#16 「自由」とは「不自由」
こんばんは、大学生レフティこと川北健斗です。
チームメートと「自由って意外と難しいくないか?」という話をしたため、今回は「自由」をテーマに私の考えを書いていこうと思います。
少し長いですが、お付き合いください!
「自由」とは?
皆さんは、「自由」というと何を思い浮かべるだろうか?
強制されない、拘束を受けない、思うがまま、わがまま、、、様々あると思う。
私はそんな解釈の難しい「自由」を
「ある枠組みの中での自己意志のみが働く領域」
と捉えている。
枠組みとは、他者の権利を侵害しないために最低限守るべきもの、を指す。
今回は、この定義で述べていこうと思う。
「自由」は「不自由」
あなたは「自由」を堪能できていますか?
学校教育を思い出してみよう。
校則、ルール、指示、規則など、あらゆることが決められていて従うことが多かったのではないだろうか?
テストにおいても授業で習った方法や決まりに沿って解いたのではないだろうか?
このように、教育において、良い成績を取るのも、褒められるのも決まり事に従うことが求められる。
その結果、本来は一手段でしかない基準を唯一の解法だと勘違いして、そればかり追い求めるようになることがある。
もちろん、それは一概に悪いことばかりではないということは念頭においてほしい。
では「自由」は「不自由」である、とはどういうことだろうか?
作文を例に挙げよう。
テーマが決められている作文を書くことが多いだろう。読書感想文や何かの意見文がそうである。
そういった場合、ある程度基準が指定されているため、分量が多くとも書きやすいだろう。
一方で、テーマがなく、紙を渡されて、「自由に作文を書け」と言われたら難しいのではないだろうか?テーマを求めたり、基準を聞いたりする人もいるだろう。
これが、「自由」であるはずなのに、基準や解法を求めて「不自由」になりたがる、すなわち「自由」は「不自由」である、ということの一例だ。
なぜそうなるのか?原因①
では、どうして「自由」を堪能できないのだろうか?
私は、二つの大きな原因があると考えている。
一つは、
「自由によって生じる責任から逃れたい」
ということである。
何事にも責任が伴うのは当たり前だ。
自由に自己決定したことは当然、責任は自己に生じる。そのため、責任の重圧をもろに受けることとなる。
しかし、基準や解法、ルールに従った場合、責任を基準や解法、ルールに転嫁することができ、責任の重圧から逃れられる。
そうなることで、物事を行う際に、ネガティブな感情をなしに行うことができる。
もし失敗しても「自分はルールに従っただけで何も悪くない」と逃げられるから。
つまり、多くの人にとって「自由」よりも「不自由」の方が居心地が良いのである。
これは、無意識的に心を守る行為でもあるため、仕方のないことでもあると思う。しかし、原因であることには変わりはない。
なぜそうなるのか?原因②
一つ目は、「責任から逃れるため」であった。
では、もう一つの原因は何だろうか?
それは、
「常に正解が存在すると考えている」
ということである。
「他者評価に頼りすぎて、自己評価ができない」とも言えようか。
「正解」には基準が必要である。
そのため、「正解」が存在すると考えると、正解のために基準の存在を意識することになる。
それによって、「自由」が与えられても「正解」求めるがゆえに「不自由」になってしまう。
また、その「正解」は「他人が決めたもの」ではないだろうか。
そうであるならば、その「正解」を求めている人は、他者に評価されることを前提としているということだ。
すなわち、他者評価に縛られているのである。
つまり、「自由」が与えられたにも関わらず、与えられる前から「不自由」であるということである。
それこそスポーツでしょ!!
「じゃあどうすれば「自由」を堪能できるの?」
と、そんな問いが浮かぶのではないだろうか?
そんな問いに対して、「スポーツに取り組もう」と答えるだろう。
なぜなら、私は「スポーツで自責精神と自己評価能力を身に付ける」ことができると考えているからである。
加えて、スポーツには「自由」が大きな割合を占めていることもある。
もちろん、クローズドスキル系の種目では、オープンスキル系と比べて、明確な「正解」が定まっているが、「正解」と比較する自己評価が必要であるため、自責精神はもちろん、自己評価能力も鍛えられる。
たしかに、スポーツにはデータからの予測や監督・コーチからの評価はあると思う。良し悪しの基準や良いプレーの共通点もあるだろう。それらはある程度は信頼して良い。
しかし、データからの予測や監督・コーチの評価が必ずしも正しいとは限らないし、目まぐるしく変化する状況の中では適用できるかさえ分からないし、気にしている暇もないだろう。
そんな目まぐるしく変化するスポーツの状況の中で最も必要なのが、やはり
「自己判断の責任を背負い、瞬時に自己評価で振り返ること」
である。
これには、「自由」の中で、自責精神を持ち実行すること、それを正しく自己評価すること、が含まれる。
これを繰り返すことによって自責精神と自己評価能力を身に付けることができる。
ぜひ皆でスポーツをしよう!
終わりに
以上では、「スポーツをすることによって能力を身に付けられる」と述べたが、やはり「どう取り組むか」が鍵となる。
取り組み方次第で身に付けられる能力も変わってくる。結局のところ、どうなるかはあなた次第であるということだ。
この文章を読んで、あなたには今、何のスポーツをするのか、もしくはしないのか、どう取り組むかの「自由」が与えられた。
その「自由」を今のあなたはどう解決するのだろう。
あなたは今「自由」を堪能できているか?
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