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どうなる蕎麦宗

 旅するスーパースター、蕎麦宗です。

 そろそろ年末、残すところあと10日ほど。蕎麦屋の最繁忙期に戦々恐々としつつ、この一年を振り返るのがこの頃だ。


はじめに 

 今年は『取り上げられる』と表現したくなるほどに、とにかく色々なモノが手元から去っていった。アルファロメオスパイダー(クルマ)を断念し、レイラインツアーを走ったサーベロ×ランボルギーニ(ロードバイク)を返却し、大学院卒業と共に蕎麦宗のアルバイトを卒業したYuto君をはじめ、その後も3人が辞めた(スタッフ)。
 またCLUB SOBASOでこの2年活動して来た米ラボの農場(田んぼ)も、この秋の収穫を見守った直後、地主の方が死去。相続の問題などもあって来年は厳しそうな状況だ。

 そんな中、自身の中心的な活動拠点である蕎麦宗までもがその『取り上げられる』流れの渦に巻き込まれた。

第1話 雨漏りと心臓発作

 2023年の6月。暴風雨のひどい日とその翌日に渡り雨漏りが発生。以前住んでいた2・3階は10年ほど前から散見され、その内覧と修繕を訴えていたものの大家は無視。8年前の裁判係争中でさえその訴えもシラを切った。そしてとうとう一階の客室にまで及んだ、というわけだ。
 当然、清掃に明け暮れ、昼の部《蕎麦宗》も夜の部《navigazione》も営業出来ずに2日間を過ごす。しかしシミやカビ臭さなどは中々抜けず、飲食店である事を加味すればなおのこと、今度ばかりは修繕をしてもらわない限りは営業すら覚束ない。やむを得ないので弁護士に依頼して大家へと訴えた。タナゴの言葉を聞き入れないぞんざいな大家であっても、弁護士は無視出来ない。法的根拠が発生して不利になるからだ。
 
 裁判以来8年ぶりに会った大家・加藤氏はずいぶんとヨレヨレで、やつれた老人になっていた。見積もりすべく建築業者を引き連れて来場。僕も退去後8年ぶりに亡き妻と10年過ごした旧屋に入った。
 それにしても雨漏りの状況は当時より更に酷く、管理不行き届きの惨状をさらしていた。正直言って、こういう方が不動産物件を持つべきではない。直ぐに怒り立って怒鳴り散らす大家・加藤氏も、歳を取ったせいかおとなしかった。内覧中一言も発しなかった。その日は、改めて見積もりを待ってどうするかを回答するとの事で解散した。

 翌日、僕の依頼した弁護士・森本先生から電話が入った。

『大家の奥様から連絡がありまして、ご主人加藤さんが心筋梗塞で倒れ入院したとのことです』
 
*ICUに入っていて意思疎通が不可能だという。雨漏り修繕の回答は回復を待って、となった。

*ICU…集中治療室

天井から滲み出る雨漏り

第2話 見積もりの行方

 大家さんが倒れたと言う話を聞いてしばらく経った頃、大家の奥様が挨拶と現況報告を済ませに来た。

『大変でしたね、でもひとまずは落ち着いたということですね』

蕎麦を出しつつ話を伺い、状況を知った僕はそう応える。
 一命は取り留めて落ち着きを取り戻し、辿々たとたどしい会話なれどコミュニケーションは取れるようになったようだが、

『遅れて申し訳ないですが、私の一存では決められませんので…もう少し主人の回復を待って連絡させてください』

と言う。

 その後、やり取りは基本的に弁護士を通してするという旨を伝えた。言ったの言わないのが揉め事になるのは、大家・加藤氏との裁判で嫌というほど身に染みた。不信感ベースに他人と関わるより、信用して付き合う方がもちろん好きだ。しかし、そうはいかない場合・相手もあるので法的武装せざるを得ない。
 とはいえ事を荒立てたくない。だからせっかくならば良好な賃貸・賃借人の関係を築けるよう、互いに出来るだけのことはする約束をしてお帰り頂いた。

『仕方ない、病状の好転を待つしかないよなぁ』

とnavgatione店主・弟のユウスケと話し合ったのは、宙ぶらりんになったなんとも仕方のない心持ちを共有出来るだけ、救いになった。
とはいえ、この調子で毎度毎度雨漏りにビクついているのも嫌だし、今回のように休業せねばならないとなると商売に差し障る。そこで、弁護士とも相談して休業補償を訴えると、すんなりと先方は受け入れてくれた。これが、加藤氏であればイキリ立って『出て行け』や『裁判だ』となるのがオチだった事を思えば、相手が話の分かる人に変わっただけマシなのかも知れない。

