#22 ビッグモーター問題から見えてきたスポーツ
こんばんは、大学生レフティこと川北健斗です。
しばらくの間休載しておりました。
楽しみに待っている人はいないと思いますが、お待たせして申し訳ありません(笑)
あと、報告が一点あります。
スクールの個人スポンサーになりました!!
(写真は名前の入ったウェアです!)
今回はビッグモーターの保険金不正請求問題のニュースを見て、スポーツが関係しているかもしれないと考えたので、それについて書こうと思います!
久々に書くので文章が今まで以上に拙いですが勘弁してください(笑)
ビッグモーターの問題点
まずは、「保険金不正請求をしたビッグモーターの問題の根源は何だったのか」を考えていこう。
ニュースによると、車をわざと傷つけて修理費を増やして、保険金を水増し請求したことが起こった。
では、店員はなぜそんなことをしてしまったのだろうか。
その背景には、①制御できない「修理費」のノルマがあった、②理不尽な降格、などがあった。
それゆえに、店員は、「修理費のノルマを達成しなければならないが、修理の具合は自分の制御できないことである」、「降格させられないために何としてもノルマを達成しなければならない」といった状況に置かれていたのだろう。
その結果、望ましくない行動に移ったと考えられる。
私の考える最も解決すべき問題
この結果から考えられる問題は何か。
あなたの考えはどうだろうか?
私は会社の体制・運営が問題だと思う。
まず初めにビッグモーターの店員は本当にそんなことをしたくて入社したのか。
いや、そうではない(はずである)。
元々は、「車が好き」「機械の修理が得意」「お客様を喜ばせたい」「車の良さを伝えたい」などといった気持ちがあってその職に就いただろう。
それが会社の体制・運営により歪められてしまった。
では、具体的にどんな体制・運営が問題だったのだろうか。
報道から考えるに、
①数値目標を最高位に置いている
②上の人間が絶対的な力を持つ
ことだろう。
①について、そもそも数値目標は目的ではなく、理念などの達成のための手段であるべきで、最高位には理念や哲学、理想、ビジョンがあるべきである。
すなわち、数値目標が最高位にあるというのは「手段の目的化」である。
それが起こると数値目標の達成が第一優先であるため、手段を選ばずに数値目標を達成しようとしてしまう。
その結果、望ましくない行動に出てしまうし、自己の理念やビジョンは満たされず、本人には何も残らない。
②について、上の人間が大きい力を持つと、組織に対するその人の影響力が大きくなる。
その結果、上の人間の指示が絶対的なものだと勘違いしてしまい、自己の考えを抑制してしまう。
その結果、誤っている指示でも熟考することなく、あたかも正しいかのように実行してしまうし、本来の理念、ビジョンを忘れてしまう。
スポーツを舞台にして見る
前置きが長くなったが、ここからはスポーツを考えてみる。
さっきの問題はスポーツではどうなのか。
スポーツにおいては、①は勝利至上主義のチーム、②は指導者が独裁のチームが該当するだろう。
スポーツにおいて勝利至上主義のチームは、「勝利」という「数値」を最大の目標に据えており、手段を選ばないためドーピングや反則などの反スポーツ行動を起こしやすい。
それにより、スポーツ自体の価値は低下してしまうし、何よりやっている本人たちには「結果」という数値以外に何も残らない。
このようなチームを減らすには、指導者および選手が勝つこと以上に、勝ち方にこだわる必要がある。
ここでいう勝ち方はスタイル、試合の運び方、試合の内容を含んでおり、いわゆる理想やビジョンにあたる。
例えば、スタイルを変えてまで勝つのではなく、スタイルを貫き通すようなことである。
確かに勝つことを目指すのは大切であるため、「勝ち方をこだわる」というのは一見「勝たなくてよい」と感じるかもしれないし、勝ち方にこだわるのは強いチームが故のエゴだと思われて好まれないかもしれない。しかし、「勝ち方にこだわる」というのは「勝利するにあたってどんな手段を取り、どんな過程を辿るか」であり、勝たなくてよいというわけではく、勝ちを目指さないわけでもない。
また、強い弱いに関係なく細部までこだわれるのも勝ち方(戦い方)ではないだろうか。
ビッグモーターの件でいえば、ノルマを目指しつつも、お客様を満足させ、車への愛情をもったまま修理を行うことを第一に考えるということである。
したがって、勝ち方にこだわることができれば、勝利を目指す競技性を維持したままで勝利至上主義をなくせると考えられる。
また、指導者の独裁が行われるチームでは、指導者の言うことが絶対であり、少しでも指示と違うことをすれば怒られる。
それにより「イエスマン」という上の人間にとって扱いやすくて都合のいい「ロボット」が出来上がる。
その結果、自己の考えを抑制し、正しくないことも指示だからという理由で実行する。
これには多様で根深い要因が複雑に絡み合っている。
私は日本においてこのような人が多く見受けられるのには、日本の地理的性質と学校教育が大きく影響していると考えられる。
日本は島国であり他の民族が少ないため、集団であることがはっきりとしていてわかりやすい。その結果、集団から外れると少数派になってしまい力が圧倒的に弱くなるので、集団から外れることが悪のようになってしまう。
また、発言ベースの思考する学習ではなく、答えのある問いに対しての覚える学習をするため、答えがあるものだと思い込んでいる。そして間違えるのが怖いため、他者に同調することが多い。
これは「他者に間違えたときの責任を転嫁している」だけなのだ。
つまり、下の人間にも問題があるため、上の人間がいなくなるだけでは無理なのである。
脳死で指示を聞いてる人間は「責任を転嫁」している。
そのため、上の人間がいなくなり、下の人間が代わりを務めようとも、「責任を転嫁」するために、昔を踏襲するのである。
したがって、指導者独裁のチームを一気になくすのは、指導者を変えるだけでは足りず、非常に困難である。
まずは教育を変えていき、考え方を変えていく必要がある。そこから徐々になくすことができるのではないか。
スポーツを考えて見えてきたこと
今回スポーツを考えてみて思ったのだが、今回のビッグモーターの件は「スポーツによる教育」による影響が大きいのではないだろうか。
すなわち、スポーツは社会に大きな影響を与えているということが見えてきたということである。
日本では多くの人が「運動部活動」を経験している。
今回のビッグモーターの組織の問題とスポーツ組織の問題とが似通っている。
そして、スポーツにおいて昔は今以上に「勝てば官軍チーム」が多い。
加えてインターネット社会になり、裏では匿名で無責任に発言ができるので、表では集団から外れることをより嫌うようになった。
つまり、誤ったスポーツ組織で育ってきたことが今回のビッグモーターの問題を引き起こしたとも考えられるのである。
逆にいえば、スポーツによる教育によって同じような問題を防ぐこともできるのではないだろうか。
したがって、社会問題を解決するにはスポーツが変わることが必要である。
特に学生スポーツは教育的側面を存分に発揮するために、勝利至上主義ではなく、また指導者が力を持ちすぎるのではなく、学生主体で自ら考えて、勝ち方にもこだわって、数値目標ではなく自己の理念・ビジョンの達成に向けて取り組むように変わっていくべきである。
最後に
最後まで読んでくださりありがとうございます!
今回はニュースをみて、「スポーツと関係していそう」と思いnoteに書くことを決めました。
思っていた以上に、スポーツは「社会の縮図」であり、教育としてとても良い機能を持っていると感じました。
皆さんの考えるきっかけになっていたら嬉しいです!そして、考えを是非聞かせてください!
それでは、おやすみなさい。
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