口喧嘩でも勝てなくなった。
私が出産を経験したころには、小学生の頃から仲良くしてくれている地元の女友達は、もうそれぞれ二人目を育てている子育て先輩となっていた。
ベビーバスやらベッドやら、たくさん貸していただいたし、返しそびれてしまっている湯温計がまだ手元にある。何度かお返ししようとしたが、別の必要な方にあげて~とか、必要ないので大丈夫と大変懐の広い方々だ。
そんな彼女たちからは色々な応援の言葉をもらった。次はその一つ。
「今は寝不足になるだろうし、大変だろうけど、そのうち落ち着くから大丈夫。手がかかる時期に終わりはくるから。」
夫は出張がちだし、実家も何かあったらすぐ駆け込めるような近さではないうえ、忙しく商売をしている両親にはなかなかうまく頼ることもできないでいた子育て。子どもを持つなど考えなかった仕事人間で、近所に頼れる知人もいなかった私は当時、先の見えない真っ暗闇の穴の中に、言葉の通じない生き物と二人っきり、世界中から取り残された気分になることもあった。
出産して退院直後は子育て先輩の妹たちがかわるがわる様子を見に来てくれていた。そして帰ってほしくはないけれども、彼女たちにも家庭がある。「だいじょうぶよ、ありがとう!」と送り出してはため息をついていた。
母乳をあげながら、ソファーで半裸の状態で寝落ちし夜中に一人目覚めると、涙が止まらなかったこともある。子ども落とさなくてよかったけど。
そのような中で友人からかけてもらったこの言葉に、とても安心感とありがたみを感じた。
そうだ、ずっと続くわけではない!そして私はすぐに仕事に戻るのだ。
しかしその友人は更に言葉をつづけた。その時の彼女の意味深な笑みをまだ覚えている。
「ただ、別の大変さが来るけどね~、あはは。」
どんな大変さが待ち受けているのか、その時は想像だにできなかった。とにかく今の状況には終わりが来るのだということだけを喜んだ。
そして月日は10数年流れる。それこそ、あっという間に。育休もそこそこに職場復帰も果たしたが、いわゆる「小1の壁」ならぬ「小2の壁」にぶち当たり、会社員生活にいったんピリオドを打つことになる。この話はまた別の機会に書いてみたい。
何て生意気になってしまったんだろう。
小さい頃はあんなにかわいかったのに。
そんなことをふと思い、いやいや小さい頃もそれなりに悩んでいたことを思い出した。のど元過ぎれば熱さを忘れるにもほどがある。そして先の友人の言葉を思い出した。
別の大変さ。
話は変わるが私は子どものころ、かなり生意気で毎日のように母を怒らせては叱られていた。しっかりした口答えをするタイプだ。「減らず口」「口から生まれた」「揚げ足取り」こうした言葉は母から学んだ。私を表現する言葉として。
思わず子に対して同じような言葉を使っていることに気づく。おかげさまですくすくと育ち、「はい、論破~!」が流行っているようで、話をしていても大変に腹が立ってくる。
かちんときて、即座に言い返し、それでも腹の虫は治まらず。同じやり取りではないだろうが、当時の母の怒りがよくわかるようになった。遺伝か?DNAレベルの問題なのか?こわ!
ここでふと立ち止まる。自分なりの考えを披露しているってことかな、表現の仕方はアレだけど。
私は保護者であり、子は被保護者であるというだけであり、やりこめる対象ではない。有無を言わさず首根っこを摑まえて、いう通りにしなさいという対象ではない。
で、あるなら、私がするのは「論破」し返して言い負かすことではない。ましてや減らず口だ、生意気だと切り捨ててはいけないのかもしれない。傍にいて、信じて、話したいことを、考えていることを、感じていることを、聞く。きっとその中に、大事なことが見えてくるかもしれない。一緒に探すことができるかもしれない。
そして、天網恢恢疎にして漏らさず。お天道様に顔向けできないコトだけはしなければよい、とみればよいか!
口でも勝てなくなったことへの負け惜しみの感もあるけれども。
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