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「気力がない」の意味は?脳内連想ゲームに惑わされないように。(自戒日記)

酷暑が続いて、ようやくすこーし秋の気配を感じる瞬間に喜びを感じる今日この頃。これまでの暑さへの疲れが出たのか、子が体調を崩しました。久しぶりのクリニック受診のため、診察券を探す。立派なプラスチックのそのカードには、診察時間の記載がなかった。そこでWebサイトを検索。

すると、近所のそのクリニックでは診察開始時間前からインターネットで当日の来院予約ができるようになっていました。すごいな。いや、今は当たり前なのか?

すこしでも早く受診したいと思うと、診察開始時間より前に行って並ぶことになることが通例でした。それが、体調の悪い子の機嫌をますます斜めにさせ、、、ということもなくなるかなと、ちょっと心が軽くなって予約の確定ボタンをポチっとする。30分前の段階で、順番は5番と表示されました。

「5番目だから9時少し過ぎに家をでよう」と子に声をかける。

そしてその道すがら、発熱といっても平熱扱いの微熱であり、それ以外の体調を確認していると、その一つに「気力がない」という言葉が出て、私はそこにひっかかった。細かいことが気になるのですよ、私の悪い癖。このセリフが大好きだけれど、何かの解決に役立ったことはあまりない。

気力がない?・・・やる気がでないってこと?一瞬このような考えが反射的に頭に浮かぶと、その考え(言葉)にまつわる脳内連想ゲームが始まる。それほどつらくないし元気だけどやる気が出ない、学校に行きたくない、え?学校行きたくないのも原因の一つ?いじめか?何があった?までたどり着く。この間2~3秒もないかと思われます。

昔は割とその脳内連想ゲームの末の考えを口に出して、「3回転半して着地する」発言となり、会話の相手を困惑させていた。今はそんなことはない。きっと。

「気力がないのは、どんな『気力がない』なの?」

脳内連想ゲームはひとまず横に置き、聞いてみる。すると、私の脳内ゲームとは全く違う返答だった。

「全身の力がはいらないって感じ?」
「ふーん、全身の力が入らない感じなんだ。」全身『に』力が入らないの間違いじゃないか?と思いながら、助詞は変えずに繰り返す。すると子は続けて、
「先輩の試合にスタメンで参加して、ベンチにいて緊張している感じ。」と、野球チームに所属していた時代の経験を例えてきた。

「なんか、あー、やばいなって。どうしようって感じ。」

表情もあわせてみていると、それほど高い緊張もなく、ただ少しの不安を口にしているのだな、と感じた。身近にインフルエンザにかかった人がいたので「ワンチャン、インフルの可能性あるかも」、との話しが進んだ。そうしたことは早く言ってくれたまえよ、余計な心配を、全く違う連想をしてしまったよと心の中でつぶやく。

お医者さんからはインフルエンザの可能性は低く、とりあえず対症療法で様子を見ましょうとのこと。その後は特に症状が悪化することもなく、不安も払しょくされたようで通常モードに戻りました。

言葉には、辞書的な意味は共通認識をもっていても、ひとそれぞれ微妙に異なるイメージをもっていて、ほかの言葉との繋がり、ネットワークも同じものはないだろう。わかったつもりにならないで、特に感情の動きが大きくなったりとか、ざわざわしたときなどにはいったんその思いは横に置いて、正確に、丁寧に言葉をとりあつかう、聞いていく、ということを心がけたい。すぐにカッとなる瞬間湯沸かし器のような自分への戒めをこめて!



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