 ひと月ほど経った8月の半ば。弁護士経由で連絡が入り、雨漏りの修繕が最低でも400万円掛かることが分かった。加えて見積もり現場で業者から、隣地との境にスペースが無いため足場が組めず修繕出来ない可能性もあり得ると聞いていた。となると先々の採算を考えても治さない選択もあり得る。つまりは《立ち退き》も視野に入れなければならない。
 さてどうなるのかと思い、森本先生に更に尋ね聞くと、加藤氏は寝たきりになっていてリハビリのできる透析病院付きの介護施設に転院するらしい。そんな状況なので、奥様も即答できないとのこと、らしい。
 
 そして9月の初頭。再び弁護士から電話が入る。ようやく結論が出たのだろうか?!。すると、

『ご存知ですか?…』

という言葉のあと、少し間を置いて森本先生が言った話を聞いて、僕は『えっ』の後に二の句を継ぐことが出来なかった。

『大家さん…加藤さん、お亡くなりになられたそうです』。

第3話 《負》動産

 訃報を聞いたのは、帰宅途中の自転車の上だった。
 『加藤さん,亡くなったらしいよ。死んだ人に悪態つくのもどうかと思うけど、最後まではた迷惑な人だったな。尻拭いする人も気の毒だけど…まぁ仕方ない』
帰宅後、真っ先にそう話した相手は父親で、なぜなら大家の加藤氏は韮山高校の同級生だったからである。この物件を借りた2005年には久しぶりの再会を果たし、加藤氏もご機嫌だった。様々な要望を聞き入れてくれたのも『同級生のよしみ、息子さんなら安心だよ』と気持ちを語っていたが、開店工事にあたって発見された建物の排水設備の不備を指摘したところから態度は急変。逆恨みはあの時から始まっている。
 詳しくは【僕の蕎麦屋が出来るまで】の続編をいずれ書くつもりなので、今回は端折る。
 本人や故・*すみ多さん等から聞いた話だと、色々と複雑な事情を抱えた家庭環境だったようだ。父親がいなく、母一人子一人で苦労したらしい。その親孝行として、ノンフィクション作家でもあった加藤氏が大谷壮一賞を獲り、印税で稼いだ資金で建てた家がこの物件らしい。それならばもう少し大事にしても良さそうなものだけど、メンテナンスに関しては約50年間放置していたのがあちこちに見受けられる。
 それゆえにしても不思議なことに、彼が亡くなったその翌日、雨漏りと共に修繕願いをしていた外壁の一部が、心配していた通りに落下した。怪我人や車などの破損もなく、大事には至らなかったのは不幸中の幸いで、とはいえそのままでは危険だ。早急にこちらで手配し、青木工務店さんが迅速に修繕工事を行なってくれた。
 本来なら大家に修繕義務がある部分。仕方なく代金はしばらくは建て替えるしかなかろう。

 その《負》動産を引き継ぐ奥様は2年前に結婚したばかりの後妻さんで、亡くなって相続やら何やらに手をつけて初めて知った事が多々あったようだ。
『主人が住んでいた借家は離れで、その大家さんは前妻さんだと知りました。そして、母親は育ての親で、彼は養子縁組に出された《もらい子》だったこともわかりました』
後者のそれは、自分も初耳だった。

『…ということは、相続者は妻である貴女あなただけでなく誰か可能性があるということ?79歳の爺さんの親は死んでるし、兄弟も生きてるかどうか分からないね。となるとその子供・孫…』

『はい、そうなんです…全員を探し出して一筆・印鑑を集めなければならないみたいでして…』

   良くある相続の問題,と言えば簡単に片付けられてしまう。しかし、そこに巻き込まれた僕ら*タナゴの正直な気持ちは、『迷惑でしかないが仕方ない』だった。

*すみ多…こちらの記事を↓

第4話 振り出しの赤いレンガ壁

 まさかの話に困り果てた大家の奥様は、弁護士あるいは司法書士に依頼して相続の問題に着手したようで、

『そんな事情わけですいません。相続の問題が片付くまでは資産凍結の関係で、雨漏りの修繕をするしないすら回答出来なくなってしまいました』
と言う。
 まいったな、しかし仕方ない。雨漏り修繕問題は移転問題とも言えるものになったが、その解決すら、また先延ばしになって、宙ぶらりんの振り出しに戻ってしまった。

