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#17 やっているのは「たかがスポーツ」

こんばんは、大学生レフティこと川北健斗です。

本日、岐阜協立大学の高橋先生のお話を聞き、衝撃が走ったので、それについて思ったこと、考えたことを述べようと思う。
少し長くなるが、スポーツに真剣に取り組んでる人ほど読んで欲しい。

スポーツの位置づけと役割

皆さんはスポーツの位置づけをどう考えるだろうか?

私も高橋先生の話を聞くまでは、「サッカーが最優先!サッカーをしていれれば良い!」であった。悪いことではないが、非常に危険な考え方だとは思う。

しかし、今は「日常生活あっての非日常」、すなわち「遊びの一種」との捉え方になった。もちろん、プロは目指しているし、全力で、真剣に取り組む。
だが、家族や友人との時間・日常生活も大切であり、おろそかにしないということだ。

役割の話に移ろう。

スポーツの役割は何だろうか?
結果を残すことだろうか?



プロ、アマ関係なく、「自分がたのしむ」ことだろう。そこからプロなどは能力が向上し、関わる範囲が広がって「人々をたのしませる」のが最大限の役割になる。その根幹には「自分がたのしむ」がある。

スポーツは、物を作るわけでも、何かを解決するわけでも、物を育てるわけでもない。日常があっての非日常。だからこそ、「たかがスポーツ」なのだ。

結果が目標になることの脅威

では、なぜ「たかが」スポーツをやるのか?

それは、
競技がたのしいと感じるし、競技が好き
だからである。

たのしくない、むしろ辛いならば、たかがスポーツ、非日常であるからやる必要がないのだ。(体育は授業、つまり日常だから必要)
やるかやらないかは自己決定が必要なのだ。
自分で決めて真剣に取り組む、たのしむ

となると、たのしくて好きであるものにおいて「諦める」という言葉はそぐわないのではないか?
どんなに負けていようが残りの数分をたのしむことを考えれば、諦めずに真剣に取り組むのではないか?
また手を抜くということもおかしくはないか?

しかし、こうならない現実がスポーツでの結果を目標として、動機づけにして、ゴールにしている怖さを示している。
スポーツ界が発展し、人気になるにはそのような考え方から変えていかなければならないのではないだろうか。

セカンドキャリア、いやファーストキャリア

冒頭でも述べた通り、私はプロを目指している。そういう人も多いと思う。
しかし、怪我などでスポーツでお金を稼ぐことができなくなった時どうするか?

日本でもセカンドキャリアが述べられるようになってきたがまだまだ浸透していない。教育としても進んではいない。そこで路頭に迷う場合も少なからずあるだろう。

では、どうしたらよいのか?

それは、
日常の中でたのしいこと、スポーツの次に、二番目にたのしいことを見つけておく
ことである。

小さい頃に見つけて、夢中になって、スキルを磨いておくと後々に生きてくる。

また、セカンドキャリアとして探して動くには遅すぎるということがある。ファーストキャリアが終わってから移行するには出遅れてしまう。
その点ではセカンドキャリアの考え方が良くないのかもしれない。

つまり、ファーストキャリアを複数持つという認識が重要ではないだろうか。
一般社会でいうと、副業ではなく、複数の本業という捉え方である。

プロスポーツ選手については、自身の考え方だけでなく、ファンの考え方も重要になる。

ここで日本のスポーツ界を考えてみよう。

日本では、スポーツ選手がスポーツ以外の活動に取り組むと、「本業に集中しろ」「そんな時間があるなら練習しろ」「スポーツだけやれば良い」などといった言葉を発する人が一定数いる。

これには、「理想の姿から変わってほしくない」というファン心理が働いている。アイドルの恋愛禁止も似たものだろう。

これはスポーツ選手のセカンドキャリアを邪魔している。
ファンもそうであることを認知するべきである。そうすれば、きっとスポーツ界も成長するだろう。

また、大人が上の考え方をしていると、子供たちにも伝播していく。
そして、スポーツ選手を目指す子供たちに「スポーツだけをしていれば良い」との考え方を植え付けかねない。

それがスポーツ選手が「スポーツだけをやっていれば良い」という考え方から、セカンドキャリアで困ることに繋がるのではないか。

終わりに

たかがスポーツ。たのしもう。たのしくないならやる必要はない。だからこそ全力で、真剣に

たかがスポーツ。日常をおろそかにすることは非常に危険である。だからこそ日常でたのしいこと・好きなことを見つけてファーストキャリアを複数持とう。

たかがスポーツ。非日常である。だからこそ、「向き不向きではなく、好きなもの」を選ぼう。

最後に、疑問に思った人もいるだろうが、私は本文で「たのしい」とひらがなを使って表記してきた。

なぜか?

それは、たのしいに「楽」が含まれないからである。
だからこそ「楽しい」ではなく「たのしい」と表記した。

「たのしい」とは、全力で、真剣に何かに取り組むことだというメッセージを込めて。

最後まで読んでくださりありがとうございました。
一つの考え方として受け入れてもらえると嬉しいです!
そして何か変化があればなお嬉しいです!

それでは、おやすみなさい!




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