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かさぶたを一気にはがすのではなく、玉ねぎの皮をゆっくりむくように自分にかけたい時間。


なかなかはがれない玉ねぎの皮、するりとむけると良いのですが、一部がなかなか手ごわいと、イラっとする。不器用な私だけかもしれません。爪をたてずに優しく玉ねぎの皮をむくように、自分にかけたい時間のお話です。宜しければお読みください。

野球の練習試合から帰ってくる息子が、たまに派手な擦り傷を作って帰ってくることがある。私が子どもの頃は、しっかり消毒してばんそうこう、という処置が定番だったが、現在では水洗いして乾燥させるというやり方が正解だという。

そしてかさぶたができてくると、むずがゆくなることも手伝ってある感情が湧いてくる。「むきたい!」

「ねぇねぇ、むいていい?」
「だめに決まってるでしょ」

そんなやり取りから自分が子供の頃を思い出す。かさぶたができると、端っこに爪を当てて、少しビクビクしながらもカリカリとしてみる。きれいにはがれることは少ない。大抵はまた傷口が開いて痛い思いをする。そんなことを繰り返していた気がする。当然、放っておいた方が治りは早い。そしてすっかり忘れた頃に無意識に掻いてしまって、あっと思うとかさぶたは、きれいにはがれ落ちていて、ピンク色のきれいな皮膚が再生されていることに気づき安堵する。

心の中でも同じようなことが起きているのかもしれないと最近感じることがあった。

「○○さんが苦手で、コミュニケーションがとりづらいこともあり、必要な連絡が遅れがちになってしまう」
「〇〇は難しい仕事ではないけれども、気が進まず、後回しにしてしまう。それがストレスになっていることもわかっているのだが」
「○○をやりたいと思っていたのだけれども、いざやると思うと不安になる」

簡略して表現しているが、私が何とかしたいと思っている課題。

対処療法的な対応策は簡単に見つけることができる。でも、その課題が解決(対応)できても、また別の課題が顔を出す。

コミュニケーションの難しさや不安感、失敗といった心が痛む経験に対して、様々な手法や解釈を用いたり、或いはそれも経験さ、と無視したりするひとつの「解決」が、かさぶたのような役割を果たすのかもしれない。そして似たような経験を繰り返すことで心理的なかさぶたは重なって、どんどん厚くなっていく。

いっそ一気にはがしてしまえとも思うけれども、それではますます痛い思いをしそうだ。

課題ごとの解決策を独立的に講じるよりも、一枚一枚玉ねぎの皮を優しく剥くように、自分の内面にゆっくりと目を向ける時間と場を持つことで、より効果的な結論にたどり着けるかもしれない。

自分の中に答えを探しに行く機会を何度も重ねたとき、「あー!もしかしたら悩みごとの根っこは同じかもしれない」と直感した瞬間がありました。正しいかどうかはわかりません。
この直感と自分は解決方法を持っていると信じて、外部だけでなく、自分の内面への探求も続けていきたいと再度思いを強くしました。一気に解決を目指さず、少しずつ、時間をかけて。大切な自分のために。

人生長く生きていればそれだけかさぶたも厚かろうし、時間もかかるかもしれません。解決する能力が自分にはあると信じて、たまにはゆっくり振り返る時間を持つことも大切にしたい。人生の節目節目においては特に。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。





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