 『…ってわけだよ、困ったもんでさ』

そう僕が語った相手は、蕎麦宗の常連客でもある韮高サッカー部時代からの友人・辰野で、彼が来店して《*菊姫の鶴の里》をちびちびとやり始めた時だった。

『でも宗ちゃん…なんだかさ、笑っちゃいけないことなんだけど、面白過ぎないか!?って、いや、お前には悪いけど悲壮感どころかさ…なんて言ったらいいかな…こんな展開になるのってドラマ?映画?』

そう語る彼との会話を聞いて、実は当人である自分すらそう思っていた。
『まぁねぇ。…でも、確かになんとなくだけど流れが決まった気がするよ』

辰野から分けて貰ったその日本酒を一緒に啜すすりながら、僕は店のあの*【赤いレンガ壁】を見つめた。

*菊姫鶴の里…加賀の菊酒で知られる日本酒。山廃仕込みを蔵元で熟成した銘酒

*赤いレンガ壁…こちらの記事を↓

最終話 決断

まだ暑さが残る9月の末に、大家の奥様から聞いた事をもとにnavgatione店主の弟・ユウスケと話し合った。

『ということでさ、結局のところ雨漏り修繕して貰って、このままここで営業を続けるか?!それとも立ち退き移転になるのか?!結論は持ち越し。だけど、やれる限りここでやろう』

『法的には死亡日から10ヶ月以内に相続人探して納税義務となってる。それまでに見つからなかったら、どうなるんだろね?知らんけど』

『いずれにしても来年の夏前には完全に結論が出る。それまでは酷い雨漏りがない事を祈るだけだな。そして移転も含めた準備だけはして、並行して動いてゆくしかないね』

 そんな風に2人で話している中で、僕の心の内は一つの結論に至っていた。

 …あれから3ヶ月経った2023年12月。今だ相続人全てとのコンタクトは取れていないようだ。しかしながら、自身が至った結論は揺るがない。それをユウスケに伝える事にした。
 理由は二つ。先ずは、ここ最近の蕎麦宗にある。コロナ禍の最中に今後の店のあり方を考え、決まったコンセプトは【蕎麦で〆る美しこと丁寧な時】。19年目を迎えるにあたって確固たるものにすべく、《ひととてま》さんの力を借りてリブランディングしたのが2023年の一年間。結果、自分が作り上げたこの《器うつわ》は、これからの蕎麦宗や今の僕を乗せて包むには、そぐわなくなって来ていた。このことは【小さな偶然の見つけ方〜レクリントと《紫玉》の書】に書いた。
 そして二つ目。2020年に二毛作スタイルで始めた夜の部navgationeは、コロナ禍の逆境にもめげなかったユウスケの努力によって軌道に乗り始め、それとは裏腹に、この場所が徐々に蕎麦宗では無くなり始めている。昼夜2部制も悪くはない。が、僕らのようなタイプの人間にはそれぞれの色が有り、その店主の色が建築物たてものを染めるのだ。
 ここは蕎麦宗のロイヤルブルーから、少しずつnavgationeユウスケのターコイズグリーンに移ろって来ている。そんなことを薄々と感じていた。 
 僕は決断を迫られている。いや、もう答えはとうに出ている。

『あのさ、ここはお前の城にする。オレは蕎麦宗はここを出るよ』

『仮に移転せざるを得ないのならばnavgationeも別の場所に移るしかない。でももし、ここでそのまま出来る状況になったとしても、ここはnavgationeになる。蕎麦宗は移転うごく。三島からは出ないつもりだけど…中々物件ないけどな』

 さて。どうなるのかはわからなくとも、道は出来た。スピリチュアルヒーラーの愛守花さんはそれを5月の時点で予言していた。しかし、自分で決めたことだ。
 大きな決断だと思う。19年もやってるくせに先立つものも無ければ、移る先の目処が立ってるわけでもない。

『どうせやるならさ、また新しいモノ・新しい店を作ればいいだけさ。33歳の時に蕎麦宗を作った時と同じ気持ちに戻ればいい』

あの時は若かった。意地を張って孤高だった。誰にも頼ることなく、一人で作った。それでも辰野やユウスケや多くの人達が手伝ってくれた。『自分で作りました』って言うのが忍びないくらいに。
 今は心強い味方も大勢いる。資産はなくてもそれが僕の大きな財産だ。今度はきっともっと沢山の人達が助けてくれるだろう。僕も素直に皆の手助けを乞うことが出来ると思う。そして、一人で作るのではなく、大勢で仲間と共に創り上げたいと思う。

 新しい蕎麦宗は《ただの蕎麦屋》でなく、《ただものではない蕎麦屋》になる。可能な限りに、蕎麦屋ですらないものを創造したいと思う。終

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