししなきゃいけない」とか思うでしょうし、二種も「どう返していいかが分からない」と思うでしょう。
三種は「ありがとー!今後マカロンアイスおごるね〜」で済みそう(笑)
四種は嬉しいフリをして相手に失礼がないかを気にするようです。
五種は面倒を見てくれる人をうまく操って使いそう(笑)
七種は先輩とか上司になら、「あざっす!この御恩は一生忘れません!」とか言いそう。
九種は面倒を見てもらっているのに気づかなそう。
十種は面倒を見てくれる人の面倒を見そう(笑)

と体癖ごとに見ていくと、六種にはやはり面倒を見られる才能が備わっているように感じるのです。
三国志の主人公・劉備は、非常に六種っ気が強いように思うのですが、その才能で天下の三分の一を切り取ったようなものですし。
漢王朝を築いた劉邦も、基本自分では何もせず、部下に対して「良きに計らえ」でよく働かせて、七種っ気の濃そうな項羽から天下を奪いました。
劉備は当時から「劉邦っぽい」とも言われていますしね。
歴史上の大人物には、六種的な要素を多く含んだ人が多いように見えます。

どんな才能も、世の中を動かしていきますね。

今週のオススメnote

四種の化けの皮を剥がす!(有料note)

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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